佐渡始顕本尊一考 6・7

6 文永10年から11年にかけての弾圧

日蓮は「観心本尊抄」で「妙法曼荼羅」の相貌を示しその図顕を宣しながらも、一方では流人である我が身の上は明日をも知れず、という現実があった。

 

実際、文永10年から11年にかけて佐渡の日蓮門下に弾圧が加えられ、佐渡の国守護・北条宣時(大仏宣時・おさらぎのぶとき)は日蓮一門への弾圧を画策し、三回も「偽の御教書」を発行している。そこには「祈雨の勝負」敗北以来、日蓮に一方ならぬ怨念を抱く極楽寺良観の関与があったようだ。

 

「種種御振舞御書」 建治2年 真蹟曽存

又念仏者集まりて僉議(せんぎ)す。かうてあらんには、我等か()つえし()ぬべし。いかにもして此の法師を失はゞや。既に国の者も大体つきぬ、いかんがせん。念仏者の長者の唯阿弥陀仏・持斎の長者生喩房・良観が弟子道観等、鎌倉に走り登りて武蔵守殿に申す。此の御房島に候ものならば、堂塔一宇も候べからず、僧一人も候まじ。阿弥陀仏をば或は火に入れ、或は河にながす。夜もひるも高き山に登りて、日月に向かって大音声を放って上を呪咀(じゅそ)し奉る。其の音声一国に聞ふと申す。

武蔵前司殿是をきゝ、上へ申すまでもあるまじ、先づ国中のもの日蓮房につくならば、或は国をおひ、或はろう()に入れよと、私の下知を下す、又下文(くだしぶみ)下る。かくの如く三度、其の間の事申さざるに心をもて計りぬべし。(P977)

 

「法華行者値難事」文永11114日 真蹟

(しか)るに文永十年十二月七日武蔵前司殿より佐渡国へ下す状に云はく、自判之在り

佐渡国の流人の僧日蓮、弟子等を引率し、悪行を巧(たくら)むの由其の聞こえ有り。所行の企(くわだ)て甚(はなは)だ以て奇怪也。今より以後、彼の僧に相随はんの輩に於ては炳誡(へいかい)を加へしむべし。猶以て違犯せしめば、交名(きょうみょう)を注進せらるべきの由候所也。仍って執達件(しったつくだん)の如し。

文永十年十二月七日  沙門 観恵上(たてまつ)

依智六郎左衛門尉殿等云云。(P798)

 

「種種御振舞御書」(真蹟曽存)

或は其の前をとを(通行)れりと云ひてろう()に入れ、或は其の御房に物をまいらせけりと云ひて国をおひ或は妻子をとる。(P978)

 

「千日尼御前御書」弘安元年728(真蹟)

又其の故に或は所ををい、或はくわれう(科料)をひき、或は宅をとられなんどせしに、ついにとをらせ給ひぬ。(P1545)

 

更なる迫害が差し迫っている状況下故にであろうか、文永10919日に鎌倉の日昭母に報じた「弁殿尼御前御書」(P752 真蹟)では以下のように記している。

 

第六天の魔王、十軍のいくさをを()こして、法華経の行者と生死海の海中にして、同居穢土(どうごえど)をと()られじ、うば()はんとあらそう。

日蓮其の身にあひあ()たりて、大兵をを()こして二十余年なり。日蓮一度もしり(退)ぞく心なし。しかりといえども弟子等・壇那等の中に臆病のもの、大体或はを()ち、或は退転の心あり。

中略

しげければとゞむ。弁殿に申す。大師講ををこ()なうべし。

 

文中、「日蓮一度もしり(退)ぞく心なし」と不退転の決意を吐露しているが一時は壊滅状態となった鎌倉の日蓮門徒も再建しつつあったようで、日昭に天台大師講を行うべきことを指示している。これは弟子檀越寄り集まって、お互いの信仰を励ますよう促したものといえるだろう。

 

ともかく、佐渡では日蓮に関わっているだけで、罰金を科され、投獄され、国=在所を追われ、妻子を取り上げられ、家も奪われる。このような過酷な弾圧が続いていたのであり、険悪化する事態の中で、竜口の如く、日蓮が謀殺される可能性もあったことだろう。

 

そしてもしそのような最悪の事態となれば、「観心本尊抄」での妙法曼荼羅による一切衆生の救済宣言ともいうべきものは水泡に帰してしまう。また、大部の書に認めて、富木常忍・大田入道・教信御房等に送付した以上、誰しもが妙法曼荼羅は顕されるのが必然だとも考えていたであろう。宣言書のみありて、実際の曼荼羅が無いならば、門下は迷い、衆生成仏の道もか細いものとなる。「薬の解説書のみ書く、しかし、実際の薬を作ることがない」ということは道理に反するし、日蓮のそれまでの思考、行動からは考えられないことでもある。

 

この時、日蓮は曼荼羅を図顕する必然があった。その曼荼羅が「佐渡始顕本尊」だと考えるのである。

 

7 「観心本尊抄」と「佐渡始顕本尊」

「観心本尊抄」の本尊相貌を明かした文と、「佐渡始顕本尊」の相貌座配(「日亨本尊鑑」P6・「日蓮聖人真蹟の世界・上」P60)とを比較してみよう。

 

(本尊抄)

「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し」

(佐渡始顕)

首題 自署花押

 

 

(本尊抄)

「塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏」

(佐渡始顕)

・仏界

南無釈迦牟尼仏 南無多宝仏

 

 

(本尊抄)

「釈尊の脇士上行等の四菩薩」

(佐渡始顕)

・本化菩薩

南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩

 

 

(本尊抄)

「文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月を見るが如く」

(佐渡始顕)

・迹化菩薩

南無文殊弥勒等

・声聞界

南無舎利弗等声聞

・天界

南無釈提桓因等 南無大梵天王等 南無大日天等 南無大月天等

・人界

南無四輪王

・修羅

南無阿修羅王等

・鬼神

南無鬼子母神 

[十羅刹女]南無藍婆 南無毘藍婆 南無曲歯 南無花歯 南無黒歯 南無多髪 南

無無厭足 南無持瓔珞 南無皇諦 南無奪一切精気

・国神

南無天照八幡等

・伝法祖師

南無天台大師 南無伝教大師

・陣

不動明王 愛染明王 南無持国天王 南無増長天王 南無広目天王 南無毘沙門天王

 

 

(本尊抄)

「十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり」

(佐渡始顕)

・仏界

南無分身等諸仏 南無善徳等諸仏

 

以上、「観心本尊抄」「佐渡始顕本尊」を並べるとほぼ合致するといえるだろう。

 

このように、佐渡始顕本尊の相貌・勧請の列衆からも、「観心本尊抄」に示された「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」の本尊、「彼の因果の功徳を譲り与へたま」へる本尊、「一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」の内の法本尊、仏が「末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ」本尊となるのではないだろうか。

 

ただし、注意せねばならないのは、始顕本尊は日蓮の一生を画する「特別な思い入れのある本尊」ではあっても、「特別な法義的な位置付け、意義付けをされた本尊」ではないであろうということである。更に付言すれば、「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」「彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」「一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」「末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ」という教示は、日蓮の思いとしては、自身が図顕した全ての曼荼羅に冠しているものであると思う。

 

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