日蓮遺文・法華経の行者、上行菩薩 14

上行菩薩・法華経の行者

釈迦如来の使い、上行菩薩の垂迹、法華本門の行者、五五百歳の大導師

日蓮は三界の主、一切衆生の父母、上行菩薩

建治3年(1277)625日「頼基陳状(三位房龍象房問答記)(龍象問答抄)(日興写再治本・未再治本)

又仰せ下さるゝ状に云はく、極楽寺の長老は世尊の出世と仰ぎ奉ると。

此の条難かむ()の次第に覚え候。其の故は、日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば、久成如来の御使ひ、上行菩薩の垂迹、法華本門の行者、五五百歳の大導師にて御坐候聖人を、頸をはねらるべき由の申し状を書きて、殺罪に申し行なはれ候ひしが、いかゞ候ひけむ、死罪を止めて佐渡の島まで遠流せられ候ひしは、良観上人の所行に候はずや。其の訴状は別紙にこれ有り。抑(そもそも)生草(いきぐさ)をだに伐()るべからずと六斎日夜の説法に給はれながら、法華の正法を弘むる僧を断罪に行なはるべき旨申し立てらるゝは、自語相違に候はずや如何。此の僧豈(あに)天魔の入れる僧に候はずや。(P1352)

中略

頼基が今更何につけて疎縁に思ひまいらせ候べき。後生までも随従しまいらせて、頼基成仏し候はゞ君をもすくひまいらせ、君成仏しましまさば頼基もたすけられまいらせむとこそ存じ候へ。其れに付ひて諸僧の説法を聴聞仕りて、何れか成仏の法とうかゞひ候処に、日蓮聖人の御房は三界の主、一切衆生の父母、釈迦如来の御使ひ上行菩薩にて御坐候ひける事の法華経に説かれてましましけるを信じまいらせたるに候。(P1358)

中略

良観房が讒訴(ざんそ)に依りて釈迦如来の御使ひ日蓮聖人を流罪し奉りしかば、聖人の申し給ひしが如く百日が内に合戦出来して、若干(そこばく)の武者滅亡せし中に、名越の公達(きんだち)横死(おうし)にあはせ給ひぬ。是偏に良観房が失ひ奉りたるに候はずや。(P1360)

 

上行菩薩

日蓮を助けるために、四条金吾の身に上行菩薩が入りかわったのだろうか、教主釈尊の計らいであろうか

建治3年(1277)7月「四条金吾殿御返事(為法華経不可惜所領事)(真蹟)

設ひ日蓮一人は杖木瓦礫(じょうもくがりゃく)・悪口王難をもしの()ぶとも、妻子を帯せる無智の俗なんどは争(いか)でか叶ふべき。中々信ぜざらんはよかりなん。すへとを(末通)らずしばし(暫時)ならば人にわら()はれなんと不便にをもひ候ひしに、度々の難、二箇度の御勘気に心ざしをあらはし給ふだにも不思議なるに、かくをど()さるゝに二所の所領をすてゝ、法華経を信じとを()すべしと御起請候ひし事、いかにとも申す計りなし。普賢・文殊等なを末代はいかんがと仏思(おぼ)し食()して、妙法蓮華経の五字をば地涌千界の上首上行等の四人にこそ仰せつけられて候へ。只事の心を案ずるに、日蓮が道をたすけんと、上行菩薩貴辺の御身に入りかはらせ給へるか。又教主釈尊の御計らひか。(P1361)

 

*法華経の行者

日蓮は、法華経信仰により親から勘当された池上兄弟の兄・右衛門大夫宗仲は法華経の行者となった、とする

建治3(1277)(或いは建治元年[1275])1120日「兵衛志殿御返事」(真蹟)

たゞしこのたびゑもん(右衛門)の志(さかん)どの(殿)かさねて親のかんだう(勘当)あり。とのゝ御前にこれにて申せしがごとく、一定かんだうあるべし、ひゃうへ(兵衛)の志殿をぼつかなし、ごぜん(御前)かまへて御心へ()あるべしと申して候ひしなり。

今度はとの(殿)は一定を()ち給ひぬとをぼ()うるなり。をち給はんをいかにと申す事はゆめゆめ候はず。但地獄にて日蓮をうらみ給ふ事なかれ。しり候まじきなり。

千年のかるかや(苅茅)も一時にはひ()となる。百年の功も一言にやぶれ候は法のことわり()なり。さゑもんの大夫殿は今度法華経のかたきになりさだ()まり給ふとみへて候。ゑもんのたいうの志殿は今度法華経の行者になり候はんずらん。とのは現前の計(はか)らひなれば親につき給はんずらむ。

ものぐる(物狂)わしき人々はこれをほめ候べし。宗盛(むねもり)が親父(おや)入道の悪事に随ひてしのわら(篠原)にて頸を切られし、重盛(しげもり)が随はずして先に死せし、いづれか親の孝人なる。

法華経のかたきになる親に随ひて、一乗の行者なる兄をす()てば、親の孝養となりなんや。せんずるところ、ひとすぢにをも()ひ切って、兄と同じく仏道をなり給へ。親父は妙荘厳王(みょうしょうごんのう)のごとし、兄弟は浄蔵・浄眼なるべし。昔と今はかわるとも、法華経のことわりたが()うべからず。(P1402)

 

法華経の行者

日蓮に何なる大科が有っても法華経の行者である

妙法蓮華経弘経により迫害にあうのが法華経の行者である

日蓮の値難は法華経の経文に符合しており、未来、仏に成ることは疑いない

建治4年(1278)213日「松野殿御返事」(真蹟)

然るに予は凡夫にて候へども、かゝるべき事を仏兼ねて説きを()かせ給ひて候を、国主に申しきかせ進(まい)らせ候ひぬ。其れにつけて御用(おんもち)ひは無くして弥(いよいよ)怨をなせしかば力及ばず、此の国既に謗法と成りぬ。法華経の敵(かたき)に成り候へば三世十方の仏神の敵と成れり。御心にも推(すい)せさせ給ひ候へ。日蓮何なる大科有りとも法華経の行者なるべし。

南無阿弥陀仏と申さば何なる大科有りとも念仏者にて無しとは申しがたし。南無妙法蓮華経と我が口にも唱へ候故に、罵られ、打ちはられ、流され、命に及びしかども、勧め申せば法華経の行者ならずや。法華経には行者を怨む者は阿鼻地獄の人と定む。四の巻には「仏を一中劫罵るよりも末代の法華経の行者を悪む罪深し」と説かれたり。七の巻には「行者を軽しめし人々、千劫阿鼻地獄に入る」と説き給へり。五の巻には「我が末世末法に入って法華経の行者有るべし。其の時其の国に持戒・破戒等の無量無辺の僧等集まりて国主に讒言して、流し失ふべし」と説かれたり。然るにかゝる経文かたがた符合し候ひ了んぬ。未来に仏に成り候はん事疑ひなく覚え候。委細は見参の時申すべし。(P1442)

 

*聖人、法華経の行者

三世の中に未来の事を知るのを真の聖人という

日蓮は聖人が出現するまでの序分として、法門をあらあら申したのである

建治4年(1278)223日「三沢抄」(日興本)

聖人は未萌(みぼう)を知ると申して三世の中に未来の事を知るをまこと()の聖人とは申すなり。而るに日蓮は聖人にあらざれども、日本国の今の代にあたりて此の国亡々たるべき事をかねて知りて候ひしに、此こそ仏のと()かせ給ひて候「況滅度後」の経文に当たりて候へ。此を申しいだすならば、仏の指()させ給ひて候未来の法華経の行者なり。(P1445)

中略

而るに去ぬる文永八年九月十二日の夜、たつの口にて頸をはねられんとせし時よりのち、ふびん(不憫)なり。我につきたりし者どもに、まことの事をい()わざりけるとをも()て、さどの国より弟子どもに内々申す法門あり。此は仏より後、迦葉・阿難・竜樹・天親・天台・妙楽・伝教・義真等の大論師・大人師は知りてしかも御心の中に秘せさせ給ひて、口より外には出だし給はず。其の故は仏制して云はく、我が滅後末法に入らずば此の大法いうべからずとありしゆへなり。

日蓮は其の御使ひにはあらざれども其の時刻にあたる上、存外に此の法門をさとりぬれば、聖人の出でさせ給ふまでま()づ序分にあらあら申すなり。而るに此の法門出現せば、正法像法に論師人師の申せし法門は皆日出でて後の星の光、巧匠(たくみ)の後に拙(つたな)きを知るなるべし。此の時には正像の寺堂の仏像・僧等の霊験は皆きへうせて、但(ただ)此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候。各々はかゝる法門にちぎり有る人なればたの()もしとをぼすべし。(P1447)

 

*行者

三度目の流罪の情報に、法華経も日蓮のことをゆるき行者とは思わないであろうと

弘安元年(1278)411日「檀越某御返事(四条金吾御返事)(真蹟)

御文うけ給はり候ひ了(おわ)んぬ。日蓮流罪して先々(さきざき)にわざわいども重なりて候に、又なにと申す事か候べきとはをも()へども、人のそん()ぜんとし候には不可思議の事の候へば、さが(前兆)候はんずらむ。もしその義候わば用ひて候はんには百千万億倍のさいわい()なり。今度ぞ三度になり候。法華経もよも日蓮をばゆるき行者とわをぼせじ。釈迦・多宝・十方の諸仏、地涌千界の御利生、今度みは(見果)て候はん。あわれあわれさる事の候へかし。雪山童子の跡ををひ、不軽菩薩の身になり候はん。いたづらにやくびゃう(疫病)にやをか()され候はんずらむ。を()いじ()にゝや死に候はんずらむ。あらあさましあさまし。願くは法華経のゆへに国主にあだまれて、今度生死をはなれ候はゞや。天照太神・正八幡・日月・帝釈・梵天等の仏前の御ちかい、今度心み候ばや。(P1493)

 

*聖人、法華経の行者

法華経を持っていながら法華経の行者を憎むことにより被る罰

末代の凡夫は法華経に出会えたとしても、法華経の行者には会い難い

聖人が国にあるのを怨む故に疫病となり国も破れる

世に大禍がないならば、未だかつてなき疫病・飢饉・大兵乱はどうしたことなのか

法の邪生を決することなくして法華経の行者を二度まで大科に行うとはいかなることなのか

弘安元年(1278)625日「日女御前御返事(品々供養事)(真蹟)

又法華経をば経のごとく持つ人々も、法華経の行者を或は貪瞋癡により、或は世間の事により、或はしなじな(品品)のふるまひ(振舞)によって憎む人あり。此は法華経を信ずれども信ずる功徳なし。かへりて罰をかほ()るなり。(P1511)

中略

黄河は千年に一度す()むといへり。聖人は千年に一度出づるなり。仏は無量劫に一度出世し給ふ。彼には値ふといへども法華経には値ひがたし。設ひ法華経に値ひ奉るとも、末代の凡夫法華経の行者には値ひがたし。何ぞなれば末代の法華経の行者は、法華経を説かざる華厳・阿含・方等・般若・大日経等の千二百余尊よりも、末代に法華経を説く行者は勝れて候なるを、妙楽大師釈して云く「供養すること有らん者は福十号に過ぎ、若し悩乱する者は頭七分に破れん」云云。

今日本国の者去年今年の疫病と、去ぬる正嘉の疫病とは人王始まりて九十余代に並びなき疫病なり。聖人の国にあるをあだむゆへと見えたり。師子を吼()ゆる犬は膓(はらわた)切れ、日月をのむ修羅は頭の破れ候なるはこれなり。

日本国の一切衆生すでに三分が二はや()みぬ。又半分は死しぬ。今一分は身はや()まざれども心はや()みぬ。又頭も顕(けん)にも冥(みょう)にも破(われ)ぬらん。

罰に四あり。総罰・別罰・冥罰・顕罰なり。聖人をあだめば総罰一国にわたる。又四天下、又六欲・四禅にわたる。賢人をあだめば但敵人等なり。今日本国の疫病は総罰なり。定んで聖人の国にあるをあだむか。山は玉をいだけば草木か()れず。国に聖人あれば其の国やぶれず。山の草木のか()れぬは玉のある故とも愚者はしらず。国のやぶるゝは聖人をあだむ故とも愚人は弁へざるか。(P1512)

中略

日蓮つ()めて云く、代に大禍(だいか)なくば古(いにしえ)にすぎたる疫病・飢饉・大兵乱はいかに。召(めし)も決せずして法華経の行者を二度まで大科に行ひしはいかに、不便(ふびん)不便。而るに女人の御身として法華経の御命をつがせ給ふは、釈迦・多宝・十方の諸仏の御父母の御命をつがせ給ふなり。此の功徳をもてる人一閻浮提の内にあるべしや。(P1516)

 

                        富士宮市 田貫湖
                        富士宮市 田貫湖

前のページ                                  次のページ