釈迦仏・法華経・日蓮・曼荼羅 11

*法華経にはいのりまいらせ候へ

弘安2年11月25日「富城殿女房尼御前御書」(真蹟)

はるかにみまいらせ候はねば、をぼつかなく候。たうじ(当時)とてもたのしき事は候はねども、むかしはことにわび()しく候ひし時より、やしなわれまいらせて候へば、ことにをん()をも()くをも(思い)ひまいらせ候。それについては、いのちはつるかめ(鶴亀)のごとく、さいわい(幸福)は月のまさり、しを()のみ()つがごとくとこそ、法華経にはいのりまいらせ候へ。(P1710)

 

*此の御心は法華経の御宝前に申し上げて候

弘安2年11月25日「兵衛志殿女房御返事」(真蹟)

兵衛志殿女房、絹片裏(かたうら)()び候ひ了んぬ。此の御心は法華経の御宝前に申し上げて候。まことゝはをぼへ候はねども、此の御房たちの申し候は、御子どもは多し。よ()にせけん(世間)かつかつとをはすると申し候こそなげかしく候へども、さりともとをぼしめし候へ。(P1711)

 

*法華経の一字供養の功徳は知りがたし

弘安2年12月27日「窪尼御前御返事」(日興本[要検討]大石寺蔵)

十字(むしもち)五十まい、くしがき(串柿)一れん()、あめをけ(飴桶)一つ送り給()び了んぬ。

御心ざしさきざきか()きつくして、ふで()もつ(禿)び、ゆび()もたゝぬ。三千大千世界に七日ふる雨のかず()はかず()へつ()くしてん、十方世界の大地のちり()は知る人もありなん、法華経の一字供養の功徳は知りがたしとこそ、仏はとかせ給ひて候へ。此をもて御心へあるべし。(P1720)

 

*釈迦仏法華経定めて御計らひ候はんか

弘安2年12月27日「上野殿御返事」(真蹟)

白米一だ()をくり給()び了んぬ。(P1721)

中略

念仏と禅と真言と律とを信ずる代()に値()ひて法華経をひろむれば、王臣万民ににく()まれて、結句は山中に候へば、天いかんが計らはせ給ふらむ。五尺のゆき()()りて本よりもかよ()わぬ山道ふさ()がり、と()いくる人もなし。衣もうす()くてかん()ふせ()ぎがた()し。食た()へて命すでにを()はりなんとす。かゝるきざみ()にいのち()さまたげの御とぶ()らい、か()つはよろこ()びかつはなげ()かし。一度にをも()い切ってう()へし()なんとあん()じ切って候ひつるに、わづかのともしび(灯火)にあぶら()を入れそへられたるがごとし。あわれあわれたうと()くめでたき御心かな。釈迦仏法華経定めて御計らひ候はんか。()

 

*法華経の御宝前にかざ(飾)り進(まい)らせ候

弘安3年1月11日「上野殿御返事」(真蹟断簡)

十字(むしもち)六十枚・清酒(すみざけ)一筒(ひとつつ)・薯蕷(やまのいも)五十本・柑子(こうじ)二十・串柿(くしがき)一連送り給び候ひ畢んぬ。法華経の御宝前にかざ()り進(まい)らせ候。

春の始めの三日、種々の物法華経の御宝前に捧げ候ひ畢んぬ。花は開いて果(このみ)となり、月は出でて必ずみ()ち、灯は油をさせば光を増し、草木は雨ふればさか()う、人は善根をなせば必ずさか()う。其の上元三(がんざん)の御志元一(がんいち)にも超へ、十字の餅(もちい)満月の如し。事々又々申すべく候。(P1729)

 

*御志は法華経に挙げ申し候ひ了んぬ

*十羅刹御身を守護すること疑ひ無く候はんか

弘安3年4月10日「富城入道殿御返事」(真蹟)

鵞目(がもく)一結()ひ給び候ひ了んぬ。御志は法華経に挙げ申し候ひ了んぬ。定めて十羅刹御身を守護すること疑ひ無く候はんか。さては尼御前の御事をぼつかなく候由、申し伝へさせ給ひ候へ。(P1746)

 

*妙の文字は三十二相八十種好円備せさせ給ふ釈迦如来にておはします

弘安3年5月4日「妙心尼御前御返事(妙字御消息)」(日興本[要検討]大石寺蔵)

又妙の文字は花のこのみとなるがごとく、半月の満月となるがごとく、変じて仏とならせ給ふ文字なり。されば経に云はく「能く此の経を持つは則ち仏身を持つなり」と。天台大師の云はく「一々文々是真仏なり」等云云。妙の文字は三十二相八十種好円備せさせ給ふ釈迦如来にておはしますを、我等が眼つたなくして文字とはみまいらせ候なり。譬へば、はちす()の子()の池の中に生()ひて候がやうに候。はちすの候を、としよりて候人は眼くらくしてみず。よる()はかげ()の候を、やみ()にみざるがごとし。されども此の妙の字は仏にておはし候なり。又、此の妙の文字は月なり、日なり、星なり、かゞみなり、衣なり、食なり、花なり、大地なり、大海なり。一切の功徳を合はせて妙の文字とならせ給ふ。又は如意宝珠のたまなり。かくのごとくしらせ給ふべし。くはしくは又々申すべし。(P1748)

 

*仏は釈迦仏、諸仏第一の上仏なり

弘安3年5月29日「新田殿御書」(真蹟)

使ひの御志限り無き者か。経は法華経、顕密第一の大法なり。仏は釈迦仏、諸仏第一の上仏なり。行者は法華経の行者に相似たり。三事既に相応せり。檀那の一願必ず成就せんか。(P1752)

 

*法華経に供養しまいらせ給ふ

弘安3年6月27日「窪尼御前御返事」(日興本[要検討]大石寺蔵)

仏の御弟子の中にあなりち(阿那律)と申せし人は、こくぼん(斛飯)王の御子、いえ()にたから()をみ()てゝおはしき。のち()に仏の御でし(弟子)となりては、天眼第一のあなりち(阿那律)とて、三千大千世界を御覧ありし人、法華経の座にては普明如来とならせ給ふ。そのさき()のよ()の事をたづぬれば、ひえ()のはん()を辟支仏と申す仏の弟子にくやう(供養)せしゆへなり。いまの比丘尼は、あわ()のわさごめ(早稲米)山中にをくりて法華経にくやう(供養)しまいらせ給ふ。いかでか仏にならせ給はざるべき。(P1753)

 

*即身成仏は法華経に限る

*即身成仏の手本たる法華経

弘安3年7月2日(或は建治元年)「大田殿女房御返事(即身成仏事)」(真蹟)

しかれども釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌・竜樹菩薩・天台・妙楽・伝教大師は、即身成仏は法華経に限るとをぼしめされて候ぞ。我が弟子等は此の事ををも()ひ出にせさせ給へ。(P1755)

中略

即身成仏の手本たる法華経をば指()しをいて、あとかたもなき真言に即身成仏を立て、剰へ唯の一字をを()かるゝ条、天下第一の僻見なり。此偏に修羅根性の法門なり。天台智者大師の文句の九に、寿量品の心を釈して云はく「仏三世に於て等しく三身有り。諸教の中に於て之を秘して伝へず」とかゝれて候。此こそ即身成仏の明文にては候へ。(P1757)

 

                           山中湖より
                           山中湖より

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