釈迦仏・法華経・日蓮・曼荼羅 4

*我等が本師釈迦如来

*本師釈迦如来

文永10年5月「如説修行抄」(日尊本21紙 富久成寺蔵、日朝本)

所詮仏法を修行せんには人の言を用ふべからず、只仰いで仏の金言をまぼ()るべきなり。我等が本師釈迦如来、初成道の始めより法華を説かんと思(おぼ)し食()ししかども、衆生の機根未熟なりしかば、先づ権教たる方便を四十余年が間説きて、後に真実たる法華経を説かせ給ひしなり。(P734)

中略

我等が本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年。今日蓮は二十余年の間権理を破るに其の間の大難数を知らず。仏の九横の大難に及ぶか及ばざるかは知らず、恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値ひ給ひし事なし。彼は只悪口怨嫉(あっくおんしつ)(ばか)りなり。

是は両度の御勘気、遠国の流罪、竜口の頸の座、頭の疵(きず)等、其の外悪口せられ、弟子等を流罪せられ、籠に入れられ、檀那の所領を取られ、御内を出だされし。是等の大難には竜樹・天台・伝教も争(いか)でか及び給ふべき。されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵の杖(つえ)定んで有るべしと知り給へ。(P736)

 

◇日蓮は、仏とは我等が本師釈迦如来であることを教示する。

(当抄の真偽については諸説あり)

 

*本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布

*教主釈尊に侍へ奉らん

*三国四師

文永10年閏5月11日「顕仏未来記」(真蹟曽存)

(しか)りと雖も仏の滅後に於て、四味三教等の邪執(じゃしゅう)を捨てゝ実大乗の法華経に帰せば、諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん。此の人は守護の力を得て本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか。

例せば威音王仏の像法の時、不軽菩薩「我深敬」等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如し。彼の二十四字と此の五字と其の語殊(こと)なりと雖も其の意之同じ。彼の像法の末と是の末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり。(P740)

中略

日蓮此の道理を存じて既に二十一年なり。日来(ひごろ)の災、月来(つきごろ)の難、此の両三年の間の事、既に死罪に及ばんとす。今年今月万が一も身命を脱れ難きなり。世の人疑ひ有らば委細の事は弟子に之を問へ。

幸ひなるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことよ、悦ばしいかな未だ見聞せざる教主釈尊に侍(つか)へ奉らんことよ。願はくは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん。我を扶(たす)くる弟子等をば釈尊に之を申さん。我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進(まい)らせん。(P742)

中略

伝教大師云はく「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり、浅きを去って深きに就()くは丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦(しんだん)に敷揚(ふよう)し、叡山の一家()は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等。安州の日蓮は恐らくは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通せん。三に一を加へて三国四師と号()づく。()

 

◇誰が一閻浮提広宣流布を成すのか。

何を一閻浮提に広宣流布するのか。

日蓮は誰に侍へ奉ったのか。

日蓮は誰より相承したのか。

それは直接なのか、時空間を超えた申告者の内面世界でのものなのか。

直接でなければ、自己申告でもいいのか。

そこに「客観的に証明する人」は必要なのか、必要ではないのか。

釈迦と法華経の先師に直結することは不可なのか、可なのか。

久遠仏への直参に介添え、仲介者はいるのか、いらないのか。

日蓮の宗教世界というのは、要は直結信仰なのか。

これらについて、明答されている遺文といえよう。

 

日蓮が自らをして、三師に相承して三国四師としたことは、当時の仏教世界の常識からすれば、随分と飛躍した宣言であったことだろうし、権威と一体化した体制仏教側が見れば、流人、田舎坊主の戯言程度のものだっただろう。しかし、自らの宗教体験・確信により自己申告・宣言を成すことにより、宗教の骨格が形作られていくといえようか。自分で自分の立ち位置を教理的に意義づければ、それが教義となるのである。要は、誰が認識しようが、批判しようが関係なく、自らが声を出し、書くことにより宗教は作られるというものだろう。後は信奉者が生まれるか否かの問題となる。ともかく、一つの宗教世界というものはどのようにして作られていくのか?その過程が認識されるという意味で、実に興味深い記述だと思う。

 

*仏滅後二千二百二十余年、今に寿量品の仏と肝要の五字とは流布せず

文永10年7月6日「富木殿御返事」(真蹟)

設ひ日蓮死生不定なりと雖も、妙法蓮華経の五字の流布は疑ひ無きものか。伝教大師御本意の円宗を日本に弘めんとす。但し定慧は存生に之を弘め円戒は死後に之を顕はせり。事相たる故に一重の大難之有るか。仏滅後二千二百二十余年、今に寿量品の仏と肝要の五字とは流布せず。当時果報を論ずれば、恐らくは伝教・天台にも超え竜樹・天親にも勝れたるか。(P743)

 

⇒関連「観心本尊抄一考 5

 

*本門の教主の寺塔、地涌千界の菩薩の別に授与したまふ所の妙法蓮華経の五字未だ之を弘通せず

文永10年8月3日「波木井三郎殿御返事」(日興本 北山本門寺蔵)

但し仏滅後二千余年三朝の間数万の寺々之有り。然りと雖も本門の教主の寺塔、地涌千界の菩薩の別に授与したまふ所の妙法蓮華経の五字未だ之を弘通せず。経文には有って国土には無し、時機の未だ至らざる故か。仏記して云はく「我が滅度の後、後五百歳の中に広宣流布し閻浮提に於て断絶せしむること無けん」等云云。天台記して云はく「後五百歳遠く妙道に沾はん」等云云。伝教大師記して云はく「正像稍過ぎ已はって末法太だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是其の時なり」等云云。此等の経釈は末法の始を指し示すなり。外道記して云はく「我が滅後一百年に当たって仏世に出でたまふ」云云。儒家記して云はく「一千年の後仏法漢土に渡る」等云云。是くの如き凡人の記文すら尚以て符契の如し。況んや伝教・天台をや。何に況んや釈迦・多宝の金口の明記をや。当に知るべし、残る所の本門の教主妙法の五字、一閻浮提に流布せんこと疑ひ無き者か。 (P748)

 

⇒関連「観心本尊抄一考 5

 

*定めて釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御知見あるか

文永10年9月19日「弁殿尼御前御書」(真蹟)

尼ごぜんの一文不通の小心に、いまゝでしり(退)ぞかせ給はぬ事申すばかりなし。其の上、自身のつか()うべきところに、下人を一人つけられて候事、定めて釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御知見あるか。

中略

しげければとゞむ。弁殿に申す。大師講ををこ()なうべし。

大師とてまいらせて候。三郎左衛門尉殿に候文のなかに、涅槃経の後分二巻、文句五の本末、授決集の抄の上巻等、御随身あるべし。(P752)

 

◇「釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御知見あるか」に日蓮の釈迦仏崇敬が窺え、鎌倉門下が天台大師講を開催していたことに、日蓮教団の復興が知れるのである。

 

*木画の二像の仏の前に経を置けば、三十二相具足するなり

文永10年「木絵二像開眼之事(法華骨目肝心)」(真蹟曽存)

木画の二像の仏の前に経を置けば、三十二相具足するなり。但し心なければ、三十二相を具すれども必ずしも仏にあらず。(P791)

中略

三十一相の仏の前に法華経を置きたてまつれば必ず純円の仏なり云云。(P792)

中略

法華経の文字は、仏の梵音声の不可見無対色を、可見有対色のかたち()とあら()はしぬれば、顕・形(ぎょう)の二色となれるなり。滅せる梵音声、かへ()て形をあらはして、文字と成りて衆生を利益するなり。(P792)

中略

法華経を心法とさだめて、三十一相の木絵の像に印すれば、木絵二像の全体生身の仏なり。草木成仏といへるは是なり。(P792)

 

◇日蓮は、釈迦仏像を法華経によって開眼供養する、即ち「木画の二像の仏の前に経を置けば、三十二相具足するなり」と教示する。これにより、当時、日蓮の檀越などが釈迦仏像を造立した時には、本書教示による開眼供養が行われていたことが窺われるのである。

 

*天台・伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字と、之を残したまふ

文永11年1月14日「法華行者値難事」(真蹟)

追って申す。竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず、此に口伝有り。天台・伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字と、之を残したまふ。所詮、一には仏授与したまはざるが故に、二には時機未熟の故なり。今既に時来たれり、四菩薩出現したまはんか。日蓮此の事先づ之を知りぬ。西王母の先相には青鳥、客人の来相には鵲是なり。各々我が弟子たらん者は深く此の由を存ぜよ。設ひ身命に及ぶとも退転すること莫れ。(P798)

 

⇒関連「観心本尊抄一考 5

 

*教主釈尊の愛子

*本門の本尊と戒壇と題目の五字

*上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立

文永11年5月24日「法華取要抄」(真蹟)

此の土の我等衆生は五百塵点劫より已来教主釈尊の愛子なり。不孝の失(とが)に依って今に覚知せずと雖(いえど)も他方の衆生には似るべからず。有縁の仏と結縁の衆生とは譬へば天月の清水に浮かぶが如し。無縁の仏と衆生とは譬へば聾者(ろうしゃ)の雷の声を聞き盲者(もうしゃ)の日月に向()かふが如し。(P812)

中略

問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。問うて曰く、正像等に何ぞ弘通せざるや。答へて曰く、正像に之を弘通せば小乗・権大乗・迹門の法門一時に滅尽すべきなり。問うて曰く、仏法を滅尽せるの法何ぞ之を弘通せんや。答へて曰く、末法に於ては大・小・権・実・顕・密・共に教のみ有って得道無し。一閻浮提皆謗法と為り了んぬ。逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る。例せば不軽品の如し。我が門弟は順縁、日本国は逆縁なり。(P815)

中略

我が門弟之を見て法華経を信用せよ。目を瞋(いか)らして鏡に向かへ。天の瞋るは人に失(とが)有ればなり。二つの日並び出づるは一国に二の国王を並ぶる相なり。王と王との闘諍(とうじょう)なり。星の日月を犯すは臣の王を犯す相なり。日と日と競ひ出づるは四天下一同の諍論なり。明星並び出づるは太子と太子との諍論なり。是くの如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑ひ無き者か。(P818)

 

*久遠実成は一切の仏の本地

*虚空蔵菩薩にまいりて

文永11年5・6月頃「聖密房御書」(真蹟曽存)

久遠実成なんどは大日経にはをもひもよらず。久遠実成は一切の仏の本地、譬へば大海は久遠実成、魚鳥は千二百余尊なり。久遠実成なくば千二百余尊はう()きくさ()の根なきがごとし、夜の露の日輪の出でざる程なるべし。天台宗の人々この事を弁へずして、真言師にたぼ()らかされたり。(P824)

中略

これは大事の法門なり。こくうざう(虚空蔵)菩薩にまいりて、つねによみ奉らせ給ふべし。(P826)

 

                         沼津市 大瀬崎より
                         沼津市 大瀬崎より

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