日蓮遺文・法華経の行者、上行菩薩 4

法華経の行者

日蓮は自己を法華経の行者とする

文永10年(1273)426妙一尼御返事」(真蹟)

滝王丸之を遣使さる

昔国王は自身を以て床座(しょうざ)と為し、千才の間阿私仙(あしせん)に仕(つか)へ奉り妙法蓮華経の五字を習ひ持つ、今の釈尊是なり。今の施主妙一比丘尼は貧道の身を扶(たす)けんとて小童に命じ、之を使はして法華経の行者に仕へ奉らしむ。(P722)

 

法華経の行者

諸天善神が国を捨離して邪天・邪鬼が王臣・比丘・比丘尼等の心身に入住、法華経の行者を罵詈毀辱する。そのような中、法華経への帰命を貫けば諸天善神・地涌千界等の菩薩は法華経の行者を守護するであろう

文永10年(1273)511日「顕仏未来記」(真蹟曽存)

仏教に依て悪道に堕する者大地微塵よりも多く、正法を行じて仏道を得る者爪上の土よりも少なし。此の時に当りて諸天善神其の国を捨離し、但邪天・邪鬼等有りて王臣・比丘・比丘尼等の心身に入住し、法華経の行者を罵詈毀辱せしむべき時也。爾りと雖も仏の滅後に於て、四味三教等の邪執を捨てゝ実大乗の法華経に帰せば、諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん。此の人は守護の力を得て本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか。

例せば威音王仏の像法の時、不軽菩薩「我深敬」等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如し。彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意之同じ。彼の像法の末と是の末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり。(P740)

 

法華経の行者

日本国中に、日蓮以外に法華経の行者はいるのかとの設問。また五天竺並びに漢土においても、四天下の中に二日が無いように、法華経の行者は日蓮のみであるとする

「顕仏未来記」

難じて云く汝は大慢の法師にして大天に過ぎ、四禅比丘にも超えたり、如何。

答て云く汝日蓮を蔑如する之重罪、又提婆達多に過ぎ、無垢論師にも超えたり。我が言は大慢に似たれども、仏記を扶け如来の実語を顕さんが為也。然りと雖も日本国中に日蓮を除き去りては誰人を取り出だして法華経の行者と為さん。汝日蓮を謗らんと為して仏記を虚妄にす。豈に大悪人に非ずや。

疑て云く 如来の未来記、汝に相当るとして、但し、五天竺竝びに漢土等にも法華経の行者之有るか、如何。

答て云く 四天下之中に全く二日無し。四海の内に豈に両主有らんや。(P741)

 

*法華経の行者

釈迦・不軽菩薩・道生・法道・師子尊者・智顗・最澄は法華経の行者として大難に遭った、そして如説修行の人である

文永10年(1273)5月「如説修行抄」(日尊本)

問て云く、如説修行の者は現世安穏なるべし。何が故ぞ三類の強敵盛んならんや。答へて云く、釈尊は法華経の御為に今度九横の大難にあひ給ふ。過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り、竺の道生は蘇山に流され、法道は面に火印をあてられ、師子尊者は頭をはね(刎)られ、天台大師は南三北七にあだまれ、伝教大師は六宗ににくまれ(憎)給へり。此等の仏、菩薩、大聖等は法華経の行者として、而も大難にあひ給へり。此等の人人を如説修行の人と云はずんば、いづくにか如説修行の人を尋ねん。(P732)

 

*法華経の行者

如説修行の法華経の行者には三類の強敵が必ずある

「如説修行抄」

我等が本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年、今日蓮は二十余年の間権理を破す。其間の大難数を知らず。仏の九横の難に及ぶか及ばざるは知らず。をそらくば天台、伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値ひ給ひし事なし。彼は只悪口怨嫉計りなり。是は両度の御勘気遠国に流罪せられ、龍口の頸の座、頭の疵等、其外悪口せられ、弟子等を流罪せられ、篭に入れられ、檀那の所領を取られ御内を出されし。此等の大難には龍樹、天台、伝教も争でか及び給ふべき。されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んであるべしと知り給へ。されば釈尊御入滅の後二千余年が間に、如説修行の行者は釈尊、天台、伝教の三人はさてをき候ひぬ。末法に入ては日蓮並に弟子檀那等是なり。我等を如説修行の者といはずんば釈尊、天台、伝教等の三人も如説修行の人なるべからず。提婆、瞿伽利、善星、弘法、慈覚、智証、善導、法然、良観房等は即ち法華経の行者と云はれ、釈尊、天台、伝教、日蓮並に弟子檀那は、念仏、真言、禅、律等の行者なるべし。法華経は方便権教と云はれ、念仏等の諸経は還つて法華経となるべきか。(P736)

 

法華経の行者

日蓮法師は仏語を扶持する法華経の行者である

文永10年(1273)83日「波木井三郎殿御返事」(日興本)

但し法華経の行者有らば悪口・罵詈・刀杖・擯出等せらるべし云云。此の経文を以て世間に配当するに一人も之無し、誰を以てか法華経の行者と為さん。敵人有りと雖も法華経の持者は無し。譬へば東有って西無く天有って地無きが如し、仏語妄説と成るべきか如何。予自讃に似たりと雖も之を勘へ出だして仏語を扶持(ふじ)す。所謂日蓮法師是なり。(P745)

 

法華経の行者

第六天の魔王と法華経の行者の戦い

文永10年(1273)919日「弁殿尼御前御書」(真蹟)

しげければとゞむ。弁殿に申す。大師講ををこ()なうべし。大師とてまいらせて候。三郎左衛門尉殿に候文(ふみ)のなかに、涅槃経の後分(ごぶん)二巻、文句五の本末、授決集(じゅけつしゅう)の抄の上巻等、御随身あるべし。

貞任(さだとう)は十二年にやぶれぬ。将門(まさかど)は八年にかたぶきぬ。第六天の魔王、十軍のいくさをを()こして、法華経の行者と生死海の海中にして、同居穢土(どうごえど)をと()られじ、うば()はんとあらそう。日蓮其の身にあひあ()たりて、大兵をを()こして二十余年なり。日蓮一度もしり(退)ぞく心なし。しかりといえども弟子等・壇那等の中に臆病のもの、大体或はを()ち、或は退転の心あり。尼ごぜんの一文不通の小心に、いまゝでしり(退)ぞかせ給はぬ事申すばかりなし。其の上、自身のつか()うべきところに、下人を一人つけられて候事、定めて釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御知見あるか。(P752)

 

*法華経の行者

在世と仏滅後、正像二千年の間には法華経の行者は仏・天台・伝教の三人

末法には況滅度後等、仏説通りの法華経の行者が出現し大難に逢う

法華経の行者は仏・天台・伝教の三人に日蓮を入れて四人となす

文永11年(1274)114日「法華行者値難事」(真蹟)

(それ)在世と滅後正像二千年の間に法華経の行者唯三人有り。所謂(いわゆる)、仏と天台・伝教となり。真言宗の善無畏・不空等、華厳宗の杜順(とじゅん)・智儼(ちごん)等、三論法相等の人師等は実経の文を会して権の義に順ぜしむる人々なり。竜樹・天親等の論師は内に鑑(かんが)みて外に発せざる論師なり。経の如く宣伝すること正法の四依も天台・伝教には如()かず。而(しか)るに仏記の如くんば末法に入って法華経の行者有るべし。其の時の大難在世に超過せん云云。仏に九横の大難有り。所謂孫陀梨(そんだり)が謗と、金鏘(こんず)と、馬麦(めみゃく)と、琉璃(るり)の釈を殺すと、乞食(こつじき)空鉢(くうはち)と、旃遮女(せんしゃにょ)の謗と、調達(ちょうだつ)が山を推()すと、寒風に衣を索(もと)む等なり。其の上一切の外道の讒奏(ざんそう)は上に引くが如し。記文の如くんば天台・伝教も仏記に及ばず。

之を以て之を案ずるに末法の始めに仏説の如き行者世に出現せんか。而るに文永十年十二月七日武蔵前司殿より佐渡国へ下す状に云はく、自判之在り

佐渡国の流人の僧日蓮、弟子等を引率し、悪行を巧(たくら)むの由其の聞こえ有り。所行の企(くわだ)て甚(はなは)だ以て奇怪なり。今より以後、彼の僧に相随はんの輩に於ては炳誡(へいかい)を加へしむべし。猶以て違犯せしめば、交名(きょうみょう)を注進せらるべきの由候所なり。仍って執達(しったつ)(くだん)の如し。

文永十年十二月七日 沙門観恵上(たてまつ)

依智六郎左衛門尉殿等云云。

此の状に云はく「悪行を巧む」等云云。外道が云はく「瞿曇(くどん)は大悪人なり」等云云。又九横の難一々に之在り。所謂琉璃殺釈(るりせっしゃく)と乞食空鉢と寒風索衣(さくえ)とは仏世に超過せる大難なり。恐らくは天台・伝教も未だ此の難に値ひたまはず。当に知るべし、三人に日蓮を入れて四人と為す。法華経の行者末法に有るか。喜ばしいかな、況滅度後の記文に当たれり。悲しいかな、国中の諸人阿鼻獄に入りなんとす。茂きを厭(いと)うて子細に之を記さず。心を以て之を惟(おも)へ。(P797)

 

四菩薩

時来たって四菩薩が出現するであろうことを日蓮が先ず知ったのである

「法華行者値難事」

追って申す。竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず、此に口伝有り。天台・伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字と、之を残したまふ。

所詮、一には仏授与したまはざるが故に、二には時機未熟の故なり。今既に時来たれり、四菩薩出現したまはんか。日蓮此の事先づ之を知りぬ。西王母(せいおうぼ)の先相には青鳥(せいちょう)、客人の来相には(かんじゃく)是なり。各々我が弟子たらん者は深く此の由を存ぜよ。設ひ身命に及ぶとも退転すること莫(なか)れ。(P798)

 

                           身延山より
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