日蓮遺文・法華経の行者、上行菩薩 11

*法華経の行者

王臣万民に怨まれる法華経の行者をとぶら()う功徳

建治2年(1276)119日「南条殿御返事(初春書)(日興本)

法華経にそら()事あるならば、なに()事をか人信ずべき。かゝる御経に一華一香をも供養する人は、過去に十万億の仏を供養する人なり。又釈迦如来の末法に世のみだ()れたらん時、王臣万民心を一にして一人の法華経の行者をあだ()まん時、此の行者かんばち(旱魃)の少水に魚のす()み、万人にかこ()まれたる鹿のごとくならん時、一人ありてとぶら()はん人は生身の教主釈尊を一劫が間、三業相応して供養しまいらせたらんよりなを()功徳すぐ()るべきよし()如来の金言分明なり。日は赫々たり、月は明々たり。法華経の文字はかくかくめいめいたり。めいめいかくかくたるあき()らかなる鏡にかを()をうかべ、す()める水に月のうかべるがごとし。(P1137)

 

*法華経の行者

法華経の行者を供養する功徳を説示

法華経と行者を用いず、身を損じ、家を失い、国を滅ぼした人々は月支・震旦には無数にいる

建治2年(1276)217松野殿御消息」(真蹟)

法華経の第四法師品に云はく「人有って仏道を求めて一劫の中に於て合掌して、我が前に在って無数の偈を以て讃()めん。是の讃仏に由()るが故に無量の功徳を得ん。持経者を歎美せんは其の福復(また)彼に過ぎん」等云云。

文の意は一劫が間教主釈尊を供養し奉るよりも、末代の浅智なる法華経の行者の、上下万人にあだまれて餓死すべき比丘等を供養せん功徳は勝るべしとの経文なり。(P1141)

中略

されば是を疑ひし無垢(むく)論師は舌五つに破れ、嵩(すう)法師は舌たゞれ、三階禅師は現身に大蛇となる。徳一は舌八つにさけにき。其れのみならず、此の法華経並びに行者を用ひずして、身をそんじ、家をうしない、国をほろぼす人々、月支・震旦に其の数をしらず。第一には日天朝に東に出で給ふに、大光明を放ち天眼を開いて南閻浮提を見給ふに、法華経の行者あれば心に歓喜し、行者をにくむ国あれば天眼をいからして其の国をにらみ給ふ。始終用ひずして国の人にくめば、其の故と無くいくさ()をこり、他国より其の国を破るべしと見えて候。(P1142)

 

*法華経の行者

日蓮は富木尼御前に、法華経の力により病は治癒することを説示し、尼御前を法華経の行者と呼ぶ

建治2年(1276)327日「富木尼御前御書」(真蹟)

なによりもをぼつか(覚束)なき事は御所労なり。かまへてさもと三年、はじめのごとくに、きうじ(灸治)せさせ給へ。病なき人も無常まぬかれがたし。但しとし()のはてにはあらず。法華経の行者なり。非業の死にはあるべからず。よも業病にては候はじ。設ひ業病なりとも、法華経の御力たのもし。阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ、陳臣は十五年の命をのべたり。尼ごぜん又法華経の行者なり。御信心は月のまさるがごとく、しを()のみつがごとし。いかでか病も失せ、寿ものびざるべきと強盛にをぼしめし、身を持し、心に物をなげかざれ。(P1148)

 

*法華経の行者

日本国の一切衆生の父母となる法華経の行者・日蓮

「富木尼御前御書」

(日本国が蒙古による侵略の脅威に晒され、九州に向かう武士、残される妻子、民の嘆きが深く、蒙古侵攻の時に起こるであろう惨劇は)

これひとへに、失もなくて日本国の一切衆生の父母となる法華経の行者日蓮をゆへもなく、或はの()り、或は打ち、或はこうぢ(巷路)をわたし、ものにくる()いしが、十羅刹のせめをかほ()りてなれる事なり。又々これより百千万億倍たへがたき事どもいで来たるべし。(P1149)

 

*法華経の行者

華経の最下の行者は華厳・真言一切の最上の僧に勝る

建治2(1276)(或いは弘安2年[1279])511日「宝軽法重事」(真蹟)

華厳経・大日経等の法華経に劣る事は一毛と大山と三銖と大地とのごとし。乃至法華経の最下の行者と華厳・真言一切の最上の僧とくらぶれば、帝釈と(みこう)と師子と兎との勝劣なり。而るをたみ()が王とのゝしればかならず命となる。諸経の行者が法華経の行者に勝れたりと申せば、必ず国もほろび、地獄へ入り候なり。 (P1179)

中略

法華経は仏滅後二千二百余年に、いまだ経のごとく説ききわめてひろ()むる人なし。天台・伝教もしろしめさゞるにはあらず。時も来たらず、機もなかりしかば、か()ききわ()めずしてを()わらせ給へり。日蓮か弟子とならむ人々はやすくしりぬべし。一閻浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔いまだ候はず。いか()でかあらわ()れさせ給はざるべき。しげければとゞめ候。()

 

                           三島市川原ケ谷
                           三島市川原ケ谷

前のページ                                  次のページ