本尊問答抄一考 1・2・3・4・5

1 本尊問答抄・法勝人劣的教示

                           身延山 山頂より
                           身延山 山頂より

弘安元年9月「本尊問答抄」(日興本断片・北山本門寺蔵)P1573P1586

 

本文

問うて云はく、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし。問うて云はく、何れの経文、何れの人師の釈にか出でたるや。答へて云はく、法華経の第四法師品に云はく「薬王、在々処々に若しは説き若しは読み、若しは誦(じゅ)し若しは書き、若しは経巻所住の処には皆応(まさ)に七宝の塔を起()てゝ極めて高広厳飾(こうこうごんじき)ならしむべし。復舎利を安(やす)んずることを須(もち)ひず。所以(ゆえん)は何(いかん)。此の中には已に如来の全身有(ましま)す」等云云。

涅槃経の第四如来性品に云はく「復次に迦葉、諸仏の師とする所は所謂(いわゆる)法也。是の故に如来恭敬(くぎょう)供養す。法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり」云云。

天台大師の法華三昧に云はく「道場の中に於て好き高座を敷き、法華経一部を安置し、亦必ずしも形像(ぎょうぞう)舎利並びに余の経典を安んずべからず。唯法華経一部を置け」等云云。

 

◇日蓮は末代悪世の凡夫は「法華経の題目を以て本尊」とすべきことを示す。「妙法蓮華経法師品第十」「涅槃経第四如来性品」と智顗の「法華三昧懺儀」を文証とする。

 

 

本文

疑って云はく、天台大師の摩訶止観の第二、四種三昧の御本尊は阿弥陀仏なり、不空三蔵の法華経の観智の儀軌は釈迦・多宝を以て法華経の本尊とせり、汝何ぞ此等の義に相違するや。答へて云はく、是私の義にあらず。上に出だすところの経文並びに天台大師の御釈なり。但し摩訶止観の四種三昧の本尊は阿弥陀仏とは、彼は常坐・常行・非行非坐の三種の本尊は阿弥陀仏なり。文殊問経・般舟三昧経・請観音経等による。是は爾前の諸経の内未顕真実の経なり。半行半坐三昧には二あり。一には方等経の七仏・八菩薩等を本尊とす、彼の経による。二には法華経の釈迦・多宝等を引き奉れども、法華三昧を以て案ずるに法華経を本尊とすべし。不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり。此は法華経の教主を本尊とす、法華経の正意にはあらず。上に挙ぐる所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり。

 

◇続いて、智顗の「摩訶止観」の第二、四種三昧の本尊は阿弥陀仏だが、常坐・常行・非行非坐の三種の本尊は文殊問経・般舟三昧経・請観音経等に依って阿弥陀仏とされており、それら経典は爾前の諸経の内未顕真実の経である、とする。半行半坐三昧には二つあって、一つは方等経の七仏・八菩薩等を本尊としている。もう一つは法華経の釈迦・多宝等を引いているが、智顗の「法華三昧懺儀」を以て案ずれば、法華経が本尊である、と定める。不空三蔵の「法華経の観智の儀軌」(成就妙法蓮華経王瑜伽論観智儀軌=法華儀軌)では、宝塔品の文によって「法華経の教主」釈尊を本尊とするが、寿量品の久遠実成の釈尊ではない故、宝塔品の文に依って「法華経の教主」釈尊を本尊とするのは法華経の正意ではない、と教示する。

 

法華経の教主を本尊とす、法華経の正意にはあらず」だけを見れば、「釈迦仏本尊=仏()本尊の否定」との印象を受けるが、それは不空三蔵が「法華儀軌」内で『宝塔品の文に依って釈迦を本尊としている』ことを破折、指摘した文であることに注意すべきだろう。法華経本門寿量品の本仏・久遠実成の釈尊を本尊とせず、とはしていないのである。文末では、冒頭の「法華経の題目を以て本尊」とすることにつき、それは「釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意」である、として「題目本尊・法本尊」の立場であることを示す。

 

 

本文

問うて云はく、日本国に十宗あり。所謂倶舎・成実・律・法相・三論・華厳・真言・浄土・禅・法華宗なり。此の宗は皆本尊まちまちなり。所謂倶舎・成実・律の三宗は劣応身の小釈迦なり。法相・三論の二宗は大釈迦仏を本尊とす。華厳宗は台上の盧遮那報身の釈迦如来、真言宗は大日如来、浄土宗は阿弥陀仏、禅宗にも釈迦を用ひたり。何ぞ天台宗に法華経を本尊とするや。答ふ、彼等は仏を本尊とするに是は経を本尊とす、其の義あるべし。

問ふ、其の義如何。仏と経と何れか勝れたるや。答へて云はく、本尊とは勝れたるを用ふべし。例せば儒家には三皇五帝を用ひて本尊とするが如く、仏家にも又釈迦を以て本尊とすべし。

 

◇倶舎・成実・律・法相・三論・華厳・真言・浄土・禅等の本尊を破折しながら、「本尊とは勝れたるを用」いるべきとして、「仏家にも又釈迦を以て本尊とすべし」と、仏本尊・釈迦を本尊とするべきことを示す。先の「題目本尊・法本尊」とあわせて、ここまでの記述では「題目本尊・法本尊」「釈迦本尊・仏()本尊」並列となる。

 

 

本文

問うて云はく、然らば汝云何(いかん)ぞ釈迦を以て本尊とせずして、法華経の題目を本尊とするや。答ふ、上に挙ぐるところの経釈を見給へ、私のぎ()にはあらず。釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり。末代今の日蓮も仏と天台との如く、法華経を以て本尊とするなり。

其の故は法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり。釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり。故に全く能生を以て本尊とするなり。

問ふ、其の証拠如何。

答ふ、普賢経に云はく「此の大乗経典は諸仏の宝蔵也、十方三世の諸仏の眼目なり、三世の諸の如来を出生する種なり」等云云。

又云はく「此の方等経は是諸仏の眼なり。諸仏は是に因って五眼を具することを得たまへり。仏の三種の身は方等より生ず。是大法印にして涅槃海(ねはんかい)を印す。此くの如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず。此の三種の身は人天の福田(ふくでん)、応供(おうぐ)の中の最なり」等云云。

此等の経文、仏は所生、法華経は能生、仏は身なり、法華経は神(たましい)なり。然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし。而るに今木画の二像をまう()けて、大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすは、尤(もっと)も逆なり。

 

◇ここでは問いが発せられ、冒頭の「法華経の題目を以て本尊」と前の「仏家にも又釈迦を以て本尊とすべし」の矛盾が指摘される。問いの文面では、答者は既にして、「法華経の題目を本尊とする」者に設定されている。即ち、日蓮は答えを通して「題目本尊・法本尊」の立場であることを示すのである。その理由は、法華経は釈尊・諸仏を出生する父母、能生であり、仏は所生の立場であるから、としている。これにより、日蓮は「本尊問答抄」の該文では、法華経・妙法蓮華経・法=能生、仏・釈尊=所生という「法勝人劣」的記述をしている、といえるだろう。

 

このような「本尊問答抄」の記述によって、日蓮は建治年間から弘安元年9月頃までには「法勝人劣」思想を確立した、との見解が多く見受けられる。以下、「法勝人劣」思想、釈迦仏と法について、日蓮遺文をもとに考えてゆこう。

 

2 日蓮は「法勝人劣」思想を確立したのか?

             身延山 山頂より
             身延山 山頂より

上記「本尊問答抄」以外に、日蓮が「法勝人劣」思想を確立していた文証として挙げられる遺文には、以下のようなものがある。

 

建治2511(或は弘安2)の「宝軽法重事」(真蹟)では「人軽しと申すは仏を人と申す。法重しと申すは法華経なり。夫(それ)法華已前の諸経並びに諸論は仏の功徳をほめて候、仏のごとし。此の法華経は経の功徳をほめたり、仏の父母のごとし。」(P1179)と「法華経は仏の父母」としており、「本尊問答抄」の「法華経は釈尊の父母」と同じである、とされる。

 

建治4225日の「上野殿御返事」(日興本・大石寺蔵)には「仏はいみじしといゑども、法華経にたいしまいらせ候へば、蛍火と日月との勝劣、天と地との高下なり。仏を供養してかゝる功徳あり。いわうや法華経をや。」(P1450)とあって、これも「法勝人劣」思想を表すものとされている。

 

弘安254日の「窪尼御前御返事」(真蹟断片・日興本 大石寺蔵)にも「まして法華経は仏にまさらせ給ふ事、星と月と、ともしびと日とのごとし。(P1645)とあり、法に重きを置いていることが窺える、とする。

 

また、文永9年の「祈祷抄」(真蹟曽存)には「仏此の法華経をさとりて仏に成り」(P670)と記し、法華経は能生、仏は所生という「本尊問答抄」と同じ関係を示している、とされる。

 

3 日蓮への供養・法華経への供養

             身延 草庵跡
             身延 草庵跡

それでは、前記各遺文を確認してみよう。

 

「本尊問答抄」の「法勝人劣」的記述については、法兄の浄顕房に対して、「此の御本尊は世尊説きおかせ給ひてのち、二千二百三十余年が間、一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず。」「御不審を書きをく()りまいらせ候に、他事をすてゝ此の御本尊の御前にして一向に後世をもいの()らせ給ひ候へ。」と、曼荼羅を授与したことに関連して当抄で「題目本尊・法本尊」の大事を強く説いたものであって、浄顕房及び周囲への対機説法と考えられるのではないだろうか。背景には清澄寺の信仰世界というものがあるように思う。

 

「宝軽法重事」の後文には「一閻浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔いまだ候はず。いか()でかあら()われさせ給はざるべき。」(P1179)と、一閻浮提に未だ存在しない法華経本門寿量品・久遠実成の釈尊の木画の像を奉安する堂塔が、必ずや建立されるであろうことを予見しており、その仏()本尊が題目・法本尊に劣る、ということはないだろう。

 

「上野殿御返事」も後文に、届けられた供養の功徳は大であり「此をもってをも()ふに、釈迦仏・多宝仏・十羅刹女いかでかまぼ()らせ給はざるべき。」(P1451)と、釈迦仏・多宝仏・十羅刹女の守護有ることを説示するのに、そこには人と法の勝劣というものは感じられない。

 

「宝軽法重事」には「(たかんな)百本、芋一駄送り給び了んぬ。」(P1178)、「上野殿御返事」は「蹲鴟(いものかしら)、くしがき(串柿)、焼米、栗、たかんな()、すづつ(酢筒)給び候ひ了んぬ」(P1450)「窪尼御前御返事」は「御供養の物、数のまゝに慥(たし)かに給び候。」(P1645)とある。

特に「上野殿御返事」と「窪尼御前御返事」では、徳勝童子が釈迦仏に砂の餅を捧げた功徳により阿育大王と生まれた故事(雑阿含経)を引用しており、三つの書状は共に、信徒より供養を届けられた事に感謝してその功徳を説く書状となっている。

 

ここで眼を転じて、他の二つの書状を見てみよう。

建治元年「白米和布御書」(真蹟)

白米五升・和布(わかめ)一連給び了んぬ。阿育大王は昔得勝童子なり。沙(すな)の餅を以て仏に供養し一閻浮提の王と為る。今施主は白米五升を以て法華経に供養す。是の故に成仏し候ひ了んぬ。何故に飢ゑを申すべき。(P1132)

 

建治元年928日「御衣並単衣(おんころもならびにひとえぎぬ)御書」(真蹟)

御衣の布、並びに御単衣給び候ひ了んぬ。

中略

衣かたびら(帷子)は一なれども、法華経にまいらせさせ給ひぬれば、法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり。

中略

『応化は真仏に非ず』と申して、三十二相八十種好の仏よりも、法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給ひ候へ。仏の在世に仏を信ぜし人は仏にならざる人もあり。仏の滅後に法華経を信ずる人は『無一不成仏』とは如来の金言なり。この衣をつく()りて、かたびら(帷子)をきそ(着添)えて法華経をよみて候わば、日蓮は無戒の比丘なり、法華経は正直の金言なり、(P1111)

 

「白米和布御書」は某氏より届けられた「白米五升」と「和布一連」の供養に対する返状、御衣並単衣御書」は富木氏より「帷子の衣布」と「単衣の着物」を送り届けられたことに対する返状なのだが、身延の山中に届けられた供養を日蓮は「法華経に供養」されたもの、「法華経にまいらせ」たもの、としている。即ち「法華経の行者日蓮」に届けられた供養は「法華経」への供養なのであり、「法華経」に捧げられた供養に謝して法華経の法力と甚大なる功徳を説示するのに、法勝的な記述も加えられるのは然りではないだろうか。

 

4 法仏一体~法華経の文字=釈迦如来の御魂・生身の釈迦如来・生身の仏

             身延 草庵跡より望む
             身延 草庵跡より望む

「祈祷抄」の次ページには「而りといへども御悟りをば法華経と説きをかせ給へば、此の経の文字は即釈迦如来の御魂(みたま)なり。一々の文字は仏の御魂なれば、此の経を行ぜん人をば釈迦如来我が御眼の如くまぼ()り給ふべし。人の身に影のそ()へるがごとくそはせ給ふらん。いかでか祈りとならせ給はざるべき。」(P671)と、法華経の文字は釈迦仏の魂であること=法華経即釈迦仏と釈迦仏の行者守護が教示されていて、この場合、人法に勝劣はないだろう。

 

 

それは同年の「四條金吾殿御返事(梵音声書)(文永9年・日興本 北山本門寺蔵) にも見えるところで、「其の中に法華経は釈迦如来の御志を書き顕はして此の音声を文字と成し給ふ。仏の御心はこの文字に備はれり。たとへば種子と苗と草と稲とはか()はれども心はたがはず。釈迦仏と法華経の文字とはかはれども、心は一つなり。然れば法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあ()ひまい()らせたりとおぼしめすべし。此の志佐渡国までおくりつかはされたる事すでに釈迦仏知()ろし食()し畢(おわ)んぬ。実に孝養の詮なり。」(P666)と、法と仏とは一体であって異なりはなく「法仏一体」として説示されるのである。

 

日蓮遺文における「法勝人劣」的記述については、確かに文証とされる該文「だけを」読めば、「日蓮は法勝人劣思想を確立していたのか」とも考えられるだろうが、「日蓮と釈迦の関係」の項で確認するように日蓮は釈迦を仏として尊信している如来使の立場であって、一方では釈迦仏=人を崇敬する文証もまた多数存在する。(学術的観点は別として)釈迦が法華経を説き、釈迦の口より生み出されたその法華経は、釈迦が滅すれば文字に顕された釈迦の教え=釈迦そのもの、として生き続ける。「法蓮抄」(建治元年4月 真蹟断片・真蹟曽存)には今の法華経の文字は皆生身の仏なり。(P950)とある。釈迦の滅した後に、文字と化した釈迦=法華経の功徳力、法力とその大事を説けば、今に生きる釈尊=法について「法を重しとした、法勝的教示」となることもあるだろう。

 

5 法勝人劣は日蓮的両論並立思想の一表現

文永12216日に著された「新尼御前御返事(与東條新尼書)(真蹟曽存・真蹟断簡)では、釈迦の心中にあった御本尊と日蓮の関係について、以下のように記している。

「此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめ」(P866)ていたのだが、釈迦が「世に出現せさせ給ひても四十余年」は説かれず、ようやく「法華経の中にも迹門はせすぎて」、「宝塔品(11)より事をこりて寿量品(16)に説き顕は」され、「神力品(21)嘱累品(22)に事極ま」った。「文殊師利」「弥勒菩薩」「観世音」「日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩等の諸大士」らが、御本尊の付属を「我も我もと望み給ひしかども叶は」なかった。その理由は「智慧いみじく、才学ある人々とはひゞ()」いていたのだが、「いまだ日あさし、学も始めたり、末代の大難忍びがたかる」故であった。そして釈迦は「我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり、此にゆづ()るべし」として、「上行菩薩等を涌出品に召し出ださせ」て、「法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづ」られ、「我が滅度の後正法一千年、像法一千年に弘通すべからず」と教戒されて末法における弘通を託されたのである。

 

このように、日蓮は自己と上行菩薩を重ねながら、釈迦から「御本尊=妙法蓮華経=法華経の題目」の付属を受けて末法に弘通することを宣しているのであり、その御本尊は「教主釈尊」が「五百塵点劫」という長遠の彼方より「心中にをさめ」ていた、と明示しているのである。教主の胸中にあった法は教主から生み出されたものであり、教主と異なることはないのであって、教主の弟子が付属された「教主の胸中の法を教主に勝ると『確定する』」ことは考え難いのである。

 

日蓮遺文での「法勝人劣」的記述、教主釈迦を崇敬する文、釈迦と法華経、釈迦と本尊についての説示、そして日蓮は曼荼羅を顕しながらも釈迦像を崇拝した人法並列本尊観を勘考すれば、日蓮は「法勝人劣」思想を確立したというよりも「人法並列」思想であったといえるだろう。

 

遺文における「法勝人劣」的記述は法華経・題目・法を強調して説く時にみられるもので、それらは「人法並列」思想を常とする日蓮の「日蓮的両論並立の一表現」といえると思う。また、そこには対機説法の要素も含まれていると見るべきだろう。

 

今回の「本尊問答抄」における論点だけではなく、日蓮の教理展開にあっては一見、矛盾とも思える表記が多々見受けられるものであることに注意を要するべきで、一方の遺文だけで確定的に判断できるものではなく、対極的なもの、またそれらを包摂する記述を複数集めて初めて、「日蓮的両論並立思想」というものが見えてくるように思う。実は対極的なものも双方ともに日蓮の真意なのである。日蓮の法華伝道初期においては法華経最第一としながらも「法華真言未分」であり、教理展開の認識を誤りやすい面があるのと同様、本尊観についても人と法を重んじる両論の記述が存在する。これを、一方だけの文献に依って日蓮像を論じれば、本来とは異なったものになるのではないかと思うのだ。

 

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