(12)  「寺泊御書(贖命重宝抄)」

文永8(1271)1022日の寺泊御書(贖命重宝抄・ぞくみょうじゅうほうしょう)(P513 真蹟)

 

諸宗の中に真言宗殊(こと)に僻案(びゃくあん)を至す。善無畏・金剛智等の想(おも)はくに云はく「一念三千は天台の極理、一代の肝心なり。顕密二道の詮たるべきの心地の三千をば、且く之を置く。此の外、印と真言とは仏教の最要」等云云。其の後真言師等、事を此の義に寄せて印・真言無き経々をば之を下すこと外道の法の如し。或義に云はく「大日経は釈迦如来の外の説なり」と。或義に云はく「教主釈尊第一の説なり」と。或義に「釈尊と現じて顕教を説き、大日と現じて密教を説く」と。道理を得ずして、無尽の僻見之を起こす。譬へば乳の色を弁へざる者、種々の邪推を作せども、本色に当たらざるが如し。又象の譬への如し。今汝等知るべし、大日経等は法華経已前ならば華厳経等の如く、已後ならば涅槃経等の如し。

又天竺の法華経には印・真言有れども、訳者之を略して羅什は妙法経と名づけ、印・真言を加へて善無畏は大日経と名づくるか。譬へば正法華・添品(てんぽん)法華・法華三昧・薩云分陀利(さつうんふんだり)等の如し。仏の滅後、天竺に於て此の詮を得たるは竜樹菩薩、漢土に於て始めて之を得たるは天台智者大師なり。真言宗の善無畏等、華厳宗の澄観等、三論宗の嘉祥等、法相宗の慈恩等、名は自宗に依れども其の心は天台宗に落ちたり。其の門弟等此の事を知らず、如何ぞ謗法の失を免れんや。

 

意訳

諸宗の中でも、真言宗がとくに邪義を立てているのである。中国唐代の真言密教の僧・善無畏と同じく密教僧の金剛智(この二人に不空を合わせて三三蔵と呼ばれる)は「一念三千は天台の極理の法門であり、釈尊一代の肝心である。顕密二道の究極たる心地の三千はしばらく置く。このほかに印と真言は仏の教説中、最も要である」と説いた。

それ以降、真言師等が祖師の義に事寄せて印と真言の無い経典を下すことは、まるで外道の法の如しなのである。ある義には「大日経は釈迦如来の外の大日如来の説である」とされ、またある義には「大日経は教主釈尊の第一の経である」として、更にある義には「ある時には釈尊と現れて顕教を説き、ある時は大日如来と現れて密教を説いたのである」としている。

これらの義は釈尊の教説の道理を知らずに、果てしない邪見を起こしているのである。例えば、乳の色を知らない者らが種々の推察をしたとしても、本当の色というものは分からないようなものだ。また、目の見えない人が象を論じても、象の姿形は分からないという譬えのようなものなのだ。

今、諸宗の学者らは、大日経は法華経以前ならば華厳経等の如しであり、法華経以後ならば涅槃経等と同じ法華経の命を贖(あがな)う為の重宝であることを知るべきなのである。

また、インドの法華経には印と真言が有ったのだが、中国の訳者が之を略して、鳩摩羅什は妙法蓮華経と名づけ、善無畏は印と真言を加へて大日経と名づけたのだろうか。たとえば、法華経にも正法華経・添品(てんぽん)法華経・法華三昧経・薩曇分陀利(さつどんふんだり)経等があるようなものである。

釈尊滅後、インドにおいて法華経と諸経の関係を心得たのは竜樹菩薩であり、中国においてはじめてこれを心得たのは天台智者大師である。

真言宗の善無畏等、華厳宗の澄観等、三論宗の嘉祥等、法相宗の慈恩等は、名はそれぞれの自宗の開祖・祖師として一宗を興したのだが、実は内心では天台宗に帰伏しているのである。彼らの門弟等は、開祖・祖師達の「心は天台宗帰伏」の真実を知らず、邪義を立てているのであり、どうして謗法の失を免れることができようか。

 

 

日蓮は仏教諸派の中でも、特に「理同事勝」を唱える真言宗・密教こそが僻案、僻見であると痛烈なる批判を始める。法華経による立正安国を11年に亘り訴え続けいよいよ蒙古襲来が近づこうとしているにも関わらず、自らは首を切られかかるという事実上の死罪に処せられ、続いては佐渡に配流される道中となってしまい、日蓮無き宗教界では密教による異国調伏という事態が現実化。日本の亡国を眼前とした日蓮は密教に対する本格的批判へとシフトしていく。

 

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