日蓮遺文・法華経の行者、上行菩薩 12

*法華経の行者

大難に度々遭う人こそ釈迦滅後の法華経の行者である

建治2年(1276)721日「報恩抄」

近き難には舎利弗・目連・諸大菩薩等も四十余年が間は法華経の大怨敵の内ぞかし。況滅度後と申して未来の世には又此の大難よりもすぐれてをそろしき大難あるべしと、とかれて候。仏だにも忍びがたかりける大難をば凡夫はいかでか忍ぶべき。いわうや在世より大なる大難にてあるべかんなり。いかなる大難か提婆が長さ三丈広さ一丈六尺の大石、阿闍世王の酔象にはすぐべきとはをもへども、彼にもすぐるべく候なれば、小失なくとも大難に度々値ふ人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候わめ。(P1199)

 

*法華経の行者

法華経の行者は大海・須弥山・月天・大日天・大梵王である

「報恩抄」

法華経の第七に云く「能く是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」等云云。此経文のごとくならば、法華経の行者は川流江河の中の大海、衆山の中の須弥山、衆星の中の月天、衆明の中の大日天、転輪王・帝釈・諸王の中の大梵王なり。(P1218)

 

*法華経の行者

今の日本国に法華経の行者はいないのであろうか、との疑問を設ける。

「報恩抄」

依憑集に云く「今吾天台大師法華経を説き、法華経を釈すること、群に特秀し、唐に独歩す。明に知んぬ如来の使いなり。讃る者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く」等云云。

法華経・天台・妙楽・伝教の経釈のごとくならば、今日本国には法華経の行者は一人もなきぞかし。(P1218)

 

*法華経の行者

仏滅後一千八百余年が間、法華経の行者は釈迦・天台・伝教の三人

「報恩抄」

仏滅後一千八百余年が間に法華経の行者漢土に一人、日本に一人、已上二人。釈尊を加へ奉りて已上三人なり。外典に云く 聖人は一千年に一(ひとたび)出て、賢人は五百年に一出づ。黄河は・(けい)・渭(い)ながれをわけて、五百年には半河すみ、千年は共に清む、と申すは一定にて候けり。

然るに日本国は叡山計りに、伝教大師の御時、法華経の行者ましましけり。義真・円澄は第一第二の座主なり。第一の義真計り伝教大師ににたり。第二の円澄は半(なかば)は伝教の御弟子、半は弘法の弟子なり。第三の慈覚大師は始めは伝教の御弟子ににたり。御年四十にて漢土にわたりてより、名は伝教の御弟子、其跡をばつがせ給へども、法門は全く御弟子にあらず。而れども円頓の戒計りは又御弟子ににたり。蝙蝠鳥のごとし。鳥にもあらず。ねずみにもあらず。梟鳥禽(きょうちょうきん)・破鏡獣(はけいじゅう)のごとし。法華経の父を食らひ、持者の母をかすめるなり。日をい(射)るとゆめにみしこれなり。(P1219)

 

*日本国の柱

日蓮は日本国の柱であり、日蓮を失うのは日本国の柱を倒すことになる

「報恩抄」

去ぬる文永八年九月の十二日には頸を切らんとす。最勝王経に云はく「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、他方の怨賊来たって国人喪乱(そうらん)に遭ふ」等云云。大集経に云はく「若しは復諸の刹利(せつり)国王諸の非法を作()し、世尊の声聞の弟子を悩乱し、若しは以て毀罵(きめ)し、刀杖もって打斫(ちょうしゃく)し、及び衣鉢種々の資具を奪ひ、若しは他の給施に留難を作す者有らば、我等彼をして自然に卒(にわ)かに他方の怨敵を起こさしめん。及び自界の国土にも亦兵起こり、病疫飢饉し、非時に風雨し闘諍言訟せしめん。又其の王をして久しからずして復当に已が国を亡失せしむ

べし」等云云。此等の文のごときは日蓮この国になくば仏は大妄語の人、阿鼻地獄はいかで脱れ給ふべき。去ぬる文永八年九月十二日に、平左衛門並びに数百人に向かって云はく、日蓮は日本国のはしら()なり。日蓮を失ふほどならば、日本国のはしら()をたを()すになりぬ等云云。此の経文に智人を国主等、若しは悪僧等がざんげん(讒言)により、若しは諸人の悪口によて失にあつるならば、には()かにいくさ()をこり、又大風ふかせ、他国よりせむべし等云云。去ぬる文永九年二月のどしいくさ、同じき十一年の四月の大風、同じき十月に大蒙古の来たりしは、偏に日蓮がゆへにあらずや。いわ()うや前よりこれをかん()がへたり。誰の人か疑ふべき。(P1222)

 

*法華経の行者

善無畏三蔵は法華経を受けた時は法華経の行者とも見えたが、その後、大日経を勝とした

「報恩抄」

嘉祥大師の法華玄を見るに、いたう法華経を謗じたる疏にはあらず。但法華経と諸大乗経とは門は浅深あれども心は一とかきてこそ候へ。此が誹謗の根本にて候か。華厳の澄観も真言の善無畏も大日経と法華経とは理は一とこそかゝれて候へ。嘉祥とが(科)あらば善無畏三蔵も脱れがたし。

されば善無畏三蔵は中天の国主なり。位をすてて他国にいたり、殊勝・招提の二人にあひて法華経をうけ、百千の石の塔を立てしかば、法華経の行者とこそみへしか。しかれども大日経を習ひしよりこのかた、法華経を大日経に劣るとやをもひけん。始めはいたう其義もなかりけるが、漢土にわたりて玄宗皇帝の師となりぬ。天台宗をそねみ思ふ心つき給ひけるかのゆへに、忽ちに頓死して、二人の極卒に鉄の縄七つけられて、閻魔王宮にいたりぬ。命いまだつきずといゐてかへされしに、法華経謗法とやをもひけん、真言の観念・印真言等をばなげすてゝ、法華経の今此三界の文を唱へて縄も切れ、かへされ給ひぬ。又雨のいのりををほせつけられたりしに、忽ちに雨は下(ふり)たりしかども、大風吹きて国をやぶる。結句死し給ひてありしには、弟子等集まりて臨終いみじきやうをほめしかども、無間大城に堕ちにき。(P1227)

 

                          富士宮市上井出
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