1270年・文永7年 庚午(かのえうま) 49歳

亀山天皇

北条時宗

111

蒙古船 対馬に到る(鎌倉大日記)

 

712

妙法聖霊(四條金吾の母) 寂と伝う

 

829

幕府 本所一円荘園での狼藉禁圧について制定

 

926

書を富木常忍に報ず

「真間釈迦仏御供養逐状」(1-72P457、校1-74P481、全P950、新P426)

富木常忍

日朝本 平22 真蹟なし

録内37-29 遺10-47 縮633

*平成校定「真間釈迦仏御供養逐状(真間仏供養抄)

< 系年 >

昭和定本「文永7926日或は建治3()

 

*釈迦仏造立

釈迦仏御造立の御事。無始曠劫よりいまだ顕はれましまさぬ己心の一念三千の仏、造り顕はしましますか。はせまいりてをがみまいらせ候はばや。

「欲令衆生開仏知見乃至然我実成仏已来」は是なり。

但し仏の御開眼の御事は、いそぎいそぎ伊よ()房をも()てはたしまいらせさせ給ひ候へ。法華経一部、御仏の御六根によみ入れまいらせて、生身の教主釈尊になしまいらせて、かへりて迎ひ入れまいらせさせ給へ。自身並びに子にあらずばいかんがと存じ候。

御所領の堂の事等は、大進の阿闍梨がきゝて候。かへすがへすをがみ結縁しまいらせ候べし。いつぞや大黒を供養して候ひし、其の後より世間なげかずしておはするか。此の度は大海のしほの満つるがごとく、月の満ずるが如く、福きたり命ながく、後生は霊山とおぼしめせ。

 

112

二条良実卒55

 

1128

書を太田金吾に報ず

「金吾殿御返事(大師講書)(1-73P458、校1-70P477、全P999、新P418)

太田金吾

真蹟4紙断・千葉県市川市中山 法華経寺蔵

信伝本完・静岡県富士宮市北山 法華本門寺根源蔵

満上236 宝1012

録外5-31 受2-20 遺10-48 縮634

*全集・平成校定「金吾殿御返事(大師講御書)

< 系年 >

昭和定本・全集「文永71128日」

平成校定「文永61128日」

*国立国会図書館・近代デジタルライブラリー「日蓮聖人御真蹟」(19131914年 神保弁静編)

太田金吾殿御返事

 

*大師講

大師講に鵞目(がもく)五連給()び候ひ了んぬ。此の大師講三・四年に始めて候が、今年は第一にて候ひつるに候。

 

*死罪

人身すでにうけぬ。邪師又まぬかれぬ。法華経のゆへに流罪に及びぬ。今死罪に行なはれぬこそ本意ならず候へ。あわれさる事の出来し候へかしとこそはげみ候ひて、方々に強言(ごうげん)をかきて挙げを()き候なり。すでに年五十に及びぬ。余命いくばくならず。

いたづらに曠野(こうや)にすてん身を、同じくは一乗法華のかたになげて、雪山童子・薬王菩薩の跡をお()ひ、仙予・有徳の名を後代に留めて、法華・涅槃経に説き入れられまいらせんと願ふところなり。

 

1222

書を南条時光母尼に報ず

「上野殿母尼御前御書」(1-74P459、校1-72P480、全P1515、新P420)

鎌倉・上野殿母尼

真蹟2紙完・熊本県熊本市花園 本妙寺蔵

20-1 縮1333

*平成校定「止観第五之事(上野殿母尼御前御返事)

< 系年 >

昭和定本「文永71222()或は建治元年()

平成校定「文永61222日」

全集「1222日」

*山中喜八氏・「上野殿母尼御前御書」と題することは、大本遺文録(明治13年刊)が本書を真蹟新加した際、たまたま本文二紙の奥に上封一行が同装してあり、この上封に「上野殿母尼御前御返事 日蓮」とあるため、これを上野氏への賜書と誤認したものである。しかるに、同上封は弘安45年頃の筆蹟、本文は文永5年頃の筆蹟であって全く別時の筆とされる。しかもその文意を以て判ずれば、富木氏への消息と断ぜざるを得ない。「日蓮聖人真蹟の世界・下」P66

 

*大師講

止観第五の事、正月一日辰の時此をよみはじめ候。明年は世間怱々(そうそう)なるべきよし皆人申すあひだ、一向後生のために十五日まで止観を談ぜんとして候が、文あまた候はず候、御計らひ候べきか。

 

この年

日持 改衣と伝う(本化別頭仏祖統記・日蓮宗年表・富士年表)

 

日法・日位等 改宗と伝う(本化別頭仏祖統記・日蓮宗年表・富士年表)

 

【 系年、文永7年と推定される書 】

書を富木常忍に報ず

◎「富木殿御返事」(1-75P461、校1-76P495、全P949、新P435)

富木常忍

8 真蹟なし

録外22-18 遺10-50 縮636

 

書を浄顕房、義浄房に報ず

◎「善無畏三蔵抄(師恩報酬抄)(1-76P461、校1-77P496、全P881、新P436)

鎌倉・浄顕房、義浄房

満上279 宝2

録外14-2 受6-51 遺10-50 縮636

都守基一氏の論考「京都妙覚寺の宗宝解題」(「妙覚寺寺宝集成」P192  2003 妙覚寺)より

「定・断簡149(P25242525、断片貼雑、京都 妙覚寺蔵)について

断簡149中の「硯」「草木を筆と」「しかたき」「教々の中をも」「或 此を見或は」「計」「に」「ます」の四片二十六字は、「定76・善無畏三蔵抄」の冒頭部分(定P461九~十行目)に同文がある。

 

*我が師釈迦如来

又、我が師釈迦如来は一代聖教乃至八万法蔵の説者なり。此の裟婆無仏の世の最先に出でさせ給ひて、一切衆生の眼目を開き給ふ御仏なり。東西十方の諸仏菩薩も皆此の仏の教へなるべし。

譬へば、皇帝已前は人、父を知らずして畜生の如し。尭(ぎょう)王已前は四季を弁へず、牛馬の癡(おろ)かなるに同じかりき。仏世に出でさせ給はざりしには、比丘・比丘尼の二衆もなく、只男女二人にて候ひき。今比丘・比丘尼の真言師等、大日如来を御本尊と定めて釈迦如来を下し、念仏者等が阿弥陀仏を一向に持ちて釈迦如来を抛(なげう)ちたるも、教主釈尊の比丘・比丘尼なり。元祖が誤りを伝へ来たるなるべし。

 

釈迦如来・一切衆生の有縁の仏

此の釈迦如来は三の故ましまして、他仏にかはらせ給ひて裟婆世界の一切衆生の有縁の仏となり給ふ。

一には、此の裟婆世界の一切衆生の世尊にておはします。阿弥陀仏は此の国の大王にはあらず。釈迦仏は譬へば我が国の主上のごとし。

先づ此の国の大王を敬ひて、後に他国の王をば敬ふべし。

天照太神・正八幡宮等は我が国の本主なり。述化の後(のち)神と顕はれさせ給ふ。此の神にそむく人、此の国の主となるべからず。されば天照太神をば鏡にうつし奉りて内侍所(ないしどころ)と号す。八幡大菩薩に勅使有って物申しあはさせ給ひき。大覚世尊は我等が尊主なり、先づ御本尊と定むベし。

二には、釈迦如来は裟婆世界の一切衆生の父母なり。~

三には、此の仏は裟婆世界の一切衆生の本師なり。~

 

*御本尊

我等衆生も又生を裟婆世界に受けぬ。いかにも釈迦如来の教化をばはなるベからず。而りといへども人皆是を知らず。委く尋ねあ()きらめば、「唯我一人能為救護」と申して釈迦如来の御手を離るべからず。

而れば此の土の一切衆生生死を厭(いと)ひ、御本尊を崇めんとおぼしめさば、必ず先づ釈尊を木画(もくえ)の像に顕はして御本尊と定めさせ給ひて、其の後力おはしまさば、弥陀等の他仏にも及ぶべし。然るを当世聖行(しょうぎょう)なき此の土の人々の仏をつくりかゝせ給ふに、先づ他仏をさきとするは、其の仏の御本意にも釈迦如来の御本意にも叶ふべからざる上、世間の礼儀にもはづれて候。

 

世尊は主師親の三徳を備へ

我等が父母世尊は主師親の三徳を備へて、一切の仏に擯出せられたる我等を「唯我一人能為救護」とはげませ給ふ。其の恩大海よりも深し、其の恩大地よりも厚し、其の恩虚空(こくう)よりも広し。二つの眼をぬいて仏前に空の星の数備ふとも、身の皮を剥()いで百千万天井にはるとも、涙を閼伽(あか)の水として千万億劫仏前に花を備ふとも、身の肉血を無量劫仏前に山の如く積み、大海の如く湛(たた)ふとも、此の仏の一分の御恩を報じ尽くしがたし。

 

*師匠道善房・法華経を持たるゝ

其の後承りしに、(道善房が)法華経を持たるゝの由承りしかば、此の人邪見を翻(ひるがえ)し給ふか、善人に成り給ひぬと悦び思ひ候処に、又此の釈迦仏を造らせ給ふ事申す計りなし。

当座には強(つよ)げなる様に有りしかども、法華経の文のまゝに説き候ひしかばか()うおれさせ給へり。忠言耳に逆らひ良薬口に苦(にが)しと申す事は是なり。今既に日蓮師の恩を報ず。定んて仏神納受し給はんか。各々此の由(よし)を道善房に申し聞かせ給ふべし。仮令(たとい)強言(ごうげん)なれども、人をたすくれば実語・軟語(なんご)なるべし。設ひ軟語なれども、人を損ずるは妄語(もうご)・強言なり。

当世学匠等の法門は、軟語・実語と人々は思(おぼ)し食()したれども皆強言・妄語なり。仏の本意たる法華経に背く故なるべし。

日蓮が念仏申す者は無間地獄に堕つベし、禅宗・真言宗も又謬(あやま)りの宗なりなんど申し候は、強言とは思し食すとも実語・軟語なるべし。例せば此の道善御房の法華経を迎へ、釈迦仏を造らせ給ふ事は日蓮が強言より起こる。

 

*釈迦仏を書き造り奉る

日本国の一切衆生も亦復是くの如し。当世此の十余年已前は一向念仏者にて候ひしが、十人が一二人は一向に南無妙法蓮華経と唱へ、二三人は両方になり、又一向念仏申す人も疑ひをなす故に心中に法華経を信じ、又釈迦仏を書き造り奉る。是亦日蓮が強言より起こる。

 

書を著す

◎「真言天台勝劣事」(1-77P477、校1-78P511、全P134、新P446)

日朝本 平19 真蹟なし

録内35-16 遺11-1 縮660

 

図録を著す

◎「真言七重勝劣(法華大日二経七重勝劣)

(3図録16P2312、校3図録15P2417、全P128、新P451)

日朝本 満下142 宝3 真蹟なし

録外7-1 遺10-66 縮652

*平成校定「真言七重勝劣(法華大日二経七重勝劣)(真言七重勝劣事)

全集「真言七重勝劣事」

 

図録を著す

◎「小乗小仏要文」(3図録17P2319、校3図録16P2424、全P595、新P458)

真蹟10紙完・千葉県市川市中山 法華経寺蔵

縮続114 

 

書を写す

◎「貞観政要巻一」

真蹟248紙・静岡県富士宮市北山 法華本門寺根源蔵

 

◎「消息第十一号」

真蹟11紙・千葉県市川市中山 法華経寺蔵

大部四教義の要文を抄録したもの

 

1269年・文永6                                                1271年・文永8