釈迦仏・法華経・日蓮・曼荼羅 7

*釈迦仏の御宝前

建治2年3月「光日房御書」(真蹟断片・真蹟曽存)

これらはさてを()き候ひぬ。人のをや()は悪人なれども、子善人なればをやの罪ゆるす事あり。又、子悪人なれども、親善人なれば子の罪ゆるさるゝ事あり。されば故弥四郎殿は設ひ悪人なりとも、う()める母釈迦仏の御宝前にして昼夜なげきとぶら()はゞ、争(いか)でか彼の人うかばざるべき。いかにいわ()うや、彼の人は法華経を信じたりしかば、をや()をみちびく身とぞなられて候らん。(P1160)

 

*釈迦仏・法華経もいかでかすてさせ給ふべき

建治2年閏3月24日「南条殿御返事(大橋書)」(真蹟)

今の御心ざしみ()候へば、故なんでう(南条)どのはたゞ子なれば、いと()をしとわをぼ()しめしけるらめども、かく法華経をもて我がけうやう(孝養)をすべしとはよもをぼ()したらじ。たとひつみ()ありて、いかなるところにをはすとも、この御けうやう(孝養)の心ざしをば、えんまほうわう(閻魔法王)・ぼんてん(梵天)・たひしゃく(帝釈)までもし()ろしめしぬらん。釈迦仏・法華経もいかでかすてさせ給ふべき。か()のちご(稚児)のちゝ()のをなわ()をときしと、この御心ざしかれにたがわず。これはなみだ()をもちてかきて候なり。(P1176)

 

*法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔

建治2年5月11日(或は弘安2年)「宝軽法重事」(真蹟)

法華経は仏滅後二千二百余年に、いまだ経のごとく説ききわめてひろ()むる人なし。天台・伝教もしろしめさゞるにはあらず。時も来たらず、機もなかりしかば、か()ききわ()めずしてを()わらせ給へり。日蓮か弟子とならむ人々はやすくしりぬべし。一閻浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔いまだ候はず。いか()でかあら()われさせ給はざるべき。しげければとゞめ候。(P1179)

 

⇒関連「観心本尊抄一考 5

*此の仏こそ生身の仏にておはしまし候へ

建治2年7月15日「四條金吾釈迦仏供養事」(真蹟曽存・真蹟断簡)

御日記の中に釈迦仏の木像一体等云云。開眼の事、普賢経に云はく「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり十方三世の諸仏の眼目なり」等云云。又云はく「此の方等経は是諸仏の眼なり諸仏是に因って五眼を具することを得たまへり」云云。(P1182)

中略

されば画像・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。(P1183)

中略

此の仏こそ生身の仏にておはしまし候へ。優(うでん)大王の木像と影顕(ようけん)王の木像と一分もたがうべからず。梵帝・日月・四天等必定して影の身に随ふが如く貴辺をばまぼらせ給ふべし。(P1184)

中略

御日記に云はく、毎年四月八日より七月十五日まで九旬が間、大日天子に仕ヘさせ給ふ事、(P1184)

中略

其の上日蓮も又此の天を恃(たの)みたてまつり、日本国にたてあひて数年なり。既に日蓮かちぬべき心地す。利生のあらたなる事外にもとむべきにあらず。(P1185)

 

◇日蓮は四条金吾による釈迦仏像造立の意義、画像・木像の仏の開眼、日天子の加護について教示している。

 

*本門の教主釈尊を本尊とすべし

建治2年7月21日「報恩抄」(真蹟)

一つには日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。(P1248)

 

◇これについては「日本を始めとして一閻浮提の人々一同が、法華経本門寿量品の教主釈尊を本尊とすべきである(仏本尊のこと)。曼荼羅・宝塔の内では釈迦仏・多宝仏、その他の諸仏並びに上行等の四菩薩は脇士となるのである。」と読むものと考えている。日蓮は「本門の教主釈尊」を「本尊とすべし」と根本尊崇の対象であることを明示して、曼荼羅についてはその相貌を記すのみである。このような書き方からすれば、ここでは仏本尊を主として曼荼羅を従としているといえるのではないか。これは当書の宛先が清澄寺時代の法兄・浄顕房、義城房であることから、彼らを通して清澄寺界隈の大衆に対して種々の仏菩薩に依るのではなく、釈迦仏に還るべきことを明らかにするべく仏本尊を強調したものと思え、法本尊については両名の信仰の機が熟すのを待ったのではないだろうか。それが後の「本尊問答抄」における、「題目本尊」の展開につながっていくと考えるのである。

 

*帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり

*教主釈尊の御すゝめか

建治2年「事理供養御書」(真蹟)

一切のかみ()仏をうやま()いたてまつる始めの句には、南無と申す文字をを()き候なり。南無と申すはいかなる事ぞと申すに、南無と申すは天竺のことばにて候。漢土・日本には帰命と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり。我が身には分に随ひて妻子・眷属・所領・金銀等もてる人々もあり、また財なき人々もあり。財あるも財なきも命と申す財にすぎて候財は候はず。さればいにしへ()の聖人賢人と申すは、命を仏にまいらせて仏にはなり候なり。(P1261)

中略

美食ををさ()めぬ人なれば力をよ()ばず山林にまじ()わり候ひぬ。されども凡夫なればかん()も忍びがたく、熱をもふせぎがたし。食とも()し。麦□目が万里の一(そん)忍びがたく、思子孔が十旬の九飯堪()ゆべきにあらず。読経の音(こえ)も絶えぬべし。観心の心をろ()そかなり。しかるにたまたまの御とぶら()いたゞ事にはあらず。教主釈尊の御すゝめか、将又(はたまた)過去宿習の御催(おんもよお)しか、方々(かたがた)紙上尽し難し。(P1263)

 

*釈迦仏に申し上げ

建治3年1月3日「上野殿御返事」(真蹟)

まことに法華経の御志み()へて候。くは()しくは釈迦仏に申し上げ候い了ぬ。(P3046)

 

*教主釈尊の日蓮がかたうど(方人)をして

建治3年2月13日「現世無間御書」(真蹟断簡)

或はくびをきり、或はなが()さればとと()かれて、此の法門を涅槃経・守護経等の、法華経の流通の御経にときつがせ給ひて候は、此の国をば梵王・帝釈に仏をほ()せつけて他国よりせめさせ給ふべしとと()かれて候。

されば此の国は法華経の大怨敵なれば現世に無間地獄の大苦すこし心みさせ給ふか。教主釈尊の日蓮がかたうど(方人)をしてつみし()らせ給ふにや。よもさるならば天照大神・正八幡等は此の国のかたうど(方人)にはなり給はじ。日蓮房のかたき()なり。すゝみてなら()わかし候はんとぞはやり候らむ。いの()らばいよいよあ()しかりなん、あしかりなん。(P1292)

 

*法華経に供養す

建治3年4月12日「乗明聖人御返事(金珠女書)」(真蹟)

今乗明法師妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す。彼は仏なり此は経なり。経は師なり仏は弟子なり。涅槃経に云はく「諸仏の師とする所は所謂法なり。乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と。(P1300)

 

*釈迦仏、法華経に不思議なり提婆がごとしとおもはれまいらせなば、人目はよきやうなれども後生はおそろしおそろし

建治3年5月15日「上野殿御返事」(真蹟断片)

今、日蓮は賢人にもあらず、まして聖人はおもひもよらず。天下第一の僻人にて候が、但経文計りにはあひて候やう()なれば、大難来たり候へば、父母のいきかへらせ給ひて候よりも、にく()きものゝことにあ()ふよりもうれしく候なり。愚者にて而も仏に聖人とおもはれまいらせて候はん事こそ、うれしき事にて候へ。

智者たる上、二百五十戒かた()くたもちて、万民には諸天の帝釈をうやま()ふよりもうやまはれて、釈迦仏、法華経に不思議なり提婆がごとしとおもはれまいらせなば、人目はよきやうなれども後生はおそろしおそろし。(P1308)

 

◇日蓮の宗教的判断基準は「釈迦仏、法華経」であることを示した遺文である。

 

                          沼津市 井田より
                          沼津市 井田より

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