鎌倉と安房国、清澄寺と虚空蔵信仰 2-2

埼玉県比企郡ときがわ町にある天台宗・都幾山慈光寺の鐘は、栄西の弟子・栄朝が願主となって、寛元3(1245)518日に物部重光が鋳造したもので、埼玉県では最古の梵鐘とされ、物部姓が確認される最初の鐘である。

 

銘文

奉治鋳 六尺椎鐘一口

天台別院 慈光寺

大勧進遍照金剛深慶

善知識入唐沙門妙空

大工 物部重光

寛元三年乙巳五月十八日辛亥

願主権律師法橋上人位栄朝

「都幾山慈光寺実録」(同寺96世・信海の著)によると、白鳳2(673)に僧・慈訓が千手観音堂を建て、観音霊場として創建。その後、役小角は西蔵坊を造り修験道場とした。続いて、鑑真和尚の教化を受けた釈道忠によって開山される、と伝えている。

 

境内の多羅葉樹(葉書の木)は樹齢1200年、慈覚大師円仁が植えたものと伝える。

 

慈光寺は源頼朝より寺領1200町歩の寄進を受け、鎌倉時代には幕府から厚く庇護されたと伝えるが、北条時頼創建の、建長寺・梵鐘を鋳造した物部重光が慈光寺の鐘を鋳造していることが、同寺が幕府と近い関係にあったことを示している。また、今日まで伝来する、鎌倉時代初頭のものとされる国宝「法華経一品経」「阿弥陀経」「般若心経」や、関東地方最古の写経とされる貞観13(871)の「紙本墨書大般若経」、金銅密教法具をはじめとした数々の重要文化財が、慈光寺が仏教界の中でも高い位置にあった、権力(幕府など)から重く見られていたことを物語るものだろう。

 

                            慈光寺にて
                            慈光寺にて
                             慈光寺より
                             慈光寺より

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