日蓮説示の「日本の仏法」について

                         山中湖
                         山中湖

【 諌暁八幡抄・日本の仏法 】

「諌暁八幡抄」の末文を引用して、富士門流の一部では「日蓮大聖人は過去の仏たる釈尊の法華経と末法の本仏たる御自身の仏法の勝劣を示されて、釈尊の法華経は末法には利益なきことを教示された。御本仏日蓮大聖人建立の三大秘法の大白法によらねば成仏は叶わない」との説がある。果たしてどうなのだろうか。日蓮が説示する「日本の仏法」について、少し考えてみよう。

 

 

弘安312月「諌暁八幡抄」 真蹟

天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名也。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ。月は西より東へ向へり。月氏の仏法の東へ流るべき相也。日は東より出づ。日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり。月は光あきらかならず。在世は但八年なり。日は光明月に勝れり。五々百歳の長き闇を照すべき瑞相也。仏は法華経謗法の者を治し給はず、在世には無きゆへに。末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此なり。各々我が弟子等はげませ給へ、はげませ給へ。(P1850)

 

天竺国を月氏国(1)という、釈迦仏が出現した国名である。扶桑国とは日本国という、どうして聖人が出現しないことがあろうか(2)。月が西から東に向かうのは、月氏国(インド)発祥の仏法が東へと流布する相である。日が東から出るのは、日本の仏法(3)が月氏国(インド)へ還るという瑞相である。月の光が明らかではないように、釈迦仏が法華経を説いて衆生を利益したのは8年という短いものであった(4)。日の光明が月に勝るのは、日蓮によって日本国に弘められた釈迦仏出世の本懐たる法華経が、今度は8年で終わることなく、第五の五百歳・末法の始めから未来までの長き闇を照らしゆく瑞相なのである。釈迦仏が法華経誹謗者を治すことがなかったのは、在世には謗る者が存在しなかったからである。しかし末法今の時には、一乗法華経を誹謗する強敵が充満することであろう。このような時代には、不軽菩薩の如く法華経を弘めて衆生を利益するのである。各々我が弟子等、ますます妙法蓮華経の弘法に励まれるべきである。(5)

 

1 月氏国

唐僧の玄奘(げんじょう・三蔵法師、602664)は求法の旅で110ヶ国を訪ね、28ヶ国を伝聞したが、その見聞録、地誌としてまとめられた「大唐西域記(だいとう さいいきき)」巻二にて、インドの別名を「月氏」としている。そこから中国や日本でも、インドに対する風雅な呼び方・名前=雅称として「月氏国」が定着したようだ。

 

2 聖人

聖人とは日蓮であることは、「聖人知三世事」(文永11年・真蹟)に「日蓮は一閻浮提第一の聖人也」と自らが記すところである。

 

3 日本の仏法

意訳すると「日本国で日蓮が弘めることによって末法に再生し『日蓮が法門』によって諸経中の最第一たることが証明された釈迦仏出世の本懐たる法華経」ではないか。

 

4 月は光あきらかならず。在世は但八年なり

「月の光が薄いように、釈迦仏の法華経が衆生を利益したのはわずか8年であった」、または「月の光が薄いように、釈迦仏の法華経の衆生利益は8年間だけの限定的なものであった」ではなく、「月の光が薄いように、釈迦仏が法華経で(=により=を説いて)衆生を利益したのは涅槃までの(=人生最後の)わずか8年であった」という意味だろう。前者では釈迦の説いた法華経は末法には無益で用なし=「釈迦仏教説・本懐法華経末法無益」となってしまう。ここでは後者の意味だろうし、意訳すると「釈迦仏は法華経で衆生を利益したのだが、それは最後のわずか8年だけであった。末法の時代の長さ、救うべき衆生の多さからすると月の光の如きもので、釈迦仏存命中に教えが届いた時空間はわずかなものであった」と読むべきではないか。該文は富士門流の一部で言われる「過去の仏たる釈尊の法華経と末法の本仏日蓮大聖人の仏法の勝劣を示され、釈尊の法華経は末法に用なしとされた」というものではなく、「諌曉八幡抄」以降も日蓮の教示には「然るに日本国皆釈迦仏を捨てさせ給ひて候に、いかなる過去の善根にてや法華経と釈迦仏とを御信心ありて、各々あつ()まらせ給ひて八日をくやう(供養)申させ給ふのみならず、山中の日蓮に華かう()ををく()らせ候やらん、たうとし、たうとし。(弘安517日 四條金吾殿御返事 八日講御書 真蹟断簡 P1906)とあり、釈迦仏を過去のものとはしていない。日蓮は最後まで「釈迦仏教説・本懐法華経末法利益」の立場なのである。

 

5 各々我が弟子等はげませ給へ=各々我が弟子等、ますます妙法蓮華経の弘法に励まれるべきである。

もちろん、日蓮が「日本の仏法の月氏へかへる」「日は光明月に勝れり。五々百歳の長き闇を照す」という時、そこには彼がその流布に身命を賭した妙法蓮華経の広宣流布の意が含まれていることも忘れてはならないだろう。

 

文永10年閏511日「顕仏未来記」(真蹟曽存)

本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布(P740)

 

文永1076日「富木殿御返事」(真蹟)

妙法蓮華経の五字の流布は疑ひ無きものか(P743)

 

文永11524日「法華取要抄」(真蹟)

問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。

 

「法華取要抄」

是くの如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑ひ無き者か。(P818)

 

建治元年「種種御振舞御書」(真蹟曽存)

仏滅後二千二百二十余年が間、迦葉・阿難等、馬鳴・龍樹等、南岳・天台等、妙楽・伝教等だにも、いまだひろめ給はぬ法華経の肝心、諸仏の眼目たる妙法華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろませ給ふべき瑞相に日蓮さきがけ(魁)したり。(P962)

 

弘安312月「諌暁八幡抄」 (真蹟)

今日蓮は去ぬる建長五年葵丑(みずのとうし)四月二十八日より、今弘安三年大歳庚辰(かのえたつ)十二月にいたるまで二十八年が間、又他事なし。只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計り也。此即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲也。(P1844)

 

                           身延山 山頂より
                           身延山 山頂より

【 釈迦仏と法華経、日本国と日蓮の思考 】

「諌暁八幡抄」の「日本の仏法」を考えるために、「釈迦仏、法華経、日本国」をキーワードとして日蓮の思考が窺える遺文を確認してみよう。

 

◇釈迦仏の説いた法華経には、仏に「主師親の三徳」がそなわると解釈される文がある。

 

・譬喩品第三の偈文

「今此の三界は皆是れ我が有なり」との「主の徳」

「其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」との「親の徳」

「而も今此の処は諸の患難多し、唯我一人のみ能く救護を為す」との「師の徳」

 

如来寿量品第十六偈文

「我が此の土は安穏にして天人常に充満せり」との「主の徳」

「常に法を説いて無数億の衆生を教化して」との「師の徳」

「我も亦為れ世の父」との「親の徳」

 

法華経そのものに、仏に「主師親三徳」の備わることが含まれている。日蓮が日本国に弘めたのは、この法華経であり、即ち彼は釈迦を仏とした教えを弘め、彼自身もそのことを強調するのである。譬喩品第三の偈文などは「南条兵衛七郎殿御書」(P320)、「法門可被申様之事」(P443)など多くの遺文に引用されるところで、建治36月の「下山御消息」(真蹟断片)には以下のようにある。

 

法華経の第二の巻に主と師と親との三つの大事を説き給へり。一経の肝心ぞかし。その経文に云く「今此の三界は皆是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり。而も今此の処は諸の患難多し。唯我一人のみ能く救護を為す」等云云。又此の経に背く者を文に説いて云く「復教詔すと雖も而も信受せず」乃至「其の人命終して 阿鼻獄に入らん」等云云。(P1340)

 

 

◇日蓮は法華経を通しての生身の釈迦仏への直参を説く、即ち「法仏一体」を教示する。

文永9年「四條金吾殿御返事(梵音声書)(日興本・北山本門寺)

釈迦仏と法華経の文字とはかはれども、心は一つなり。然れば法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあ()ひまい()らせたりとおぼしめすべし。(P666)

 

正嘉3年・正元元年「守護国家論」(真蹟曽存)

法華経に云はく「若し法華経を閻浮提に行じ受持すること有らん者は応に此の念を作すべし。皆是普賢威神の力なり」已上。

此の文の意は末代の凡夫法華経を信ずるは普賢の善知識の力なり。

又云はく「若し是の法華経を受持し読誦し正憶念(しょうおくねん)し修習し書写すること有らん者は、当に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼仏を見るなり。仏口より此の経典を聞くが如し。当に知るべし、是の人は釈迦牟尼仏を供養するなり」已上。

此の文を見るに法華経は釈迦牟尼仏なり。法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り、此の経を信ずる者の前には滅後たりと雖も仏の在世なり。(P123)

 

 

◇日蓮は釈迦を仏として尊信する。

 

文永元年1213日「南条兵衛七郎殿御書」(真蹟断片)

御所労の由承り候はまことにてや候らん。世間の定めなき事は病なき人も留(とど)まりがたき事に候へば、まして病あらん人は申すにおよばず。但心あらん人は後世をこそ思ひさだむべきにて候へ。又後世を思ひ定めん事は私にはかな()ひがたく候。一切衆生の本師にてまします釈尊の教こそ本にはなり候べけれ。(P319)

中略

法華経の第二(譬喩品第三)に云く「今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護 雖復教詔 而不信受」等云云。此の文の心は釈迦如来は此れ等衆生には親也、師也、主也。我等衆生のためには阿弥陀仏・薬師仏等は主にてましませども、親と師とにはましまさず。ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎりたてまつる。親も親にこそよれ、釈尊ほどの親、師も師にこそよれ、主も主にこそよれ、釈尊ほどの師主はありがたくこそはべれ。この親と師と主との仰せをそむかんもの、天神地祇にすてたれたてまつらざらんや。不孝第一の者也。(P320)

 

文永6年「法門可被申様之事」(真蹟)

法門申さるべきやう。選択をばうちを()きて、先づ法華経の第二の巻の今此三界の文を開きて、釈尊は我等が親父なり等定め了(おわ)るべし。(P443)

中略

釈尊は我等が父母なり。一代の聖教は父母の子を教へたる教経なるべし。()

中略

教と申すは師親のをしえ、詔と申すは主上(しゅじょう)の詔勅(みことのり)なるべし。仏は閻浮第一の賢王・聖師・賢父なり。されば四十余年の経々につきて法華経へうつ()らず、又うつれる人々も彼の経々をすてゝうつ()らざるは、三徳を備へたる親父の仰せを用ひざる人、天地の中にすむべき者にはあらず。(P445)

 

文永9218日「八宗違目抄」(真蹟)

法華経第二(譬喩品第三)に云く「今此三界 皆是我有」主国王世尊也。「其中衆生 悉是吾子」親父也。「而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護」導師。寿量品に云く「我亦為世父」文。(P525)

 

文永9年「四條金吾殿御返事(梵音声書)(日興本・北山本門寺蔵)

教主釈尊は一代の教主、一切衆生の導師なり。(P664)

 

文永9年「祈祷抄」(真蹟曽存)

仏は人天の主、一切衆生の父母なり。而も開導の師なり。(P676)

中略

釈迦仏独り主師親の三義をかね給へり。(P677)

 

文永11524日「法華取要抄」(真蹟)

此の土の我等衆生は五百塵点劫より已来教主釈尊の愛子なり。(P812)

 

建治元年58日「一谷入道御書」(真蹟断片)

梵王の一切衆生の親たるが如く、釈迦仏も又一切衆生の親なり。又此の国の一切衆生のためには教主釈尊は明師にておはするぞかし。父母を知るも師の恩なり。黒白を弁ふるも釈尊の恩なり。(P992)

中略

此の国の人々は一人もなく教主釈尊の御弟子(みでし)御民ぞかし。()

 

建治36月「下山御消息」(真蹟断片)

抑釈尊は我等がためには賢父たる上、明師なり聖主なり。一身に三徳を備へ給へる仏の仏眼を以て、未来悪世を鑑み給ひて記し置き給へる記文に云はく「我涅槃の後、無量百歳」云云。仏滅後二千年已後と見へぬ。又「四道の聖人悉く復涅槃せん」云云。付法蔵の二十四人を指すか。「正法滅後」等云云。像末の世と聞こえたり。(P1319)

 

建治3625日「頼基陳状(三位房龍象房問答記)(龍象問答抄)(再治本写本・未再治本写本 北山本門寺蔵)

所謂「今此の三界は皆是我が有なり。其の中の衆生は悉く是吾が子なり」文。文の如くば教主釈尊は日本国の一切衆生の父母なり、師匠なり、主君なり。阿弥陀仏は此の三の義ましまさず。而るに三徳の仏を閣(さしお)いて他仏を昼夜朝夕に称名し、六万八万の名号を唱へまします。あに不孝の御所作にわたらせ給はずや。(P1356)

 

弘安3529日「新田殿御書」(真蹟)

使ひの御志限り無き者か。経は法華経、顕密第一の大法なり。仏は釈迦仏、諸仏第一の上仏なり。行者は法華経の行者に相似たり。三事既に相応せり。檀那の一願必ず成就せんか。(P1752)

 

弘安3713(或は建治3)「盂蘭盆御書」(真蹟)

されば此等をもって思ふに、貴女は治部殿と申す孫を僧にてもち給へり。此の僧は無戒なり無智なり。二百五十戒一戒も持つことなし。三千の威儀一つも持たず。智慧は牛馬にるい()し、威儀は猿猴(えんこう)にに()て候へども、あを()ぐところは釈迦仏、信ずる法は法華経なり。例せば蛇の珠(たま)をにぎり、竜の舎利を戴けるがごとし。(P1775)

 

弘安396日「上野殿後家尼御前御書」(真蹟)

追申。此の六月十五日に見奉り候ひしに、あはれ肝ある者かな、男なり男なりと見候ひしに、又見候はざらん事こそかなしくは候へ。さは候へども釈迦仏・法華経に身を入れて候ひしかば臨終目出たく候ひけり。(P1793)

 

弘安517日「四條金吾殿御返事(八日講御書)(真蹟断片)

然るに日本国皆釈迦仏を捨てさせ給ひて候に、いかなる過去の善根にてや法華経と釈迦仏とを御信心ありて、各々あつ()まらせ給ひて八日をくやう(供養)申させ給ふのみならず、山中の日蓮に華かう()ををく()らせ候やらん、たうとし、たうとし。(P1906)

 

 

◇日蓮は釈迦仏が三界の国主であることを説く。

文永122または建治3821「神国王御書」(真蹟)

仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の師なり、主なり、親なり。三界の諸王は皆此の釈迦仏より分かち給ひて、諸国の総領・別領等の主となし給へり。(P881)

 

 

◇日蓮の宗教的世界観では三界は皆、釈迦仏の御所領である。

系年、文永初期「断簡53(真蹟)

是我有 其中衆生 悉是吾子等云云。この文のごとくならば、この三界は皆釈迦如来の御所領なり。寿量品に云く「我常に此の娑婆世界に在って」等云云。この文のごとくならば、過去五百塵点劫よりこのかた、此の娑婆世界は釈迦如来の御進退の国土なり。(P2496)

 

 

◇日蓮は、五百塵点劫より娑婆世界は釈迦仏の所領であることを説く。

建治元年58日「一谷入道御書」(真蹟断片)

娑婆世界は五百塵点劫より已来教主釈尊の御所領なり。大地・虚空・山海・草木一分も他仏の有ならず。又一切衆生は釈尊の御子なり(P992)

 

 

日蓮の宗教的世界観では日本国は釈迦仏の御所領である。

建治36月「下山御消息」(真蹟断片)

法華経出現の後は已今当の諸経の捨てらるゝ事は勿論也。たとひ修行すとも法華経の所従にてこそあるべきに、今の日本国の人々、道綽が未有一人得者、善導が千中無一、慧心が往生要集の序、永観が十因、法然が捨閉閣抛等を堅く信じて、或は法華経を抛ちて一向に念仏を申す者もあり、或は念仏を本として助けに法華経を持つ者もあり、或は弥陀念仏と法華経とを鼻を並べて左右に念じて二行と行ずる者もあり、或は念仏と法華経と一法の二名也と思ひて行ずる者もあり。此れ等は皆教主釈尊の御屋敷の内に居して、師主をば指し置き奉りて、阿弥陀堂を釈迦如来の御所領の内に毎国毎郷毎家々並べ立て、或は一万二万、或は七万返、或は一生の間、一向に修行して主師親をわすれたるだに不思議なるに、剰へ親父たる教主釈尊の御誕生御入滅の両日を奪ひ取りて、十五日は阿弥陀仏の日、八日は薬師仏の日等云云。一仏誕入の両日を東西二仏の死生の日となせり。是れ豈に不孝の者にあらずや。逆路七逆の者にあらずや。人毎に此の重科有りて、しかも人毎に我が身は科なしとおもへり。無慚無愧の一闡提人也。(P1339)

 

日蓮は浄土教を信奉する、また阿弥陀仏と法華経を並べ拝む、念仏を唱え法華経を読む等の浄土法華兼修信仰を批判。続いて日本での浄土教の展開を記述する中で、釈迦仏に主師親がそなわること、日本国は釈迦仏の御所領であるとの認識を示すのである。

 

 

◇日蓮の日本国に対する認識は「一乗(法華経)の御所領」である。

弘安3127日「秋元御書(筒御器抄)(日興写三行断片)

今法華宗の人人も又是くの如し。比叡山は法華経の御住所、日本国は一乗の御所領也。而るを慈覚大師は法華経の座主を奪取て真言の座主となし、三千の大衆も又其所従と成りぬ。(P1737)

 

「一乗(法華経)の御所領」である日本国。その国の仏法「日本の仏法」といえば、法華経にほかならないと言えるだろう。

 

 

釈迦仏の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足。

文永10425日「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」(真蹟)

私に会通を加へば本文を黷(けが)すが如し、爾(しか)りと雖も文の心は、釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。四大声聞の領解に云はく『無上宝聚、不求自得』云云。(P711)

中略

一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹(つつ)み、末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ。(P720)

 

日蓮は、釈迦仏の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足されると定義。この五字を受持することにより釈迦仏の因果の功徳が信奉者に譲り与えられる、即ち「受持即観心、自然譲与」を説く。また末代無智の凡夫には釈迦仏が大慈悲をおこして、妙法蓮華経の五字を授けるのであるとして、日蓮の宗教世界とその実践が易行であることを示すのである。

 

 

◇妙法曼荼羅は久遠仏=釈迦仏が五百塵点劫より心中におさめていた。

文永12216日「新尼御前御返事(与東條新尼書)(真蹟断片)

今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕はし、神力品嘱累品に事極まりて候ひしが、(P866)

中略

我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり、此にゆづ()るべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出ださせ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひて、あなかしこあなかしこ、我が滅度の後正法一千年、像法一千年に弘通すべからず。末法の始めに(P867)

中略

此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶(たす)け万民は難をのがれん。乃至後生の大火災を脱(のが)るべしと仏記しをかせ給ひぬ。而るに日蓮上行菩薩にはあらねども、ほゞ兼ねてこれをしれるは、彼の菩薩の御計らひかと存じて此の二十余年が間此を申す。()

 

日蓮は彼創案の妙法曼荼羅についても、久遠仏=釈迦仏が五百塵点劫より心中におさめていたが、法華経の見宝塔品第十一から寿量品第十六を中心に神力品第二十一、嘱累品第二十二にかけての霊鷲山虚空会の12品に説き顕されたのであり、「此の御本尊=妙法蓮華経の五字=五字の大曼荼羅」は上行等の地涌の菩薩に譲られて末法の時を待ってはじめて弘通されるもの、と定義する。日蓮は値難を重ねるごとに妙法曼荼羅の図顕を始めとして、彼独自の法門展開をなしていくのだが、それは久遠仏=釈迦仏教説を源流とし、また久遠仏=釈迦仏に還るものなのである。

 

 

◇一大秘法は釈迦仏より付属されたもの

文永12310日「曾谷入道殿許御書」(真蹟)

今親(まのあた)り此の国を見聞(けんもん)するに、人毎に此の二の悪有り。此等の大悪の輩は何なる秘術を以て之を扶救(ふぐ)せん。大覚世尊、仏眼を以て末法を鑑知(かんち)し、此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたまふ。(P900)

中略

爾の時に大覚世尊寿量品を演説し、然して後に十神力を示現して四大菩薩に付嘱したまふ。其の所属の法は何物ぞや。法華経の中にも広を捨てゝ略を取り、略を捨てゝ要を取る。所謂妙法蓮華経の五字、名体宗用教の五重玄なり。(P902)

中略

但此の一大秘法を持して本処(ほんじょ)に隠居するの後、仏の滅後、正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず。所詮仏専ら末世の時に限って此等の大士に付嘱せし故なり。()

 

日蓮は、一大秘法は釈迦仏より付属されたもの、と定義する。

 

 

◇日蓮は「本門の教主釈尊を本尊とすべ」きことを説く

建治2721日「報恩抄」(真蹟)

一つには日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。(P1248)

 

 

一閻浮提第一の仏本尊・法本尊

・文永10425日「観心本尊抄」(真蹟)

此の時、地涌千界出現して、本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。月支・震旦に末だ此の本尊有さず。(P720)

 

日蓮は当文で、自界叛逆・他国侵逼の二難興起の時に(私は国主の帰依を待ってと考えている)、一閻浮提第一の本尊=法華経本門寿量品の釈尊(久遠実成の釈尊)と四菩薩が造立されることを示す。

 

・「日蓮の曼荼羅讃文」

仏滅度後二千二百二()十余年之間一閻浮提之内未曾有大漫荼羅也

 

その讃文から、曼荼羅は「一閻浮提第一の本尊」であると考えられよう。

 

日蓮の本尊形態は「日蓮的両論並立思想」の典型例ともいえる「仏()・法並列」であり、そこに勝劣は認められない。

 

 

◇日蓮の法華経中心の日本国王観

文永6年「法門可被申様之事」

又、御持仏堂にて法門申したりしが面目なんどかゝれて候事、かへすがへす不思議にをぼへ候。そのゆへは僧となりぬ。其の上、一閻浮提にありがたき法門なるべし。設ひ等覚の菩薩なりともなにとかをもうべき。まして梵天・帝釈等は我等が親父釈迦如来の御所領をあづかりて、正法の僧をやしなうべき者につけられて候。毘沙門等は四天下の主、此等が門まぼり、又四州の王等は毘沙門天が所従なるべし。其の上、日本秋津島は四州の輪王の所従にも及ばず、但島の長なるべし。(P448)

 

日蓮は当書にて、

釈迦如来 > 大梵天王・帝釈天王=釈尊の領地を預かり正法を弘める僧を供養する > 毘沙門天、持国天、広目天、増長天の四天王=四天下の主=大梵天王・帝釈天王の門番 > 四州の王等=毘沙門天王が所従(家来) > 四州の転輪王の所従(家来) > 日本秋津島の国主等=但島の長

という法華経を中心とした宗教世界と現実世界にまたがる重層的階層関係を示し、日本国王は四州の転輪王の所従にも及ばない統治者と位置付けるのである。

 

 

日本国一同に日蓮が弟子檀那=法華経信奉者

弘安元年321日「諸人御返事」(真蹟)

三月十九日の和風(つかい)並びに飛鳥(ふみ)、同じく二十一日戌(いぬ)の時到来す。日蓮一生の間の祈請(きしょう)並びに所願忽(たちま)ちに成就せしむるか。将又(はたまた)五五百歳の仏記宛(あたか)も符契(ふけい)の如し。所詮真言・禅宗等の謗法の諸人等を召し合はせ是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那となり、我が弟子等、出家は主上・上皇の師となり、在家は左右の臣下に列ならん。将又一閻浮提皆此の法門を仰がん。幸甚(こうじん)幸甚。(P1479)

 

日蓮は諸宗との公場対決を行い、日本国一同に日蓮が弟子檀那となることを期していた。その時には日蓮の弟子等は朝廷の師となり、在家は左右の臣下に列なるとしている。そして全世界が日蓮の教説を仰ぐことになるだろう、というのである。日本国一同が日蓮が弟子檀那となる、即ち法華経信奉者となるということは、「日本の仏法」とは法華経であることを意味するものといえるだろう。

 

 

◇日蓮は、日本は法華経流布の国であるとする。

系年、正嘉3年・正元元年「守護国家論」(真蹟曽存)

問て云く 但法華の題目を聞くと雖も解心無くば如何にして三悪趣を脱れん乎。答て云く 法華経流布の国に生まれて此の経の題名を聞き信を生ずるは、宿善の深厚なるに依れり。設い今生は悪人無智なりと雖も必ず過去の宿善有るが故に此の経の名を聞いて信を致す者也。故に悪道に堕せず。(P127)

中略

問て云く 日本国は法華・涅槃有縁の地なりや、否や。答て云く 法華経第八に云く「如来の滅後に於て閻浮提の内に、広く流布せしめて断絶せざらしめん」。七の巻に云く「閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」。涅槃経第九に云く「此の大乗経典大涅槃経も亦復是の如し。南方の諸の菩薩の為の故に当に広く流布すべし」已上経文。三千世界広しと雖も仏自ら法華・涅槃を以て南方流布の所と定む。南方の諸国の中に於ては、日本国は殊に法華経の流布すべき処也。(P128)

 

日蓮の教示では、日本国は法華・涅槃有縁の地であり、法華経が流布する国である。その日蓮がいう「諌暁八幡抄」の「日本の仏法」とは、彼が日本国に弘めた仏法、即ち「日蓮がその最第一を主張することによって末法に再生し、『日蓮が法門』によって諸経中の最第一たることが証明された釈迦仏出世の本懐たる法華経」と理解できるだろう。

 

 

◇日本国は大乗の中の一乗・法華経の国である。

文永85月「十章抄」(真蹟)

当世の念仏は法華経を国に失う念仏なり。設ひぜん()たりとも、義分あ()たれりというとも、先づ名をい()むべし。其の故は仏法は国に随ふべし。天竺には一向小乗・一向大乗・大小兼学の国あ()ひわ()かれたり。震旦(しんだん)亦復(またまた)是くの如し。日本国は一向大乗の国、大乗の中の一乗の国なり。華厳・法相・三論等の諸大乗すら猶相応せず。何に況んや小乗の三宗をや。(P491)

 

日蓮は、日本国はすべてが純粋に大乗仏教の国であり、大乗の中でも一乗・法華経の国である、とする。彼にとっては法華経の国・日本なのであり、即ち「日本の仏法」とは「法華経の国の仏法」であるから、「日蓮の主張・勧奨により末法に再生し、『日蓮が法門』によって諸経中の最第一たることが証明された釈迦仏出世の本懐たる法華経」であるといえよう。

 

 

◇日本国において生死を離るべき法、日本国有縁の法。

文永元年1213日「南条兵衛七郎殿御書」(真蹟断片)

抑日本国はいかなる教を習ってか生死を離るべき国ぞと勘えたるに、法華経に云く「閻浮提の内に、広く流布せしめて断絶せざらしめん」等云云。此の文の心は、法華経は南閻浮提の人のための有縁の経也。弥勒菩薩の云く「東方に小国有り。唯大機のみ有り」等云云。此の論の文の如きは、閻浮提の内にも東の小国に大乗経の機ある歟。肇公の記に云く「茲の典は東北の小国に有縁なり」等云云。法華経は東北の国に縁ありとかかれたり。安然和尚の云く「我が日本国皆大乗を信ず」等云云。慧心の一乗要決に云く「日本一州円機純一」等云云。釈迦如来・弥勒菩薩・須利耶蘇摩三蔵・羅什三蔵・僧肇法師・安然和尚・慧心先徳等の心ならば、日本国は純に法華経の機也。一句一偈なりとも行ぜば必ず得道なるべし。有縁の法なるが故也。(P323)

 

日蓮は、日本国は法華経が有縁の法であり、この国は法華経の機であり、法華経を習って生死を離れるべき国である、とする。その法華経を「一句一偈なりとも行ぜば必ず得道」と教示するのである。日蓮のいう「日本の仏法」とは、彼が日本国の仏教の機、有縁の法、成仏得道の法とした法華経、即ち「日蓮の主張・勧奨により末法に再生し、『日蓮が法門』によって諸経中の最第一たることが証明された釈迦仏出世の本懐たる法華経」と理解できるのである。

 

 

仏が一切衆生に与えた経典・一切衆生が唱え成仏得道を期すべき経典

建治元年4月「法蓮抄」(真蹟曽存・真蹟断片)

今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり。所謂地獄の一人・餓鬼の一人乃至九界の一人を仏になせば、一切衆生皆仏になるべきことはり()顕はる。譬へば竹の節を一つ破()りぬれば余の節(ふし)(また)破るゝが如し。

囲碁と申すあそびにしちゃう()と云ふ事あり。一つの石死ぬれば多くの石死ぬ。法華経も又此くの如し。金(かね)と申すものは木草を失ふ用を備へ、水は一切の火をけす徳あり。法華経も又一切衆生を仏になす用おはします。(P943)

中略

仏は法華経をさとらせ給ひて、六道四生の父母孝養の功徳を身に備へ給へり。此の仏の御功徳をば法華経を信ずる人にゆづり給ふ。例せば悲母の食ふ物の乳となりて赤子を養ふが如し。「今此三界皆是我有、其中衆生悉是吾子」等云云。教主釈尊は此の功徳を法華経の文字となして一切衆生の口になめさせ給ふ。赤子の水火をわきまへず毒薬を知らざれども、乳を含めば身命をつぐが如し。(P944)

中略

今の法蓮上人も又此くの如し。教主釈尊の御功徳御身に入りかはらせ給ひぬ。(P945)

 

日蓮は一切衆生を仏とする秘術ある経典は法華経である、釈迦仏は自らの功徳を法華経の文字に留めて一切衆生に唱えさせんとするのである、と教示。仏が一切衆生に与えた法華経、一切衆生が唱え成仏得道を期すべき経典・法華経なのだから、日蓮が「日本の仏法」という時それは法華経を意味しているといえるだろう。

 

 

◇若有聞法者 無一不成仏

弘安372日「千日尼御返事(阿仏房書)(真蹟)

法華経に云く「若し法を聞くことあらん者は一りとして成仏せずということなけん」等云云。文字は十字にて候へども法華経を一句よみまいらせ候へども、釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候なるぞ。故に妙楽大師云く「若し法華を弘むるには、凡そ一義を消するも皆一代を混じて其の始末を窮めよ」等云云。(P1759)

中略

此より外の阿含経・方等経・般若経等は五千・七千余巻なり。此等の経々は見ずきかず候へども、但法華経の一字一句よみ候へば、彼々の経々を一字もを()とさずよむにて候なるぞ。

(たと)へば月氏・日本と申すは二字、二字に五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国(ぞくさんこく)の大地・大山・草木・人畜等をさまれるがごとし。譬へば鏡はわづかに一寸・二寸・三寸・四寸・五寸と候へども、一尺・五尺の人をもうかべ、一丈・二丈・十丈・百丈の大山をもうつ()すがごとし。

されば此の経文をよみて見候へば、此の経をき()く人は一人もか()けず仏になると申す文なり。(P1759)

中略

法華経に値()はずばなにかせん。大悪もなげ()く事なかれ、一乗を修行せば提婆が跡をもつぎなん。此等は皆無一不成仏の経文のむなしからざるゆへぞかし。(P1761)

中略

追申。絹の染め袈裟一つまいらせ候。豊後房(ぶんごぼう)に申さるべし。既に法門日本国にひろまりて候。北陸道をば豊後房なびくべきに学生(がくしょう)ならでは叶ふべからず。九月十五日已前にいそぎいそぎまいるべし。 

 

日蓮は「妙法蓮華経方便品第二」の「若有聞法者 無一不成仏」を引用し、「法華経を一句」読むのは「釈迦如来の一代聖教」を残らず読むのに等しく、聴聞者は一人も欠けることなく仏になるとする。追伸では、絹染の袈裟一つを送ったが、これは豊後房宛てのものであることを伝えるよう依頼。また北陸道は、豊後房が導師として教導すべきだが更に学問に励むよう促し、915日以前に急いで身延に来るように記している。その中で「既に法門は日本国に広まっている」とするが、日本国に広まっている法門とは文中で説示した「若有聞法者 無一不成仏」の経典、即ち「釈迦仏出世の本懐たる法華経」といえるだろう。「法門申しはじめ」以降から変わることなく、弘安37月当時の日蓮は日本国に弘めている経典・法華経の功徳を力説するのである。「千日尼御返事(阿仏房書)」についても、「日本の仏法」を考える際の参考になる遺文といえるだろう。

 

 

◇日蓮は釈迦仏の使いとして「法華経最第一」を主張し、妙法蓮華経を弘めている。

系年文永9年「四条金吾殿御返事(梵音声書)(日興本)

但し法華経に云く「若し善男子善女人我が滅度の後に能く竊かに一人の為にも法華経の乃至一句を説かん、当に知るべし是の人は則ち如来の使如来の所遣として如来の事を行ずるなり」等云云、法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり、然れば日蓮賎身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり、此れを一言もそしらん人人は罪を無間に開き一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにもすぎたりと見えたり。(P664)

 

建治元年58日「一谷入道御書」(真蹟断片)

日蓮は愚かなれども、釈迦仏の御使ひ・法華経の行者なりとなのり候を(P996)

 

建治元年「種種御振舞御書」(真蹟曽存)

日蓮は幼若の者なれども、法華経を弘むれば釈迦仏の御使ひぞかし(P976)

 

建治399日「兵衛志殿御書」(真蹟断片)

今度は又此の調伏三度なり。今我が弟子等死したらん人々は仏眼をもて是を見給ふらん。命つれなくて生きたらん眼(まなこ)に見よ。国主等は他国に責めわたされ、調伏の人々は或は狂死、或は他国或は山林にかく()るべし。教主釈尊の御使ひを二度までこうぢ(街路)をわたし、弟子等をろう()に入れ、或は殺し或は害し、或は所国をお()ひし故に、其の科(とが)必ず国々万民の身に一々にかゝ()るべし。(P1388)

 

 

◇日蓮は、釈迦の教説を末法に伝える「如来の使い」とは、法華経弘通故の大難に遭遇した自らであるとする。

文永92月「開目抄」(真蹟曽存)

日蓮だにも此の国に生まれずは、ほとをど(殆)世尊は大妄語の人、八十万億那由他の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし(P559)

日蓮より外の諸僧、たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ、刀杖等を加えらるる者ある。日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ。()

末法の始めのしるし、恐怖悪世中の金言のあうゆえに、但日蓮一人これをよめり。(P560)

日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん。()

 

 

◇日蓮の主師親

建治元年58日「一谷入道御書」(真蹟断片)

日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし。(P996)

 

建治36月「下山御消息」(真蹟断片)

余は日本国の人々には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり。一には父母也、二には師匠也、三には主君の御使也(P1331)

 

建治元年「撰時抄」(真蹟)

法華経をひろむる者は日本の一切衆生の父母なり。章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是彼が親なり」等云云。されば日蓮は当帝の父母、念仏者・禅衆・真言師等が師範なり、又主君なり。(P1018)

 

日蓮が「我れに主師親三徳あり」とするのは自らをして「仏に等しい、仏である」とするものではないだろう。

 

同じ「下山御消息」には、

抑釈尊は我等がためには賢父たる上、明師なり聖主なり。一身に三徳を備へ給へる仏の仏眼を以て~(P1319とある。

 

「一谷入道御書」には、

梵王の一切衆生の親たるが如く、釈迦仏も又一切衆生の親なり。又此の国の一切衆生のためには教主釈尊は明師にておはするぞかし。父母を知るも師の恩なり。黒白を弁ふるも釈尊の恩なり。(P992)~中略~此の国の人々は一人もなく教主釈尊の御弟子御民ぞかし。()

とある。

 

日蓮の弘法によって釈迦の教えは真実と証明され、姿形なき釈迦が末法今の時、法華経信仰世界には実在することになる。仏語・法華経を証明し、日本国の民を釈迦仏・法華経へ誘う導師・日蓮である故に、仏の「主師親三徳」を継承する如来使であると説くのではないか。

 

                         身延山 山頂より
                         身延山 山頂より

【 日本の仏法・日蓮が法門によって最第一が証明された法華経 】

これまでの遺文をまとめて、日蓮が何を説いたのかを見てみよう。

 

・法華経信仰は経典を通して生身の釈迦仏へ直参するところから始まる、法仏一体である。

・帰依し尊信する仏は釈迦仏である。

・三界の国主とは釈迦仏である。

・釈迦仏の因行果徳の二法が妙法蓮華経の五字に具足している。

・曼荼羅について、釈迦仏が五百塵点劫より心中におさめていたものであると定義。

・曼荼羅について、法華経見宝塔品第十一から寿量品第十六を中心に神力品第二十一、嘱累品第二十二にかけての霊鷲山虚空会の12品に説き顕された。

・御本尊=妙法蓮華経の五字=五字の大曼荼羅は上行等の地涌の菩薩に譲られて、末法の時を待ってはじめて弘通されるものと定義。

・上行菩薩等の聖人が日本国に出現して、本門の三つの法門を建立することを宣言。

・本門の本尊、妙法蓮華経の五字が一閻浮提に広宣流布する。

・本尊観は「日蓮的両論並立思想」の典型例ともいえる「仏()・法並列」で、具体的には仏本尊と法本尊である。

・日本と法華経の関係は、有縁の法、法華経の国、法華経流布の国とする。

・娑婆世界は五百塵点劫より釈迦仏の所領であり、日本国は法華経の御所領である。

・日本国王観について、法華経中心の宗教世界と現実世界にまたがる重層的階層関係を示す。

・日本国一同に日蓮が弟子檀那=法華経信奉者となることを期していた。ただし、「一同」とは必ずしも「全て、全員、一人も漏れなく」を意味するものではない。

・法華経による成仏観として、日本国において生死を離るべき法、此の経を聞く人は一人も欠けず仏になる。同じく、仏が一切衆生に与えた経典は法華経であり、一切衆生が唱え成仏得道を期すべき経典も法華経である。

・宗教的立場は法華経弘通故の大難にあった自らこそ、釈迦仏の教説を末法に伝える「如来の使い」である。

・布教実践は釈迦仏の使いとして「法華経最第一」を主張し、妙法蓮華経を弘めるもの。

・末法において釈迦仏の教説・法華経を弘める自らは、仏の主師親継承者であるとする。

・釈迦仏の説いた法華経には仏に「主師親の三徳」がそなわることが含まれており、日蓮は多くの遺文で引用している。

 

日蓮の宗教世界は釈迦仏・法華経から始まり、末法、具体的には鎌倉時代の日本国において日蓮的な開花をなし、それは結果として未来への源流となるものだった。仏教者日蓮の出発は経典世界であり、文字の彼方にある真実を読み取り、彼の内面世界において釈迦仏に直参。釈迦仏との邂逅の中で、最第一の経典たる法華経流布を期すと共に、肝心の法たる妙法蓮華経の専修を我がものとした。法華勧奨開始以降の値難により「日蓮が法門」が次第に作られ、その典型は日蓮が「釈迦仏の御使ひ(P996一谷入道御書 真蹟断片)法華経を弘むれば釈迦仏の御使ひぞかし(P976・種種御振舞御書 真蹟曽存)として、かつ「上行菩薩出現於世 始弘宣之」(通称・万年救護本尊讃文)と自己が釈迦仏より付属された上行菩薩であることを暗示しながら創案した「本門の本尊と戒壇と題目の五字(P815・法華取要抄 真蹟)本門の三つの法門(P818・同) (1)といえるだろう。「日蓮が法門=本門の本尊と戒壇と題目の五字」は彼の主題である「法華経最第一」を大地とする大木のようなもので、共に在ることにより娑婆世界に「大いなる恵み」をもたらすものだった。釈迦仏の法華経、日蓮が法門のどちらかが上、下というものではなく、釈迦仏は日蓮があって末法に再生し、日蓮は釈迦仏がありてこそ上行自覚を秘めたる日蓮足り得たという、共に在るものあらねばならぬものだったのである。このような釈迦仏・法華経・日蓮とその法門の関係からすれば、「日本の仏法」とは「日本国で日蓮が弘めることによって末法に再生し『日蓮が法門』によって諸経中の最第一たることが証明された釈迦仏出世の本懐たる法華経」というものではないだろうか。

 

1

山中喜八氏は論考「一尊四士と大漫荼羅」(「日蓮聖人真蹟の世界・上」1992 雄山閣出版)において、「筆者は一個の擬案に逢着する。それは、『大漫荼羅は、一旦開出した三秘を再び一図に統会されたものではあるまいか』という一事である。すなわち『大漫荼羅は三大秘法を輪円具足して図顕されたもの』とするのが筆者の懐いている信解である。」(P439)、「大漫荼羅に三秘具足の妙相を窺うとき、第一の本門の本尊は一尊四士である。第二の本門戒壇は大漫荼羅の全体であって、一尊四士は授戒の三師、多宝如来ならびに分身諸仏は証師、その他の聖衆は同学等侶である。そして、現存聖人自筆の大漫荼羅の儀相に見る、存没恒ならざる諸尊諸衆は、すべてこの同学等侶の儔類(ちゅうるい)なのである。第三の本門題目は中央の首題である。」(P440)「以上の縷述(るじゅつ)を要約すれば、『一尊四士は三秘中の一科たる本門本尊であり、大漫荼羅は三秘円具の本尊である。』というに尽きる。」(P440)

とされているが、私の理解するところを以下に記していこう。

 

これまで「台密と日蓮」「日蓮の本尊観」等で見てきたように、日蓮は曼荼羅図顕を開始して以降、本尊形態は「仏(釈迦仏像)・法(曼荼羅)並列」であってそこに勝劣は認められなかった。これは本尊観における「日蓮的両論並立思想」の表れといえるものだと思う。これを「本門の本尊」という観点から認識すれば、「本門の仏本尊・本門の法本尊」として考えられるのではないだろうか。

 

鎌倉や身延の草庵に奉安され日蓮と弟子檀越が拝した釈迦仏像や、門下造立の釈迦仏像に対する日蓮の讃嘆・教示によれば、これらも法華経本門・如来寿量品第十六の久遠実成の釈尊を末法に顕した「本門の本尊」であると理解できるのではないか。もちろん、曼荼羅も釈迦仏が五百塵点劫より心中におさめ、付属を受けた上行菩薩が末法に顕した「本門の本尊」である。まとめれば、日蓮の本尊形態は「仏(釈迦仏像)・法(曼荼羅)並列」で、「本門の本尊には仏(釈迦仏像)本尊と法(曼荼羅)本尊がある」となると思うのだ。

 

そして「一閻浮提第一の本尊」としてとらえれば、「本門の(曼荼羅)本尊」は図顕讃文に「仏滅度後二千二百二()十余年之間一閻浮提之内未曾有大漫荼羅也」とあるように、そのまま「本門の(曼荼羅)本尊=一閻浮提第一の法本尊」となると考えるが、「本門の仏(釈迦仏像)本尊」が一閻浮提第一の本尊」となるには釈迦一仏のみの造立では足りないのではないか。即ち「観心本尊抄」の「此の時、地涌千界出現して、本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。月支・震旦に末だ此の本尊有さず。」(P720) に示されたところの条件ともいうべき、四菩薩の造立により中央の釈迦仏を法華経本門寿量品の釈尊(久遠実成の釈尊)と顕すことが必要で、これにより「一尊四士」が「一閻浮提第一の仏本尊」となるのではないだろうか。(一尊四士が日蓮在世に造立されなかった理由、またその造立は「国主帰依の時を期していた」であろうこと、一閻浮提第一の本尊に「仏・法」があるのではないか、ということは「観心本尊抄一考」で考えた)

 

日蓮在世中に日蓮と檀越により造立された釈迦一体仏は、釈迦仏の木像一体」(P1182・四條金吾釈迦仏供養事 真蹟断片)を「此の仏こそ生身の仏にておはしまし候へ」()と日蓮が教示するように、そのままが「本門の仏本尊」になるのだが、やはり「一閻浮提第一の本尊」という時は出典たる「観心本尊抄」の教示によるべきだと考えるのである。

以上、(1)の項終了。

 

【 日蓮の法華経化から法華経の日蓮化・日蓮法華教 】

注意を要するのは、「妙法蓮華経の五字・一大秘法・御本尊・五字の大曼荼羅」について、日蓮は釈迦仏の因行果徳の二法が「妙法蓮華経の五字」に具足すると定義し、それを久遠仏=釈迦仏より付属を受けたと主張して自らの実践面・教理面の骨格としていることだ(このことを証する人はどこにもいない。彼独自の宗教世界の彼だけが知り得るものである)

 

このような釈迦仏の因行果徳の二法が具足したとする妙法蓮華経の内実、妙法蓮華経の法華経信仰世界における付属、そして法華経教説中より日蓮が独自に創案した「本門の本尊(仏と法)と戒壇と題目の五字」というものは、法華勧奨の実践から自己の内観世界の成熟に伴い法華行者たるの自覚が高じて、値難の喧騒・連続の彼方に至って釈迦仏より付属を受けたとの達観となり、釈迦仏の教説を母胎として彼独自の宗教的使命感から定義され創出されたもの、と理解されるのである。全くの新しい法門ではなく釈迦仏教説に教理的基盤を置き、そこから具現化されたものが「日蓮が法門」と解されることは、日蓮にとっては「一身に三徳を備へ給へる仏」(P1319下山御消息 真蹟断片)の教説たる、法華経の最第一であることを可視的世界に顕したものにほかならない、ということになるだろう。彼の本門の本尊と戒壇と題目の五字=本門の三つの法門」との自己による定義こそ、「釈迦仏教説法華経・諸経中最第一」を証明するものと考えられるのである。

 

釈迦仏・法華経ありて「日蓮が法門」となり、生み出されたものは母胎を越えるのではなく、表現上は個別に顕されるものであっても、その根は一つで教理面も一体のものであると理解できるだろう。日蓮の法華経信仰の展開は「日蓮の法華経化」から「法華経の日蓮化」で、結果として「法華経即日蓮・日蓮即法華経」に至った、それは自らを釈迦仏の正統とする「日蓮法華教」といえるものだったのではないだろうか。

 

                           本栖湖より
                           本栖湖より

【 「日蓮が法門」出典遺文 】

文永7年「善無畏三蔵抄」(真蹟推定断簡)

譬ば栴檀は伊蘭より生じ、蓮華は泥より出たり。而るに念仏は無間地獄に堕ると申せば、当世、牛馬の如くなる智者どもが日蓮が法門を仮染にも毀るは、糞犬(やせいぬ)が師子王をほ()へ、癡猿(こざる)が帝釈を笑ふに似たり。(P476)

 

文永12(建治2)416日「兄弟抄」(真蹟)

設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして、只法華経の事のみさはぐらせ給うべし。中にも日蓮が法門は古へこそ信じかたかりしが、今は前前いひをきし事既にあひぬれば、よし()なく謗ぜし人人も悔ゆる心あるべし。設とひこれより後に信ずる男女ありとも、各各にはか()へ思ふべからず。始は信じてありしかども、世間のをそろしさにすつる人人かずをしらず。其中に返て本より謗ずる人々よりも強盛にそしる人々又あまたあり。在世にも善星比丘等は始は信じてありしかども、後にすつるのみならず、返て仏をはうじ奉りしゆへに、仏も叶い給はずね無間地獄にをちにき。此御文は別してひやうへの志殿へまいらせ候。又太夫志殿の女房・兵衛志殿の女房によくよく申しきかせさせ給うべし。きかせさせ給うべし。(P933)

 

建治3625日「頼基陳状(三位房龍象房問答記)(龍象問答抄)(再治本写本・未再治本写本 北山本門寺蔵)

去文永八年太歳辛未六月十八日大旱魃の時、彼の御房祈雨の法を行ひて万民をたすけんと申し付け候由、日蓮聖人聞き給て、此体(これてい)は小事なれども此の次でに日蓮が法験を万人に知らせばやと仰せありて、良観房の所へ仰せつかはすに云く、七日の内にふらし給はば、日蓮が念仏無間と申す法門すてて、良観上人の弟子と成りて二百五十戒持つべし。雨ふらぬほどならば、彼の御房の持戒げなるが大誑惑なるは顕然なるべし。上代も雨祈に付て勝負を決したる例これ多し。所謂護命と伝教大師と、守敏と弘法と也。仍て良観房の所へ周防房・入沢の入道と申す念仏者を遣わす。御房と入道は良観が弟子又念仏者也。いまに日蓮が法門を用る事なし。是を以て勝負とせむ。七日の内に雨降るならば、本の八斎戒・念仏を以て往生すべしと思うべし。又雨らずば一向に法華経になるべしといはれしかば、是等悦びて極楽寺の良観房に此の由を申し候けり。良観房悦びな()いて七日の内に雨ふらすべき由にて~(P1353)

 

弘安元年41日「上野殿御返事(法要書)(日興本要検討 大石寺蔵)

此人の先世の宿業かいかなる事ぞ、臨終に南無妙法蓮華経と唱へさせ給ひける事は。一眼のかめ()の浮木の穴に入り、天より下(くだす)いと()の大地のはり()の穴に入るがごとし。あらふしぎ(不思議)ふしぎ。又念仏は無間地獄に堕つると申す事をば、経文に分明なるをばしらずして皆人日蓮が口より出たりとおもへり。天はまつげ(睫毛)のごとしと申すはこれなり。虚空の遠きと、まつげの近きと人みなみる事なり。此尼御前は日蓮が法門だにひが事に候はば、よも臨終には正念には住し候はじ。

又日蓮が弟子等の中になかなか法門しりたりげに候人々はあしく候げに候。南無妙法蓮華経と申すは法華経の中の肝心、人の中の神のごとし。(P1491)

 

弘安元年101日「富木入道殿御返事(禀権出界抄)(真蹟)

(系年は昭和定本によるが、実際は文中の記事から推して弘安2)

法華経と爾前と引き向けて勝劣浅深を判ずるに、当分跨節の事に三つの様有り。日蓮が法門は第三の法門なり。世間に粗夢の如く一・二をば申せども、第三をば申さず候。第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了へず。所詮末法の今に譲り与へしなり。五五百歳とは是なり。(P1589)

 

弘安5228日「法華証明抄(死活抄)(真蹟)

しかるにこの上野の七郎次郎は末代の凡夫、武士の家に生れて悪人とは申すべけれども、心は善人なり。其の故は日蓮が法門をば上一人より下万民まで信じ給はざる上、たまたま信ずる人あれば、或は所領或は田畠等にわづらひをなし、結句は命に及ぶ人々もあり。信じがたきにちち故上野殿は信じまいらせ候ぬ。又此者敵子となりて、人もすすめぬに心中より信じまいらせて、上下万人にあるひはいさめ、或はをどし候つるに、ついに捨つる心なくて候へば、すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔外道が病をつけてをどさんと心み候か。命はかぎりある事なり、すこしもをどろく事なかれ。(P1911)

 

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