鎌倉と安房国、清澄寺と虚空蔵信仰 2-4

   

 

金沢北条氏の祖・北条(金沢)実時が開基した称名寺(真言律宗)の梵鐘は、「文永己巳仲冬七日」との旧銘があるところから文永6年(1269117日に作られ、「正安辛丑仲和九日」の改鋳銘により正安3年(130189日に改鋳されたことが認識されるが、これも物部国光と依光が鋳造している。

 

                            称名寺
                            称名寺

 

 

正安3(1301)、能登国、安芸国、豊前国の三箇国の守護を兼任した北条一門の武将・北条宗長(?~延慶2年・1309)は、禅僧・桃渓徳悟(とうけいとくご、仁治元年・1240~嘉元4年・1307)を開山に迎えて東漸寺(臨済宗建長寺派・横浜市磯子区)を創建。同寺の梵鐘は永仁6(1298)に、物部国光によって鋳造されている。

 

 

正応5(1292)106日、源季頼が寄進した相模・国分尼寺の梵鐘は物部国光が鋳造している。現在は神奈川県海老名市の相模国分寺(高野山真言宗)境内にある。

 

 

寛元2(1244)、現在の埼玉県川越市に創建された養寿院は、河越経重が開基。円慶を開山とする。天台宗寺院であったものの、天文4(1535)に曹洞宗になったと伝える。本堂にある銅鐘は文応元年(1260)、河越氏が新日吉山王社に寄進したもので、「文応元年」「武蔵国河肥庄新日吉山王宮」「大檀那平経重」「鋳物師丹治久友」の文字がある。丹治氏は鎌倉大仏造立に関わった人物だ。

 

 

埼玉県日高市の真言宗智山派高麗山・聖天院勝楽寺には、文応2(1261)に、物部季重が鋳造した梵鐘がある。「武州高麗勝楽寺 奉鋳長二尺七寸 諸行無常 是生滅法 生滅滅己寂滅為楽 文応二年歳次二月日 辛酉 大檀那比丘尼信阿弥陀仏 平定澄朝臣 大工物部 季重」との陽鋳銘を刻む。

 

聖天院勝楽寺の開創縁起

1300年前の高句麗滅亡によって、高句麗の人々が日本に渡来。その内、多くの人が武蔵国に移住して高麗郡が置かれる。長として高麗郡を治めた高麗王若光が同地で亡くなり、その菩提を祈るために侍念僧・勝楽が天平勝宝3(751)に勝楽寺を創建。当初は法相宗として続いたものの、中興一世とされる秀海の代に真言宗に改宗し、醍醐寺の末となる。

 

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