日蓮遺文・法華経の行者、上行菩薩 6

*法華経の行者

日蓮は南条時光に対し、あなたが法華経の行者として故・南条兵衛七郎(時光の父)の墓に参られたならば、亡き父はどれほど喜ばれるだろうか、と記す

文永12年(1275)1月「春之祝御書」(真蹟)

春のいわ()いわすでに事ふ()り候ひぬ。さては故なんでうどの(南条殿)はひさしき事には候はざりしかども、よろづ事にふれて、なつかしき心ありしかば、をろ()かならずをもひしに、よわ()ひ盛んなりしにはか()なかりし事、わかれかな()しかりしかば、わざとかまくら(鎌倉)よりうちくだかり、御はか()をば見候ひぬ。それよりのち()はするが(駿河)のびん(便)にはとをもひしに、このたびくだ()しには人にしの()びてこ()れヘきたりしかば、にしやま(西山)の入道殿にもしられ候はざりし上は力をよばずとを()りて候ひしが、心にかゝりて候。その心をと()げんがために此の御房は正月の内につか()わして、御はか()にて自我偈一巻よ()ませんとをもひてまい()らせ候。御との(殿)ゝ御かたみ(形見)もなしなんどなげ()きて候へば、とのをとゞ()めをかれける事よろこび入って候。

故殿は木のもと、くさ()むらのかげ()、かよ()う人もなし、仏法をも聴聞せんず、いかにつれづれ(徒然)なるらん、をもひやり候へばなんだ()もと()ゞまらず。との(殿)ゝ法華経の行者うちぐ()して御はかにむ()かわせ給はんには、いかにうれ()しかるらん、いかにうれしかるらん。(P859)

 

*法華経の行者

日蓮は四条金吾を法華経の行者とする

文永12年(1275)(或いは弘安2年[1279])27日「可延定業御書」(真蹟)

当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは秋の稲米、冬の菊花、誰かをどろ()くべき。されば日蓮悲母(はは)をいのりて候ひしかば、現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり。今女人の御身として病を身にうけさせ給ふ。心みに法華経の信心を立てゝ御らむあるべし。しかも善医あり。中務三郎左衛門尉殿は法華経の行者なり。命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをの()ぶるならば千万両の金にもすぎたり。法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへぞかし。閻浮第一の太子なれども短命なれば草よりもかろ()し。日輪のごとくなる智者なれども夭死(わかじに)あれば生ける犬に劣る。早く心ざしの財をかさねて、いそぎいそぎ御対治あるべし。(P862)

 

上行菩薩

釈迦は妙法蓮華経の五字を上行菩薩に付属

付属された妙法は曼荼羅に認められ本尊となり末法の万民を擁護

日蓮は上行菩薩ではないが、かねてより知っていたのは上行菩薩の計らいであり、二十余年間、法華勧奨に励んできた

文永12年(1275)216日「新尼御前御返事(与東条新尼書)(真蹟曽存・真蹟断簡)

今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕はし、神力品嘱累品に事極まりて候ひしが、金色世界の文殊師利、兜史多(とした)天宮の弥勒菩薩、補陀落(ふだらく)山の観世音、日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩等の諸大士、我も我もと望み給ひしかども叶はず。是等は智慧いみじく、才学ある人々とはひゞ()けども、いまだ日あさし、学も始めたり、末代の大難忍びがたかるべし。

我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり、此にゆづ()るべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出ださせ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひて、あなかしこあなかしこ、我が滅度の後正法一千年、像法一千年に弘通すべからず。

末法の始めに謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人々各々甲冑(かっちゅう)をきて弓杖(きゅうじょう)を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶(たす)け万民は難をのがれん。乃至後生の大火災を脱(のが)るべしと仏記しをかせ給ひぬ。而るに日蓮上行菩薩にはあらねども、ほゞ兼ねてこれをしれるは、彼の菩薩の御計らひかと存じて此の二十余年が間此を申す。(P866)

 

法華経の行者

若し、百千にも一つ日蓮が法華経の行者であるならば、行者を流罪して首を刎ねようとした国主が統治する日本国は他国に攻められ滅亡し、国を取られることであろう

文永12年(1275)2(建治3年[1277]821)「神国王御書」(真蹟)

余此の由を且()つ知りしより已来、一分の慈悲に催されて粗(ほぼ)随分の弟子にあらあら申せし程に、次第に増長して国主まで聞こえぬ。国主は理を親とし非を敵とすべき人にてをはすべきが、いかんがしたりけん、諸人の讒言(ざんげん)ををさめて一人の余をすて給ふ。彼の天台大師は南北の諸人あだ()みしかども、陳隋二代の帝、重んじ給ひしかば諸人の怨もうすかりき。此の伝教大師は南都七大寺讒言せしかども、桓武・平城・嵯峨の三皇用ひ給ひしかば、怨敵もをか()しがたし。今日蓮は日本国十七万一千三十七所の諸僧等のあだ()するのみならず、国主用ひ給はざれば、万民あだをなす事父母の敵にも超え、宿世のかたき()にもすぐれたり。結句は二度の遠流、一度の頭に及ぶ。彼の大荘厳仏(だいしょうごんぶつ)の末法の四比丘并びに六百八十万億那由他の諸人が普事比丘(ふじびく)一人をあだ()みしにも超え、師子音王仏(ししおんのうぶつ)の末の勝意比丘・無量の弟子等が喜根比丘をせめしにも勝れり。覚徳比丘がせめられし、不軽菩薩が杖木をかを()ほりしも、限りあれば此にはよもすぎじとぞをぼへ候。

若し百千にも一つ日蓮法華経の行者にて候ならば、日本国の諸人後生の無間地獄はしばらくをく。現身には国を失ひ他国に取られん事、彼の徽宗(きそう)・欽宗(きんそう)のごとく優陀延王(うだえんおう)・訖利多王(きりたおう)等のごとくならむ。又其の外は或は其の身は白癩(びゃくらい)黒癩(こくらい)、或は諸悪重病疑ひなかるべきか。もし其の義なくば又日蓮法華経の行者にあらじ。此の身現身には白癩黒癩等の諸悪重病を受け取り、後生には提婆・瞿伽利(くがり)等がごとく無間大城に堕つべし。

日月を射()奉る修羅は其の矢還(かえ)って我が眼に立ち、師子王を吼ゆる狗犬(くけん)は我が腹をやぶる。釈子を殺せし波琉璃王(はるりおう)は水中の中の大火に入り、仏の御身より血を出だせし提婆達多は現身に阿鼻の炎を感ぜり。金銅の釈尊をや()きし守屋は四天王の矢にあたり、東大寺・興福寺を焼きし清盛入道は現身に其の身も()うる病をうけにき。彼等は皆大事なれども日蓮が事に合はすれば小事なり。小事すら猶しるしあり、大事いかでか現罰なからむ。

悦ばしい哉、経文に任せて五五百歳広宣流布をまつ。悲しい哉、闘諍堅固の時に当たって此の国修羅道となるべし。(P890)

 

*法華経の行者

末代辺国の法華経の行者日蓮

日蓮は南無妙法蓮華経の法華経の行者を守護するよう、諸天善神の働きを促し諌暁する

「神国王御書」

日蓮天に向かひ声をあげて申さく、法華経の序品を拝見し奉れば、梵釈と日月と四天と竜王と阿修羅と二界八番の衆と無量の国土の諸神と集会し給ひたりし時、已今当に第一の説を聞きし時、我とも雪山童子の如く身を供養し、薬王菩薩の如く臂(ひじ)をもや()かんとをもいしに、教主釈尊、多宝・十方の諸仏の御前にして「今仏前に於て自ら誓言を説け」と諌暁し給ひしかば、幸ひに順風を得て「世尊の勅の如く当に具(つぶさ)に奉行すべし」と二処三会の衆一同に大音声を放ちて誓ひ給ひしはいかんが有るべき。唯仏前にては是くの如く申して多宝・十方の諸仏は本土にかへり給ふ。釈尊は御入滅ならせ給ひてほど久しくなりぬれば、末代辺国に法華経の行者有りとも、梵釈・日月等御誓ひをうちわす()れて守護し給ふ事なくば、日蓮がためには一旦のなげきなり。無始已来鷹の前のきじ()、蛇の前のかへる()、猫の前のねずみ()、犬の前のさる()と有りし時もありき。ゆめ()の代なれば仏菩薩・諸天にすか()されまいらせたりける者にてこそ候わめ。なによりもなげ()かしき事は、梵と帝と日月と四天等の、南無妙法蓮華経の法華経の行者の大難に値ふをす()てさせ給ひて、現身に天の果報も尽きて、花の大風に散るがごとく雨の空より下るごとく「其の人命終して阿鼻獄に入らん」と無間大城に堕ち給はん事こそあわれにはをぼへ候へ。設ひ彼の人々三世十方の諸仏をかたうど(方人)として知らぬよしの()べ申し給ふとも、日蓮は其の人々には強きかたきなり。若し仏のへんぱ(偏頗)をはせずば梵釈・日月・四天をば無間大城には必ずつけたてまつるべし。日蓮が眼と□とをそろしくば、いそ()ぎいそ()ぎ仏前の誓ひをはたし給へ。(P892)

 

                          鎌倉 材木座海岸
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