日蓮遺文・法華経の行者、上行菩薩 1

日蓮遺文中の「法華経の行者」「上行菩薩」「日蓮の主師親自覚」など、主だったものを概観してみよう(全ての使用例ではありません)。また、日蓮の宗教的使命感とその高まり、展開も併せて確認したいと思う。

 

*法華真言の行者

源空と弟子達が法華真言の行者を群賊・悪衆・悪見之人等と罵っている

正元元年(1259)「守護国家論」(真蹟曽存)

問て云く 上に挙ぐる所の曇鸞・道綽・善導・慧心等の諸師、皆法華・真言等の諸経に於て末代不相応の釈を作る。之に依て源空並びに所化の弟子、法華・真言等を以て雑行と立て、難行道と疎み、行者をば群賊・悪衆・悪見之人等と罵り、或は祖父の履に類し・聖光房の語、或は絃歌等にも劣ると云う・南無房の語。其の意趣を尋ぬれば偏に時機不相応の義を存するが故也。此れ等の人師の釈を如何に之を会すべき乎。(P103)

 

実経の行者

源空が実経の行者を罵る罪は、未来永劫浮かび難いものである

「守護国家論」

而るを源空深く此の義に迷うが故に、往生要集に於て僻見を起こし自ら失い他をも誤る者也。適たま宿善有って実経に入りながら一切衆生を化して権教に還らしめて、剰え実経を破せしむ。豈に悪師に非ず乎。彼の久遠下種・大通結縁の者の五百・三千塵点を経る如きは、法華の大教を捨てて爾前の権小に還るが故に、後には権教をも捨て六道に回りぬ。不軽軽毀之衆は千劫阿鼻地獄に堕つ。権師を信じて実経を弘むる者に誹謗を作したるが故也。而るに源空、我が身唯実経を捨てて権経に入るのみに非ず。人を勧めて実経を捨てて権経に入らしめ、亦権人をして実経に入らしめず。剰え実経の行者を罵る之罪、永劫にも浮かび難からん歟。(P112)

 

*法華・涅槃を信ずる行者

法華・涅槃を信ずる行者の所住の処は即ち浄土である

「守護国家論」

問て云く 法華経修行の者、何れの浄土を期す耶。
答て曰く 法華経二十八品の肝心たる寿量品に云く「我常に此の娑婆世界に在って」。亦云く「我常に此に住すれども」。亦云く「我が此の土は安穏にして」文。此の文の如くんば本地久成の円仏は此の世界に在せり。此の土を捨て、何れの土を願うべき乎。故に法華経修行の者の所住之処を浄土と思うべし。何ぞ煩わしく他処を求めん乎。故に神力品に云く「若しは経巻所住の処あらん。若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、乃至 当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり」。涅槃経に云く「若し善男子、是の大涅槃微妙の経典流布せらる処は、当に知るべし、其の地は即ち是れ金剛なりと。是の中の諸人も亦金剛の如し」已上。法華・涅槃を信ずる行者は余処に求むべきに非ず。此の経を信ずる人の所住の処は即ち浄土也。(P129)

 

法華経の行者

一般的なもの、法華経を正しく行ずる者として

「守護国家論」

大文の第七 問に随って答う。

若し末代の愚人上の六門に依て万が一も法華経を信ぜば、権宗の諸人、或は自ら惑えるに依り、或は偏執に依て法華経の行者を破せんが為に多く四十余年竝びに涅槃等の諸経を引いて之を難ぜん。而るに権教を信ずる人は之多く、或は威勢に依り、或は世間の資縁に依て人の意に随って世路を互らんが為にし、或は権教には学者多く実経には智者少なし。是非に就いて万が一も実経を信ずる者有るべからず。是の故に此の一段を撰んで権人の邪難を防がん。(P132)

 

答て云く 法華経の行者は心中に四十余年已今当・皆是真実・依法不依人等の文を存して而も外に語に之を出さず。難に随って之を問うべし。抑そも所立の宗義何の経に依る乎、と。彼経を引かば引くに随って亦之を尋ねよ。一代五十年之間の説之中に法華経より先歟、後歟、同時なる歟、亦先後不定なる歟、と。若し先と答えば、未顕真実之文を以て之を責めよ。敢えて彼の経の説相を尋ぬること勿れ。後と答えば、当説の文を以て之を責めよ。同時なりと答えば、今説之文を以て之を責めよ。不定と答えば、不定の経は大部の経に非ず。一時一会の説にして亦物の数に非ず。其の上不定の経と雖も三説を出ず。(P133)

 

*法華経の行者

日蓮は自己を、従来より表されている「日本国の法華経の持経者」とはせず、法華経身読による経文説示の値難との合致により「日本第一の法華経の行者」とする

文永元年(1264)1213日「南条兵衛七郎殿御書」(真蹟)

今年も十一月十一日、安房国東条の松原と申す大路にして、申酉(さるとり)の時、数百人の念仏等にま()ちかけられ候ひて、日蓮は唯一人、十人ばかり、ものゝ要にあ()ふものわづ()かに三四人なり。い()るや()はふ()るあめ()のごとし、う()つたち(太刀)はいなづま()のごとし。弟子一人は当座にうちとられ、二人は大事のて()にて候。自身もき()られ、打たれ、結句にて候ひし程に、いかゞ候ひけん、う()ちも()らされていま()ゝでい()きてはべり。いよいよ法華経こそ信心まさりて候へ。

第四の巻に云はく「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し況んや滅度の後をや」と。第五の巻に云はく「一切世間怨多くして信じ難し」等云云。日本国に法華経よみ学する人これ多し。人のめ()をねらひ、ぬすみ等にて打ちはらるゝ人は多けれども、法華経の故にあや()またるゝ人は一人もなし。されば日本国の持経者はいまだ此の経文にはあ()わせ給はず。唯日蓮一人こそよ()みはべれ。「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」是なり。されば日蓮は日本第一の法華経の行者なり。もしさき()にた()ゝせ給はゞ、梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給ふべし。日本第一の法華経の行者日蓮房の弟子なりとなの(名乗)らせ給へ。(P327)

 

*仏経・行者・檀那

仏経、行者、檀那の三事が相応して一事を成す

文永6年(1269)59日「問注得意抄」(真蹟)

是の如き事、書札に尽くし難し。心を以て御斟酌有るべきか。此れ等の嬌言を出だす事、恐れを存すと雖も、仏経と行者と檀那と三事相応して一事を成ぜんが為に愚言を出だす処也。(P439)

 

*法華経の行者

心中では法華経の行者と存しても、口に南無阿弥陀仏と唱えるならば念仏者であり、法華経を捨てる人である。

文永6年(1269)「法門可被申様之事」(真蹟)

天台宗の人々は我が宗は正なれども、邪なる他宗と同ずれば我が宗の正をもしらぬ者なるべし。譬へば東に迷ふ者は対当の西に迷ひ、東西に迷ふゆへに十方に迷ふなるべし。外道の法と申すは本内道より出でて候。而れども外道の法をもて内道の敵となるなり。諸宗は法華経よりいで、天台宗を才学として而も天台宗を失ふなるべし。天台宗の人々は我が宗は実義とも知らざるゆへに、我が宗のほろ()び、我が身のかろくなるをばしらずして、他宗を助けて我が宗を失ふなるべし。法華宗の人が法華経の題目南無妙法蓮華経とはとな()えずして、南無阿弥陀仏と常に唱へば、法華経を失ふ者なるべし。例せば外道は三宝を立て、其の中に仏宝と申すは南無摩醯修羅天(まけいしゅらてん)と唱へしかば、仏弟子は翻邪(ほんじゃ)の三帰と申して南無釈迦牟尼仏と申せしなり。此をもって内外のしるしとす。南無阿弥陀仏とは浄土宗の依経の題目なり。心には法華経の行者と存ずとも南無阿弥陀仏と申さば傍輩は念仏者としりぬ。法華経をすてたる人とをも()うべし。叡山の三千人は此の旨を弁へずして王法にもすてられ叡山をもほろ()ぼさんとするゆへ()に、自然に三宝に申す事叶はず等と申し給ふべし。(P450)

 

*聖人

日蓮は聖人の一分にあたるのである

「法門可被申様之事」

但し日本国には日蓮一人計りこそ世間・出世正直の者にては候へ。其の故は故最明寺入道に向かひて、禅宗は天魔のそい(所為)なるべし。のちに勘文もてこれをつげしらしむ。日本国の皆人無間地獄に堕つべし。これほど有る事を正直に申すものは先代にもありがたくこそ。これをもって推察あるべし、それより外の小事曲ぐべしや。又聖人は言をかざらずと申す。又いまだ顕はれざる後をしるを聖人と申すか。日蓮は聖人の一分にあたれり。此の法門のゆへに二十余所を()われ、結句(けっく)流罪に及び、身に多くのきずをかを()ほり、弟子をあまた殺させたり。比干にもこえ、伍しそ(子胥)にもをと()らず。提婆菩薩の外道に殺され、師子尊者の檀弥利(だんみり)王に頸(くび)をはねられしにもをと()るべきか。もししからば八幡大菩薩は日蓮が頂をはなれさせ給ひてはいづれの人の頂にかす()み給はん。日蓮を此の国に用ひずばいかんがすべきと、なげかれ候なりと申せ。(P455)

 

                         身延山 山頂より
                         身延山 山頂より

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