日蓮遺文・法華経の行者、上行菩薩 8

*法華経の行者

末代の法華経の行者を怨める者が堕ちる地獄を説示

建治元年(1275)4月「法蓮抄」(真蹟曽存)

問うて云はく、末代の法華経の行者を怨(あだ)める者は何(いか)なる地獄に堕つるや。答へて云はく、法華経の第二に云はく「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賎憎嫉(きょうせんぞうしつ)して結恨を懐かん。乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん。一劫を具足して劫尽きなば復(また)死し展転して無数劫(むしゅこう)に至らん」等云云。此の大地の下五百由旬を過ぎて炎魔王宮あり。其の炎魔王宮より下一千五百由旬が間に、八大地獄並びに一百三十六の地獄あり。其の中に一

百二十八の地獄は軽罪の者の住処、八大地獄は重罪の者の住処なり。八大地獄の中に七大地獄は十悪の者の住処なり。第八の無間地獄は五逆と不孝と誹謗との三人の住処なり。今法華経の末代の行者を戯論(けろん)にも罵詈誹謗せん人々はおつべしと説き給へる文なり。法華経の第四法師品に云はく「人有って仏道を求めて一劫の中に於て乃至持経者を歎美せんは其の福復彼に過ぎん」等云云。妙楽大師云はく「若し悩乱する者は頭七分に破れ、供養すること有らん者は福十号に過ぐ」等云云。(P937)

 

*法華経の行者

末代の法華経の行者を讃め供養する功徳を説示

「法蓮抄」

是程に貴き教主釈尊を一時二時ならず、一日二日ならず、一劫が間掌を合はせ両眼を仏の御顔にあて、頭(こうべ)を低()れて他事を捨て、頭の火を消さんと欲するが如く、渇して水ををもひ飢ゑて食を思ふがごとく、間(ひま)無く供養し奉る功徳よりも、戯論(けろん)に一言継母の継子をほむるが如く、心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃()め供養せん功徳は、彼の三業相応の信心にて、一劫が間生身の仏を供養し奉るには、百千万億倍すぐべしと説き給ひて候。

これを妙楽大師は福過十号とは書かれて候なり。十号と申すは仏の十の御名(みな)なり。十号を供養せんよりも、末代の法華経の行者を供養せん功徳は勝るとかゝれたり。妙楽大師は法華経の一切経に勝れたる事を二十あつむる其の一なり。(P941)

 

日本国の棟梁

日蓮は日本国の棟梁であり日蓮を失うことは国を失うことになる

「法蓮抄」

当に知るべし、是より大事なる事の一閻浮提の内に出現すべきなりと勘へて、立正安国論を造りて最明寺入道殿に奉る。彼の状に云はく取詮、此の大瑞は他国より此の国をほろぼすべき先兆なり。禅宗・念仏宗等が法華経を失ふ故なり。彼の法師原が頸をきりて鎌倉ゆゐ(由比)の浜にすてずば国当に亡ぶべし。其の後文永の大彗星の時は又手ににぎりて之を知る。去ぬる文永八年九月十二日の御勘気の時、重ねて申して云はく、予は日本国の棟梁なり。我を失ふは国を失ふなるべしと。今は用ひまじけれども後のためにとて申しにき。(P954)

 

*大聖人

日蓮は、此の国に大聖人有ることを知るべし、と説示

「法蓮抄」

(それ)天地は国の明鏡なり。今此の国に天災地夭あり。知んぬべし、国主に失ありと云ふ事を。鏡にうかべたれば之を諍(あらそ)ふべからず。国主小禍のある時は天鏡に小災見ゆ。今の大災は当に知るべし大禍ありと云ふ事を。仁王経には小難は無量なり、中難は二十九、大難は七とあり。此の経をば一には仁王と名づけ、二には天地鏡と名づく。此の国土を天地鏡に移して見るに明白なり。又此の経文に云はく「聖人去らん時は七難必ず起こる」等云云。当に知るべし、此の国に大聖人有りと。又知んぬべし、彼の聖人を国主信ぜずと云ふ事を。(P955)

 

法華経の行者・日本国の人々の父母、主君、明師

日蓮は愚かだが釈迦仏の使い、法華経の行者である

日蓮は日本国の人々の父母・主君・明師である

建治元年(1275)58一谷入道御書」(真蹟)

前に申しつるが如く、此の国の者は一人もなく三逆罪の者なり。是は梵王(ぼんのう)・帝釈・日月・四天の、彼の蒙古国の大王の身に入らせ給ひて責め給ふなり。日蓮は愚かなれども、釈迦仏の御使ひ・法華経の行者なりとなのり候を、用ひざらんだにも不思議なるべし。其の失(とが)に依って国破れなんとす。

(いわ)んや或は国々を追ひ、或は引っぱり、或は打擲(ちょうちゃく)し、或は流罪し、或は弟子を殺し、或は所領を取る。現の父母の使ひをかくせん人々よ()かるべしや。日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし。是を背かん事よ。念仏を申さん人々は無間地獄に堕ちん事決定なるべし。たのもしたのもし。(P996)

 

法華経の行者

日蓮はさじき女房の夫・兵衛左衛門殿は法華経の行者であり、妻も法華経の女人である、とする

建治元年(1275)525さじき女房御返事」(真蹟)

女人は水のごとし、うつは()物にしたがう。女人は矢のごとし、弓につが()はさる。女人はふね()のごとし、かぢ()のまかするによるべし。しかるに女人はをとこ()ぬす()人なれば女人ぬす人となる。をとこ王なれば女人きさき()となる。をとこ善人なれば女人仏になる。今生のみならず、後生もをとこによるなり。

しかるに兵衛(ひょうえ)のさゑもんどの(左衛門殿)は法華経の行者なり。たとひいかなる事ありとも、をとこのめ()なれば、法華経の女人とこそ仏はしろしめされて候らんに、又我とこゝろをを()こして、法華経の御ために御かたびら()をく()りたびて候。(P997)

 

                          山中湖より
                          山中湖より

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