鎌倉と安房国、清澄寺と虚空蔵信仰 4-3

⑥ 徳川家と仲恩房頼勢

清澄寺と徳川将軍家との関わりについて、山川智応氏の「日蓮聖人研究・1巻」(1929)と、昭和24(1949)2月、真言宗智山派より日蓮宗に改宗した時の住職、即ち真言宗智山派清澄寺第31世・岩村義運氏の著である「安房国清澄寺縁起」(1930)の二書によって、清澄寺が真言宗智山派となる経緯を追ってみよう。

 

京都智積院の学僧・仲恩房頼勢(らいせい)の学徳高きを聞いた徳川家康(天文11年・1543~元和2年・1616)は、頼勢を駿府に招待。頼勢は諸宗学僧との対論に臨んで、抜きんでた学識、弁論により他を圧倒。以降も、江戸、大坂、京都で21座の法論に臨み、他宗には頼勢に対抗できるものがいなかった。家康は感嘆し、「頼勢の望む恩賞を与える」と告げる。安房国・館山出身の頼勢は「元来、世俗の名利は念とする處に非ず。終生仏法興隆に身命を捧げて、仏恩に報ぜん事をのみ念とす。小衲は房州館山の産。郷国房州に清澄寺なる古刹あり。慈覚大師の中興する所、日蓮聖人の立教開宗せられし霊地なるも、今甚だしく荒廃して仏法中絶す。希くは此の一寺を賜はり、丹精の誠を籠めて寺門を興隆し、房総の鎮護として舊()観に復せしめん。望む所は只之れのみ。他に欲する所なし」とこたえ、家康はその志を歓び、当時、一宗に所属せず、代官が管理していた清澄寺の住持を頼勢とするよう命じる。家康の命を受けて、二代将軍徳川秀忠(天正7年・1579~寛永9年・1632)が下知状を発する。

 

房州清澄寺の住持は、此仲恩房に仰付けられ候間、什物並に寺領之儀は、当午の物成より、相違なく御渡し致すべく、為之如此候、恐々謹言。

元和四戊午年(1618)八月十七日

                                本多上野介(花押)

                                土井大炊介(花押)

                                酒井雅楽頭(花押)

中村孫右衛門殿

 

この下知状により、館山出身の仲恩房頼勢は徳川将軍公認の清澄寺住持となる。続いて清澄寺を京都醍醐寺(真言宗醍醐寺派総本山)の末寺にすることになり、寛永4(1627)正月、三宝院の宮よりの「令旨=寛永四年正月文書」が発せられる。ただし、法流=後継住持については頼勢の所存に任すとされ、智積院の学僧であった頼勢は嫡弟、法弟、法類を以て後継住持としたところから、その結果、清澄寺は真言宗智山派に属する寺院となったようだ。

 

房州千光山清澄寺は、仏法中絶すと雖も、大樹相国秀忠公の助命を蒙って、寺領二百石。頼勢法印を住持に任ぜらる。然る所当門諸寺務職の儀は、懇望により、永々醍醐の末山に加へらる。但し法流に於ては頼勢所存に任ずべし。

 

寛永11(1634)5月、頼勢は嫡弟の空心房頼昌に付法状を授けて岩城国に赴き、同国・薬王寺13世となる。後に平府の吉祥院に隠退、慶安元年(1648)閏正月十日に73歳で亡くなる。

 

 

   真言宗智山派時代の名残か 清澄寺の「弘法大師一千年」の石碑
   真言宗智山派時代の名残か 清澄寺の「弘法大師一千年」の石碑

真言宗智山派としての清澄寺は頼勢を法流第一世とする。

 

・第二世の頼昌は頼勢の嫡弟、空心房と称して、寛永13(1636)住職、同19(1642)に没。

寛永11(1634)5月、頼勢法印より頼昌への付法状

「将又当寺は、代々の住持一宗の相続に非ず。法流無沙汰なれば本末の次第なし。」

 

・第三世の勢譽は頼勢の法弟、舜政房と称して、寛永19(1642)住職、寛文5(1665)に没。

 

・第四世の慶宣は頼勢の法類、了智房と称して、宝永元年(1704)に没。

以来、法流は31世の岩村義運氏まで続き、同氏の代に日蓮宗となる。

 

真言宗智山派・清澄寺第一世の頼勢以前は、梵鐘の鐘銘により明徳3(1392)当時は弘賢法印が清澄寺別当となっていたことが知れるのだが、嘉保3(1096)、天文4(1535)、天正16(1588)と元禄78年頃(16941695)の四度の火災により古文書は消失してしまい、頼勢以前の住職名、世代共に明らかではないようだ。

 

尚、山川智応氏は頼勢の法脈系統を以下のように示されている。

(小野流)聖宝、観賢、淳裕、元杲、仁海、成尊、(醍醐流)義範、勝覚、(三実院流)定海、元海、実運、勝賢、成賢、(地蔵院流?)道教、(親快方)親快、親玄、房玄、親恵、弘顕、弘済、弘鑁、弘典、弘宣、俊雄、亮恵、亮淳、亮済、頼勢

即ち、頼勢法印の系統は、三十六流の一たる醍醐三宝院流親快方に属する。(或は親快の師の道教を以て、地蔵院流の祖とするときは、三宝院流地蔵院流の法脈に属する。寺の執事岩村義運氏からの報には、地蔵院流だとしてある。)「日蓮聖人研究」1P103

以上、清澄寺の起源より真言宗智山派に到る経緯を概観したが、時の権力者の庇護下に入ることは寺院の地(寺領)の安堵のための必要条件となっていた時代、その地()に権力者の帰依を受ける、また権力との太いパイプを持つ寺院が出現・存在することは、周辺に在って荒廃、衰亡していた小寺院にとっては、その傘下に入ることを促しただろうか。小規模寺院にとっては大寺院の財力による恩恵、復興への期待を抱いたのではないだろうか。

 

遡れば、安房国には役小角(えんのおづの)、行基開創、慈覚大師円仁中興等、共通の縁起を有する寺院が多くある。

 

               小網寺
               小網寺

 

 

館山市出野尾にある小網寺(こあみじ)は、和銅3(710)行基による開創と伝える。

              養老寺
              養老寺

 

 

館山市洲崎にあり御手洗山を背にする妙法山観音寺(通称・養老寺)は、養老元年(717)、役小角が開創し、行基が十一面観音を作り本尊とする、と伝える。

               那古寺
               那古寺

 

 

館山市那古の那古寺は養老元年(717)に開創、行基が千手観世音菩薩を刻むと伝える。承和14(847)に慈覚大師円仁が再興、正治年間(11991201)に真言密教の道場となる、と伝える。

南房総市千倉町の小松寺は、文武天皇代(683707)に役小角が小堂を建てたことを起源とし、天長8(831)、慈覚大師・円仁が堂塔を立て替え、山王権現を祀った、また山岳修行の霊地であったと伝えている。

 

清澄寺の起源より、その後の宗派の変遷という一例から他を推すれば、安房の多くの寺院は台密等の「聖」による仏像彫刻、それを安置する祠や堂舎の建立を起源とし、地域に根付く過程で「役小角」「行基」「円仁」等の「聖人信仰」の物語が創られ喧伝されていった。そして時代の変遷、領主の交替、宗教勢力の変化により、寺院の宗派も変転を重ねてきた、といえるだろうか。

 

真言宗智山派・成田山新勝寺の隆盛、清澄寺住職の真言僧と徳川家のパイプが安房国、房総の宗教地図にどのような影響を及ぼしたのか、これについては今後もさらに考えていきたいと思う。

 

⑦ 清澄寺梵鐘・道禅・三嶋神社鰐口・天正寺

清澄寺の古鐘は「明徳三(1392)季 壬申 八月 日」に作られたもので、鋳造した人物については銘文に「大工 武州塚田 道禪()」とあるところから、武州塚田の道禅であることが分かる。

 

                         清澄寺 梵鐘
                         清澄寺 梵鐘

この武州塚田とは現在の埼玉県大里郡寄居町大字赤浜小字塚田にあたり、同地の三嶋神社の鰐口には「武蔵国男衾郡塚田宿三嶋宮鰐口 応永二年(1395)乙亥三月廿七日」とある。

 

塚田の地には南北朝末期から室町初期にかけて、関東各地の寺院の梵鐘を鋳造した塚田鋳物師集団がいて、中でも「道禅」が代表的人物だったようだ。尚、塚田の他にも、武蔵国では児玉町(現在は本庄市児玉町)の金屋鋳物師、狭山市の柏原鋳物師、岩槻市(現在はさいたま市岩槻区)の渋江鋳物師、坂戸市の金井鋳物師、鳩山町の小用鋳物師などが知られている。

 

                天正寺
                天正寺

埼玉県などの資料によると、三嶋神社の鰐口を鋳造したのは様式・技法から「道禅」かその「工房」ではないかと推定される。これにより武州塚田の鋳物師・道禅と安房国清澄寺のつながりが認識されるのだが、塚田の地から荒川を渡り、対岸にあるのが曹洞宗天正寺(寄居町大字桜沢)だ。

           天正寺 清澄山の山号
           天正寺 清澄山の山号

「台密と日蓮」の項でみたように、天正寺の縁起では、宝亀3(772)に不思議法師が訪れ、安房国清澄寺の虚空蔵菩薩と同一木を以て虚空蔵菩薩を刻み安置したことに由来する、としている。山号を清澄山、寺号を天照寺と称し、その後天台宗になる。元亀年中(1570年~1573)に火災により本堂を焼失。1573年・天正元年に本堂を再建、寺名を天正寺に改める。この時に宗旨替えとなり現在の曹洞宗となった、とする。ということは、塚田の鋳物師・道禅が活躍した時代には、天正寺は天台宗天照寺だったということになる。

 

さて、清澄寺を興した台密系と思われる同じ「聖」が武蔵国を訪れて、天照寺の基礎を築いたものだろうか。それとも、道禅などの鋳物師によって清澄寺の寺伝が当地に伝えられ、それを天照寺が摂り入れたものだろうか。寺院縁起と歴史の登場人物との関係等、探り考えるほどに興味の尽きない論点だと思う。

 

                      埼玉県 寄居町 三嶋神社
                      埼玉県 寄居町 三嶋神社
                       三嶋神社 鰐口の説明板
                       三嶋神社 鰐口の説明板
                     参考 鰐口 秩父市 虚空蔵禅寺
                     参考 鰐口 秩父市 虚空蔵禅寺

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