釈迦仏・法華経・日蓮・曼荼羅 5

*法華経受持の人~一切衆生の主

*釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏乃至梵王・帝釈・日月等に

*釈迦仏・法華経・日天の御まえに申しあげ

文永12年1月27日「四條金吾殿女房御返事」(真蹟断片)

所謂此の経文に云はく「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」等云云。此の二十二字は一経第一の肝心なり、一切衆生の目なり。文の心は法華経の行者は日月・大梵王・仏のごとし、大日経の行者は衆星・江河・凡夫のごとしとと()かれて候経文なり。されば此の世の中の男女僧尼は嫌ふべからず、法華経を持たせ給ふ人は一切衆生のしう()とこそ仏は御らん()候らめ、梵王・帝釈はあを()がせ給ふらめとうれしさ申すばかりなし。(P856)

中略

此の経を持(たも)つ女人は一切の女人にす()ぎたるのみならず、一切の男子にこ()えたりとみへて候。せん()ずるところは一切の人にそし()られて候よりも、女人の御ためには、いと()をしとをもわしき男に、ふびんとをも()われたらんにはすぎじ。

一切の人はにく()まばにくめ、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏乃至梵王(ぼんのう)・帝釈・日月等にだにも、ふびんとをもわれまいらせなば、なにくるし。法華経にだにもほ()められたてまつりなば、なにかたつまじかるベき。

今三十三の御やく()とて、御ふせ(布施)をく()りた()びて候へば、釈迦仏・法華経・日天の御まえ()に申しあげ候ひぬ。人の身には左右の肩あり。このかたに二つの神を()はします。一をば同名神(どうみょうしん)、二をば同生神(どうしょうしん)と申す。此の二つの神は梵天・帝釈・日月の人をまぼ()らせんがために、母の腹の内に入りしよりこのかた一生をを()わるまで、影のごとく眼のごとくつき随ひて候が、人の悪をつくり善をなしなむどし候をば、つゆちり(露塵)ばかりものこ()さず、天にうた()ヘまいらせ候なるぞ。(P857)

 

*釈・梵・諸天しろしめすべし

文永12年2月7日「富木殿御返事」(真蹟)

(かたびら)一領給()び候ひ了んぬ。

中略

我子の身として此の帷の恩かたしとをぼしてつか()わせるか。日蓮又ほう()じがたし。しかれども又返すベきにあらず。此の帷をき()て日天の御前にして、此の子細を申す上は、定めて釈・梵・諸天しろしめすべし。帷一つなれども十方の諸天此をしり給ふベし。露を大海によせ、土を大地に加ふるがごとし。生々に失()せじ、世々にく()ちざらむかし。(P860)

 

*此の御本尊=妙法蓮華経の五字=五字の大曼荼羅

文永12年2月16日「新尼御前御返事(与東條新尼書)」(真蹟断片・真蹟曽存)

今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕はし、神力品嘱累品に事極まりて候ひしが、金色世界の文殊師利、兜史多(とした)天宮の弥勒菩薩、補陀落(ふだらく)山の観世音、日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩等の諸大士、我も我もと望み給ひしかども叶はず。是等は智慧いみじく、才学ある人々とはひゞ()けども、いまだ日あさし、学も始めたり、末代の大難忍びがたかるべし。

我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり、此にゆづ()るべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出ださせ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひて、あなかしこあなかしこ、我が滅度の後正法一千年、像法一千年に弘通すべからず。末法の始めに謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人々各々甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶(たす)け万民は難をのがれん。乃至後生の大火災を脱(のが)るべしと仏記しをかせ給ひぬ。而るに日蓮上行菩薩にはあらねども、ほゞ兼ねてこれをしれるは、彼の菩薩の御計らひかと存じて此の二十余年が間此を申す。(P866)

 

*仏と申すは三界の国主

文永12年2月または建治3年8月21日「神国王御書」(真蹟)

仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の師なり、主なり、親なり。三界の諸王は皆此の釈迦仏より分かち給ひて、諸国の総領・別領等の主となし給へり。故に梵釈等は此の仏を或は木像、或は画像等にあがめ給ふ。須臾も相背かば梵王の高台もくづれ、帝釈の喜見もやぶれ、輪王もかほり落ち給ふべし。

神と申すは又国々の国主等の崩去し給へるを生身のごとくあがめ給う。此又国王・国人のための父母なり、主君なり、師匠なり。片時もそむかば国安穏なるべからず。此を崇むれば国は三災を消し七難を払ひ、人は病なく長寿を持ち、後生には人天と三乗と仏となり給ふべし。(P881)

 

◇仏というのは三界の国主であり、大梵天王、第六天の魔王、帝釈天王、日月天、四天王、転輪聖王及び諸王の師であり主であり親なのである。三界の諸王は皆、釈迦仏より分けいただいて諸国の総領・別領の主となったのである。故に大梵天王、帝釈天等は釈迦仏をあるいは木像、あるいは画像として崇めているのである。もしわずかでも釈迦仏に背くならば、大梵天王の高台は崩れ、帝釈天王の喜見城も破れ、転輪聖王の宝冠も地に落ちてしまうことであろう。

神というものは、国々の国主等が崩御されたのを生身の如くに崇め奉っているものである。神もまた現在の国王や人々の父母であり、主君であり、師匠なのである。片時でも神に背くことがあるならば、国は安穏とはならないのである。神を尊崇するならば、国は三災を消し、七難を打ち払い、人々は病に侵されることなく長寿となり、後生には人界、天界、三乗(声聞・縁覚・菩薩)、仏となることであろう。

 

◇三界の国主とは誰か?

諸神諸菩薩・諸々の国王の主・師・親とは誰か?

三界の諸王は誰から領地を分け頂いているのか?

大梵天王、帝釈天等が木像・画像として崇めているのは誰か?

これらを明示している遺文である。

 

*教主釈尊は入道殿・尼御前の慈父ぞかし

文永12年4月12日「 こう(国府)入道殿御返事」(真蹟)

しかるに御子(みこ)もを()はせず、但をやばかりなり。其中衆生悉是吾子の経文のごとくならば、教主釈尊は入道殿・尼御前の慈父ぞかし。日蓮は又御子にてあるべかりけるが、しばらく日本国の人をたすけんと中国(なかつくに)に候か。宿善たうと()く候。又蒙古国の日本にみだれ入る時はこれへ御わた()りあるべし。又子息なき人なれば御とし()のすへ()には、これへとをぼしめすべし。いづくも定めなし。仏になる事こそつゐ()のすみか()にては候へとをも()ひ切らせ給ふべし。(P914)

 

*仏は法華経をさとらせ給ひて

*教主釈尊は此の功徳を法華経の文字となして一切衆生の口になめさせ給ふ

*教主釈尊の御功徳御身に入りかはらせ給ひぬ

建治元年4月「法蓮抄」(真蹟断片・真蹟曽存)

仏は法華経をさとらせ給ひて、六道四生の父母孝養の功徳を身に備へ給へり。此の仏の御功徳をば法華経を信ずる人にゆづり給ふ。例せば悲母の食ふ物の乳となりて赤子を養ふが如し。「今此三界皆是我有、其中衆生悉是吾子」等云云。

教主釈尊は此の功徳を法華経の文字となして一切衆生の口になめさせ給ふ。赤子の水火をわきまへず毒薬を知らざれども、乳を含めば身命をつぐが如し。(P944)

中略

今の法蓮上人も又此くの如し。教主釈尊の御功徳御身に入りかはらせ給ひぬ。(P945)

 

*法華経を弘むれば釈迦仏の御使ひぞかし

建治元年「種種御振舞御書」(真蹟曽存)

日蓮は幼若の者なれども、法華経を弘むれば釈迦仏の御使ひぞかし。わづかの天照太神・正八幡なんどと申すは此の国には重んずけれども、梵釈・日月・四天に対すれば小神ぞかし。されども此の神人なんどをあや()まちぬれば、只の人を殺せるには七人半なんど申すぞかし。太政入道・隠岐法皇等のほろび給ひしは是なり。此はそれにはに()るべくもなし。教主釈尊の御使ひなれば天照太神・正八幡宮も頭をかたぶけ、手を合はせて地に伏し給ふべき事なり。法華経の行者をば梵釈左右に侍り日月前後を照らし給ふ。かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやま()はゞ国亡ぶべし。何に況んや数百人ににく()ませ二度まで流しぬ。此の国の亡びん事疑ひなかるべけれども、且(しばら)く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひか()うればこそ、今までは安穏にありつれども、はう()に過ぐれば罰あたりぬるなり。又此の度も用ひずば大蒙古国より打手を向けて日本国ほろぼさるべし。ただ平左衛門尉が好むわざわひなり。(P976)

 

*釈迦仏・法華経へまいらせ給ふ

建治元年5月3日「上野殿御返事」(日興本[要検討]大石寺蔵)

さつき(五月)の二日にいも()のかしら()いし()のやうにほ()されて候を一駄、ふじ(富士)のうえの(上野)よりみのぶ(身延)の山へをくり給びて候。(P987)

中略

所詮はわ()がをや()のわかれのを()しさに、父の御ために釈迦仏・法華経へまいらせ給ふにや、孝養の御心か。さる事なくば、梵王・帝釈・日月・四天その人の家をす()みかとせんとちか()はせ給ひて候。いふにかひなきものなれども、約束と申す事はたがへぬ事にて候に、さりともこの人々はいかでか仏前の御約束をばたが()へさせ給ふべき。(P988)

 

*娑婆世界は五百塵点劫より已来教主釈尊の御所領なり

*此の国の人々は一人もなく教主釈尊の御弟子御民ぞかし

*国主・父母・明師たる釈迦仏

*日蓮は愚かなれども、釈迦仏の御使ひ・法華経の行者なり

建治元年5月8日「一谷入道御書」(真蹟)

娑婆世界は五百塵点劫より已来教主釈尊の御所領なり。大地・虚空・山海・草木一分も他仏の有ならず。又一切衆生は釈尊の御子なり。譬へば成劫の始め一人の梵王下りて六道の衆生をば生みて候ひしぞかし。梵王の一切衆生の親たるが如く、釈迦仏も又一切衆生の親なり。又此の国の一切衆生のためには教主釈尊は明師にておはするぞかし。父母を知るも師の恩なり。黒白を弁ふるも釈尊の恩なり。(P992)

中略

此の国の人々は一人もなく教主釈尊の御弟子(みでし)御民ぞかし。而るに阿弥陀等の他仏を一仏もつく()らず、か()ゝず、念仏も申さずある者は悪人なれども釈迦仏を捨て奉る色は未だ顕はれず。一向に阿弥陀仏を念ずる人々は既に釈迦仏を捨て奉る色顕然(けんねん)なり。

彼の人々の墓無(はかな)き念仏を申す者は悪人にてあるぞかし。父母にもあらず主君・師匠にてもおはせぬ仏をば、いと()をしき妻の様にもてなし、現に国主・父母・明師たる釈迦仏を捨て、乳母(めのと)の如くなる法華経をば口にも誦(じゅ)し奉らず。是豈(あに)不孝の者にあらずや。

此の不孝の人々、一人二人、百人千人ならず、一国二国ならず、上一人より下万民にいたるまで、日本国皆こ()ぞて一人もなく三逆罪のものなり。されば日月色を変じて此をにらみ、大地もいか()りてをど()りあ()がり、大せいせい(彗星)天にはびこり、大火国に充満すれども僻事(ひがごと)ありともおも()はず。(P992)

中略

前に申しつるが如く、此の国の者は一人もなく三逆罪の者なり。是は梵王(ぼんのう)・帝釈・日月・四天の、彼の蒙古国の大王の身に入らせ給ひて責め給ふなり。日蓮は愚かなれども、釈迦仏の御使ひ・法華経の行者なりとなのり候を、用ひざらんだにも不思議なるべし。其の失(とが)に依って国破れなんとす。(P996)

 

 ◇娑婆世界は誰の所領なのか?

娑婆世界の領主は誰なのか?

一切衆生は誰の子なのか?

一切衆生の明師は誰なのか?

世の道理を教えてくれるのは誰なのか?

この国の国主・父母・明師とは誰なのか?

日蓮の宗教的立場とはどのようなものなのか?

これらを明示している遺文である。

 

                         沼津市 大瀬崎より
                         沼津市 大瀬崎より

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