日蓮遺文・法華経の行者、上行菩薩 5

上行菩薩

天変地妖・戦乱の後、上行等の聖人が出現して本門の三つの法門を建立、一閻浮提に妙法蓮華経が広宣流布することは疑いない

文永11年(1274)524日「法華取要抄」(真蹟)

問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。問うて曰く、正像等に何ぞ弘通せざるや。答へて曰く、正像に之を弘通せば小乗・権大乗・迹門の法門一時に滅尽すべきなり。(P815)

中略

日蓮は広略を捨てゝ肝要を好む、所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり。(P816)

中略

我が門弟之を見て法華経を信用せよ。目を瞋(いか)らして鏡に向かへ。天の瞋るは人に失有ればなり。二つの日並び出づるは一国に二の国王を並ぶる相なり。王と王との闘諍なり。星の日月を犯すは臣の王を犯す相なり。日と日と競ひ出づるは四天下一同の諍論なり。明星並び出づるは太子と太子との諍論なり。是くの如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑ひ無き者か。(P818)

 

法華経の行者

日蓮は閻浮第一の法華経の行者である

文永11年(1274)56月頃「別当御房御返事」(真蹟曽存)

日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。天のあたへ給ふべきことわりなるべし。(P828)

 

*法華経の行者

法華経の行者を供養する功徳を説示

文永11年(1274)1111日「上野殿御返事(与南条氏書)(日興本)

聖人(すみざけ)二管(ふたつつ)・柑子(こうじ)一籠(いっこ)・菎若(こんにゃく)十枚・薯蕷(やまのいも)一籠・牛房(ごぼう)十束、種々の物送り給び候。得勝・無勝の二童子は仏に沙(すな)の餅(もちい)を供養したてまつりて閻浮提三分が一の主となる。所謂阿育大王これなり。儒童菩薩(じゅどうぼさつ)は錠光仏(じょうこうぶつ)に五茎(ごきょう)の蓮華を供養したてまつりて仏となる。今の教主釈尊これなり。

法華経の第四に云はく「人有って仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我が前に在って無数の偈を以て讃()めん。是の讃仏(さんぶつ)に由るが故に無量の功徳を得ん。持経者を歎美せんは其の福復(また)彼に過ぎん」等云云。

文の心は、仏を一劫が間供養したてまつるより、末代悪世の中に人のあなが()ちににく()む法華経の行者を供養する功徳はすぐれたりとと()かせ給ふ。たれ()の人のかゝるひが()事をばおほ()せらるゝぞと疑ひおもひ候へば、教主釈尊の我とおほ()せられて候なり。疑はんとも信ぜんとも御心にまかせまい()らする。(P835)

 

*一閻浮提第一の聖人

日蓮は不軽菩薩の跡を紹継する故に法華経の行者である

日蓮は一閻浮提第一の聖人である

文永11(1274)(或は建治元年[1275])「聖人知三世事」(真蹟)

聖人と申すは委細に三世を知るを聖人と云ふ。

中略

後五百歳には誰人を以て法華経の行者と之を知るべきや。

予は未だ我が智慧を信ぜず。然りと雖も自他の返逆・侵逼、之を以て我が智を信ず。敢へて他人の為にするに非ず。又我が弟子等之を存知せよ。日蓮は是(これ)法華経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に。軽毀する人は頭七分に破れ、信ずる者は福を安明に積まん。

中略

問うて云はく、何ぞ汝を毀る人頭破七分無きや。

答へて云はく、古昔の聖人は仏を除きたてまつりて已外、之を毀る人頭破但一人二人なり。

今日蓮を毀呰(きし)する事の非は一人二人に限るべからず。日本一国一同に同じく破るゝなり。所謂(いわゆる)正嘉(しょうか)の大地震文永の長星は誰が故ぞ。日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。上一人より下万民に至るまで之を軽毀して刀杖(を加へ流罪に処するが故に、梵と釈と日月四天と隣国に仰せ付けて之を逼責(ひっせき)するなり。

大集経に云はく、仁王経に云はく、涅槃経に云はく、法華経に云はく。設ひ万祈を作()すとも日蓮を用ひざれば必ず此の国今の壱岐(いき)・対馬(つしま)の如くならん。(P843)

 

*上行菩薩

上行菩薩が出現して大本尊を弘宣する

文永11年(1274)12月通称・万年救護御本尊 「御本尊集」NO16

大覚世尊御入滅後 経歴二千二百二十余年 雖月漢 日三ヶ国之 間未有此 大本尊 或知不弘之 或不知之 我慈父 以仏智 隠留之 為末代残之 後五百歳之時 上行菩薩出現於世 始弘宣之

 

ここでは、

大覚世尊(釈尊)が入滅された後、二千二百二十余年が経歴するが、月漢日(インド、中国、日本)の三カ国に於いて未だ在さなかった大本尊である。

日蓮以前、月漢日の諸師は、或いはこの大本尊のことを知っていたが弘めず、或いはこれを知らなかった。

我が慈父=釈尊は仏智を以て大本尊を隠し留め(釈尊より上行菩薩に譲られて)、末法の為にこれを残された故である。

後五百歳の末法の時、上行菩薩が世に出現して初めてこの大本尊を弘宣するのである。

との旨が示されている。

 

*法華経の行者

一切経に超過する、法華経を信奉している行者は一切の諸人に勝れる

文永12年(1275)124(建治2年[1276]又は建治3年[1277])「大田殿許御書」(真蹟)

疑って云はく、経々の勝劣之を論じて何か為()ん。答へて曰く、法華経の第七に云はく「能く是の経典を受持する者有れば亦復(またまた)是くの如し。一切衆生の中に於て亦為()れ第一なり」等云云。此の経の薬王品に十喩(じゅうゆ)を挙げて已今当(いこんとう)の一切経に超過すと云云。第八の譬へ、兼ねて上の文に有り。所詮仏意の如くならば経の勝劣を詮とするに非ず。法華経の行者は一切の諸人に勝れたるの由之を説く。大日経等の行者は諸山・衆星・江河・諸民なり。法華経の行者は須弥山・日月・大海等なり。而るに今の世は法華経を軽蔑すること土の如く民の如し。真言の僻人等を重崇して国師と為()ること金の如く王の如し。之に依って増上慢の者国中に充満す。青天瞋りを為し黄地(おうじ)(ようげつ)を致す。涓(しずく)(あつ)まりて(ようぜん)を破るが如く、民の愁(うれ)ひ積りて国を亡す等是なり。(P854)

 

*法華経の行者

法華経の行者は日月等のごとし

法華経の行者は日月・大梵王・仏のごとし

法華経を持つ人は一切衆生の主である

文永12年(1275)127四条金吾殿女房御返事」(真蹟)

所詮日本国の一切衆生の目をぬき神(たましい)をまど()はかす邪法、真言師にはすぎず。是れは且(しばら)く之を置く。十喩(じゅうゆ)は一切経と法華経との勝劣を説かせ給ふと見えたれども、仏の御心はさには候はず。一切経の行者と法華経の行者とをならべて、法華経の行者は日月等のごとし、諸経の行者は衆星燈炬(しゅしょうとうこ)のごとしと申す事を、詮(せん)と思(おぼ)しめされて候。なにをもってこれをしるとならば、第八の譬への下に一の最大事の文あり。所謂(いわゆる)此の経文に云はく「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復(またまた)()くの如し。一切衆生の中に於て亦(また)()れ第一なり」等云云。此の二十二字は一経第一の肝心なり、一切衆生の目なり。文の心は法華経の行者は日月・大梵王(だいぼんのう)・仏のごとし、大日経の行者は衆星・江河(こうが)・凡夫のごとしとと()かれて候経文なり。されば此の世の中の男女僧尼は嫌ふべからず、法華経を持(たも)たせ給ふ人は一切衆生のしう()とこそ仏は御らん()候らめ、梵王・帝釈はあを()がせ給ふらめとうれしさ申すばかりなし。(P855)

 

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