1230年・寛喜2年 庚寅(かのえとら) 9歳

後堀河天皇

北条泰時

3

実信 興福寺別当に補任される(興福寺別当次第・興福寺寺務次第)

 

69

武蔵国金子郷および美濃国蒔田荘に降雪

吾妻鏡

「武藏國在廰等、注申云、去九日辰尅、當國金子郷、雪交雨降。又同時降雹〈云云〉」

 

武蔵の国の在廰等注し申して云く、去る九日辰の刻、当国金子郷雪交りの雨降る。また同時に雷、雹降ると。

 

618

北条時氏卒28(吾妻鏡)

 

624

朝廷 宣旨を下して米価を1石あたり銭1貫文と定む(百錬抄)

 

716

諸国に霜降る

吾妻鏡「霜降、殆如冬天」

霜降る 殆ど冬天の如し

 

7

園城寺・南院衆徒 中・北両院の住僧と争う(百錬抄)

 

8

諸国大風雨

吾妻鏡

「八月六日 午尅甚雨、及晩洪水、河邊民居流失、人多溺死。古老未見此例〈云云〉」

午の刻甚雨、晩に及び洪水。河辺の民居流失し、人多く溺死す。古老未だこの例を見ずと。

 

「八日 申尅甚雨大風、及夜半、休止。草木葉枯、偏如冬氣、稼穀損亡。」

申の刻甚雨大風、夜半に及び休止す。草木の葉枯れ、偏に冬気の如し。稼穀損亡す。

 

*下野国渥籠郷住人・動垂(としたり)弥太郎国光

「寛喜年中之比、国光は下総国を罷り出で候て已後、いよゝ世の中に餓死極りなき間、他国ニらう籠仕り、親類の行方も知らず」中山法華経寺史料

 

天候不順

 

1229年・安貞3年・寛喜元年                                          1231年・寛喜3