1222年・承久4年(4月13日改元)・貞応元年 壬午 (みずのえうま)  1歳

後堀河天皇

北条義時

216

日蓮 安房国長狭郡東条郷・片海(1)に誕生

⇒日蓮の生年がこの年であることは1238年・嘉禎4年・暦仁元年1114日、安房清澄寺において円珍の「授決円多羅義集唐決」(4親写本奥書1P2875)を写した書写本の奥書に、

 

嘉禎四年 太歳戊戌 十一月十四

阿房国東北御庄清澄山 道善房

東面執筆是聖房 生年十七才

後見人々是無誹謗

 

とあるところから17歳より逆算して、この年となる。

 

日蓮遺文には「216日」との明記はなく、大石寺6世・日時(?1406年・応永13年 ※2)の著と考えられる「三師御伝土代」には「日蓮聖人は本地是れ地涌千界上行菩薩の後身なり、垂迹は則安房の国長狭の郡東条片海の郷、海人の子なり。八十六代 後の堀河の院の御宇、貞応元年二月十六日誕生なり」と記されている。

 

1536年・天文57月、若狭長源寺にて描かれた絵巻「日蓮聖人註画讃」(勧発師・安立院日政、画工・窪田藤右兵衛尉統泰)には、「如来二月十五日示滅、元祖二月十六日現生」と仏教の開祖・釈迦に続く、再誕日蓮を暗示する記述がされている。

 

◇「本尊問答抄」弘安元年9月 日興本

然るに日蓮は東海道十五箇国の内、第十二に相当たる安房国長狹郡東条郷片海の海人が子なり。

 

◇「善無畏三蔵抄」文永7年 本満寺本、三宝寺本、当書と推される真蹟断簡あり

而るに日蓮は安房国東条片海(かたうみ)の石中(いそなか)の賎民が子なり。威徳なく、有徳のものにあらず。

 

◇「妙法比丘尼御返事」弘安元年9月 日朝本

而るに日蓮は日本国安房国と申す国に生まれて候ひしが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり。

 

◇「弥源太殿御返事」文永11221日 日朝本

其の上日蓮は日本国の中には安州(あんしゅう)のものなり。総じて彼の国は天照太神のす()みそ()め給ひし国なりといへり。かしこにして日本国をさぐり出だし給ふ。あは(安房)の国御くりや()なり。しかも此の国の一切衆生の慈父悲母なり。かゝるいみじき国ならん。日蓮又彼の国に生まれたり、第一の果報なるなり。

 

◇「佐渡御勘気抄」文永81010日 本満寺本

日蓮は日本国東夷(とうい)東条安房国、海辺の旃陀羅(せんだら)が子なり。

 

◇「佐渡御書」文永9320日 日朝本

日蓮今生には貧窮下賎(びんぐげせん)の者と生まれ旃陀羅が家より出でたり。

 

◇「中興入道御消息」弘安21130日 平賀本

然るに日蓮は中国・都の者にもあらず、辺国の将軍等の子息にもあらず、遠国の者、民が子にて候ひしかば、

 

1 現在は「片海」との地名はなく、誕生地につき複数の説あり

 

2 池田令道氏の教示による

「大石寺蔵『御伝土代』の作者について」(興風16)

「大石寺蔵『御伝土代』の作者について(補遺)(興風23)

 

223

清涼寺(嵯峨)再建供養

 

426

幕府 守護・地頭の所務を制定し非法を禁ず(吾妻鏡)

 

723

鎌倉大地震

吾妻鏡「晴 未の刻大地震」

 

82

彗星出現

吾妻鏡「彗星見戌方、軸星大如半月。色白光芒赤、長一丈七尺餘。」

戌の刻、彗星戌方に見ゆ。軸星の大きさ半月の如く、色白く光芒赤し。長一丈七尺余

 

1221年・承久3                                                1223年・貞応2