身延草庵の本尊一考 1

                        身延山 山頂より
                        身延山 山頂より

1 日蓮の居所の本尊は

【 曼荼羅は大本尊 】

文永8年10月から始まり佐渡期以降、曼荼羅を書き顕して弟子檀越に授与した日蓮なのだが、彼自身が居所に安置して拝したことが明確に分かるものは、「小庵には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし」(定P892 神国王御書 真蹟)、「教主釈尊の御宝前」(定P1151 忘持経事 真蹟)とあるように、釈迦仏像と法華経、他の経典群などである。天台大師講の時は「大師講ををこ(行)なうべし。大師とてまいらせて候。」(定P752 弁殿尼御前御書 真蹟)と、智顗の像を置いていた。弘安3年11月29日の「富木殿御返事」(真蹟)に「鵞目一結、天台大師の御宝前を荘厳し候ひ了んぬ。」(定P1818)とあるので、身延の草庵でも智顗像を安置している。日蓮が、自ら書いた曼荼羅を居所に奉掲したとの直接的な記述は遺文にはないようで、「鵞目(がもく)一貫送り給びて法華経の御宝前に申し上げ候ひ了んぬ」(定P1826 智妙房御返事 真蹟)と、身延入山以降の遺文によく見られる「法華経の御宝前」との記述について、「法華経は曼荼羅を意味するのではないか」との解釈により曼荼羅奉掲説が唱えられていたりする。だが、この場合、曼荼羅奉掲論者と対する側の解釈論の応酬・循環になり、明快に「法華経は曼荼羅」と証明するのは難しいと思う。やはり「法華経の御宝前」だけでは、曼荼羅奉掲の根拠としては弱いのではないか。ただし、私としても遺文にはその文証を見出せないが、佐渡期以降、日蓮は曼荼羅を居所に奉掲したのではないかと考えている。

 

妙法曼荼羅の形相の起源をめぐって2」に書いたように、門下が仏像を拝むも、曼荼羅を拝むも、個々の信仰、縁、機、財力によるもので、それが「法爾の道理」だったのではないかと思うし、日蓮としては「必ずしも誰人にも曼荼羅が必要であるとの考えではなかった」「帰命の対象たる本尊は曼荼羅に限るという考えではなかった」また、「日蓮及び門徒中では曼荼羅というものに絶対的必要性はなかった」のではないかと考えている。けれども、こと日蓮の居所に関して言えば、「此経則為閻浮提人 病之良薬 若人有病 得聞是経 病即消滅 不老不死」(佐渡始顕本尊)と、一閻浮提の人の病の良薬であり、「上行菩薩」(万年救護本尊)であることを含ませながら「大本尊」(同)として顕した曼荼羅を奉掲して拝していたと思う。単純にいえば、「大本尊」なのだから、それを認めた曼荼羅を奉掲して即ち本尊として礼拝するのは「道理」ではないか。

 

例えば、文永11年7月25日、身延山中で書き顕した曼荼羅に日蓮は「大覚世尊入滅後二千二百二十余年之間 雖有経文一閻浮提之内未有大曼陀羅也得意之人察之」と書き入れている。大覚世尊が入滅した後、二千二百二十余年の間、今に至るまで法華経の経文には有るが一閻浮提の内に未だ出現しなかった未曽有の大曼荼羅が、今始めて出現するのであり、この深き意義を得意すべき旨を強調しているのだ。このように曼荼羅の意義を讃文として書き、求める弟子檀越には教導しただろうから、であれば、自らがそれを奉掲して拝むのが「道理」というものだろう。その逆であったら、果たして弟子檀越はどのように思うことだろうか。万年救護本尊でみれば「大本尊」とあるのに、書いた本人が「本尊」とせず、とは仏教の道理、言葉の常識からも有り得ないことだろう。

 

注意すべきは奉掲の態様だ。

常時安置されていたのは遺文に明らかな釈迦仏像と法華経、他の経典などで、曼荼羅についてはどうだろうか。奉掲の態様については種々考えられるところで、釈迦仏像、経典と共に常時奉掲されたのか、それとも法華経読誦、唱題の時や、各地の弟子檀越が日蓮のもとに来訪して読経する時に掲げる、また各種の法会の時に奉掲するという扱い方だったのか。常時奉掲されなくても、数日、数週間、数箇月、一定期間奉掲されたことがあったかもしれない。いずれにしても、日蓮自らが「此経則為閻浮提人病之良薬」「大本尊」とした以上、佐渡の居所、身延の草庵において、『本尊としての曼荼羅』を見ない日はなかった、と思うのだ。

 

であれば、日蓮はどのような曼荼羅を草庵に奉掲して礼拝していたのか?これまた当時の曼荼羅奉掲の様相を窺い知れる資料がないので、推測を重ねるしかない、というのが実状だと思う。ここでは困難な?前提はそれとして、少しでも可能性を探ってみよう。

 

                         身延 草庵跡入口
                         身延 草庵跡入口
                            草庵跡
                            草庵跡

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