鎌倉と安房国、清澄寺と虚空蔵信仰 3

3 称名寺と清澄寺

称名寺には多くの清澄寺関連文書があることも、同寺と安房国寺院の深い関係、東京湾を挟んだ安房と鎌倉の結びつき、往来の活発さを語る物証であると思う。

以下、「金沢文庫古文書識語編」より

 

「授決円多羅義集唐決上」

嘉禎四年(1238)太歳戊戌十一月十四日

阿房国東北御庄清澄山 道善房

東面執筆是聖房 生年十七歳

後見人々是無誹謗

(識語編1・P43)

 

五輪九字明秘密釈

建長六年(1254)甲寅九月三日未時了

清澄山住人肥前公日吽生年廿七歳

為仏法興隆法界衆生成仏道也。

(識語編1P222)

 

題未詳

文応弐(1261) 大才辛酉二月六日 清澄寺書了。 円意

(識語編3P194)

 

求聞持口決

文永四年(1267)丁卯三月五日妙性書写了。

本云

同年二月於安州清澄寺書写了。

(識語編1P125)

※妙性=妙性房審海であり、審海が称名寺の開山として入寺するのは文永49月と伝えるので、その六箇月前に清澄寺にいたことになる。小網寺の密教法具については、「金沢審海」の銘が刻まれているので、称名寺入寺以降、小網寺に授けたものだろうか。

 

聞持秘事

正安元年(1299)己亥八月十二日 右翰寂澄 春秋□五十八

清澄山

(識語編3P63)

 

虚空蔵菩薩念誦法

正安 己亥八月十七日 右翰寂澄 五十八

清澄山

(識語編1P200)

 

梵字

正応三年(1290)四月十四日於鎌倉

()佐々目御房奉伝受了。

右朱点口伝也。加私之。 金剛資心

正安三年(1301)辛丑二月二日 於清澄寺書写了

金剛資寂

(識語編1P251)

 

梵字

正安三年(1301)辛丑六月十六日 於清澄寺書写了。

金剛資寂澄

(識語編2P99)

 

氏名未詳書状

無指事候之□□不

申入候、抑去年八月

下旬に日比宿願候天房州

清澄寺に参籠□下向

(金沢文庫古文書・闕名書状編P99)

 

                          称名寺 金堂
                          称名寺 金堂
                        称名寺 山門
                        称名寺 山門
                  称名寺 北条顕時・金沢貞顕 墓の説明板
                  称名寺 北条顕時・金沢貞顕 墓の説明板
                    北条顕時・金沢貞顕 墓地の五輪塔
                    北条顕時・金沢貞顕 墓地の五輪塔

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