釈迦仏・法華経・日蓮・曼荼羅 13 

*法華経を供養しまいらせ候

弘安4年2月17日(或は建治4年)「桟敷女房御返事」(真蹟)

白きかたびら布一切給び了んぬ。法華経を供養しまいらせ候に、十種くやう(供養)と申す十のやう候。其の中に衣服と申し候はなにゝても候へ、僧のき()候物をくやうし候。其の因縁をとかれて候には、過去に十万億の仏をくやうせる人、法華経に近づきまいらせ候とこそとかれて候へ。あらあら申すべく候へども、身にいたわる事候間こまかならず候。(P1860)

 

*南無妙法蓮華経と唱へまいらせ候ひ了んぬ

弘安4年11月15日「上野尼御前御返事」(真蹟断簡)

(しらげごめ)一駄四斗定・あらひいも(洗芋)一俵送り給()びて南無妙法蓮華経と唱へまいらせ候ひ了んぬ。妙法蓮華経と申すは蓮に譬へられて候。天上には摩訶曼陀羅華(まかまんだらけ)、人間には桜の花、此等はめでたき花なれども、此等の花をば法華経の譬へには仏取り給ふ事なし。一切の花の中に取り分けて此の花を法華経に譬へさせ給ふ事は其の故候なり。(P1890)

 

*釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏に此の功徳はまか(任)せまいらせ候

弘安4年12月27日「窪尼御前御返事」(日興本[要検討]大石寺蔵)

又、人をもわづら()はさず、我が心もなをしく、我とはげ()みて善根をして候も、仏にな()らぬ事もあり。いはく、よ()きたね()をあ()しき田にう()えぬれば、たね()だにもなき上、かへりて損となる。まことの心なれども、供養せらるゝ人だにもあ()しければ功徳とならず、かへりて悪道にお()つる事候。此は日蓮を御くやうは候はず、法華経の御くやうなれば、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏に此の功徳はまか()せまいらせ候。(P1899)

 

*八日は各々の御父・釈迦仏の生まれさせ給ひ候ひし日なり

*法華経と釈迦仏とを御信心ありて

弘安5年1月7日「四條金吾殿御返事(八日講御書)」(真蹟断簡)

(そもそも)八日は各々の御父・釈迦仏の生まれさせ給ひ候ひし日なり。彼日に三十二のふしぎあり。一には一切の草木に花さ()きみ()なる。二には大地より一切の宝わきいづ。三には一切のでんばた(田畑)に雨ふらずして水わきいづ。四にはよる()へん()じてひる()の如し。五には三千世界に歎きのこゑなし。是くの如く吉瑞の相のみにて候ひし。是より已来(このかた)今にいたるまで二千二百三十余年が間、吉事には八日をつかひ給ひ候なり。

然るに日本国皆釈迦仏を捨てさせ給ひて候に、いかなる過去の善根にてや法華経と釈迦仏とを御信心ありて、各々あつ()まらせ給ひて八日をくやう(供養)申させ給ふのみならず、山中の日蓮に華かう()ををく()らせ候やらん、たうとし、たうとし。(P1906)

 

*今の檀那等は二十枚の金のもち(餅)ゐを法華経の御前にさゝ(捧)げたり

弘安5年1月11日(「日蓮聖人真蹟の形態と伝来・P310」による、「昭和定本」は弘安2年)

「上野郷主等御返事」(形木1紙完)

昔の徳勝童子は土のもち()ゐを仏にまいらせて一閻浮提の主となる。今の檀那等は二十枚の金のもち()ゐを法華経の御前にさゝ()げたり。後生の仏は疑ひなし。なんぞ今生にそのしるし()なからむ。(P1622)

 

*御むしろ(筵)を法華経にまいらせ給ひ候ひぬれば

弘安5年3月上旬「筵三枚御書」(真蹟断片)

莚三枚・生和布一籠給び了んぬ。(P1913)

中略

さては財(たから)はところにより、人によって、かわりて候。此の身延山には石は多けれども餅なし。こけ()は多けれどもうちしく物候はず。木の皮をはいでし()き物とす。むしろ()いかでか財とならざるべき。()

中略

いわうや日本国は月氏より十万より(余里)をへだ()てて候辺国なる上、へびす()の島、因果のことわりも弁(わきま)へまじき上、末法になり候ひぬ。仏法をば信ずるやうにてそし()る国なり。しかるに法華経の御ゆへに名をたゝせ給ふ上、御むしろ()を法華経にまいらせ給ひ候ひぬれば、()

 

                           本栖湖より
                           本栖湖より

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