1281年・弘安4年 辛巳(かのとみ) 60歳

後宇多天皇

北条時宗

15

書を重須殿女房に報ず

「重須殿女房御返事(十字御書)(2-399P1855、校2-434P1994、全P1491、新P1551)

身延・重須殿女房

真蹟7紙完・静岡県富士宮市上条 大石寺蔵

縮続120

*平成校定「十字御書(重須殿女房御返事」」

全集「十字御書」

< 系年 >

昭和定本「弘安415()

 

仏と申す事も我等が心の内に御座します

(そもそも)地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は地の下と申す経もあり、或は西方等と申す経も候。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみへて候。

さもやをぼ()へ候事は、我等が心の内に父をあな()づり、母ををろ()かにする人は地獄其の人の心の内に候。譬へば蓮のたね()の中に花と菓とのみ()ゆるがごとし。

仏と申す事も我等が心の内にをは(御座)します。譬へば石の中に火あり、珠の中に財(たから)のあるがごとし。我等凡夫はまつげ()のちかきと虚空のとを()きとは見候事なし。我等が心の内に仏はをは(御座)しましけるを知り候はざりけるぞ。

 

法華経を供養

今正月の始めに法華経をくやう(供養)しまいらせんとをぼ()しめ()す御心は、木より花のさ()き、池より蓮のつぼみ、雪山のせんだん(栴檀)のひらけ、月の始めて出づるなるべし。今日本国の法華経をかたきとして、わざわい()を千里の外よりまね()き出だせり。此をもってをも()うに、今又法華経を信ずる人はさいわい()を万里の外よりあつ()むべし。影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体にかげ()のそ()うがごとくわざわい()来たるべし。法華経を信ずる人はせんだん(栴檀)にかを()ばしさのそなえたるがごとし。

 

113

書を南条時光母尼に報ず

「上野尼御前御返事」(2-400P1857、校2-435P1996、全P1575、新P1552)

身延・南条時光母尼

真蹟8紙完・静岡県富士宮市上条 大石寺蔵

日朝本 宝13 満下310

録外8-31 受5-11 遺30-3 縮2047

*全集「上野尼御前御返事(聖人御書)

 

*釈迦仏を御使ひとして

(上野尼は今は亡き子に)やすやすとあわせ給ふべき事候。釈迦仏を御使ひとして、りゃうぜん(霊山)浄土へまいりあわせ給へ、若有聞法者無一不成仏(にゃくうもんぽうしゃむいちふじょうぶつ)と申して、大地はさゝばはづるとも、日月は地に堕ち給ふとも、しを()はみ()ちひ()ぬ世はありとも、花はなつにならずとも、南無妙法蓮華経と申す女人の、をもう子にあわずという事はなしととかれて候ぞ。いそぎいそぎつとめさせ給へつとめさせ給へ。

 

22

曼荼羅(102)を図顕する

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳二月二日

*授与

優婆塞藤原日生 授与之

*讃文

仏滅度後二千二百 三十余年之間 一閻浮提之内 未曾有 大漫荼 羅也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 南無文殊師利菩薩 南無普賢菩薩 南無弥勒菩薩 南無薬王菩薩 南無舎利弗尊者等 南無大迦葉尊者等 不動明王 愛染明王 大梵天王 釈提桓因大王 大持国天王 大増長天王 大広目天王 大毘沙門天王 大日天王 大月天王 明星天王 大第六天魔王 天照太神 八幡大菩薩 転輪聖王 南無天台大師 南無伝教大師 阿修羅王等 大龍王等 鬼子母神 十羅刹女 提婆達多 阿闍世大王

*寸法

90.9×48.5㎝ 3枚継ぎ

*所蔵

東京都大田区池上 池上本門寺

 

217

書をさじきの女房に報ず

「桟敷女房御返事」(2-401P1860、校2-463P2045、全P1232、新P1589)

身延・さじきの女房

真蹟2紙完・和歌山県和歌山市坂田 了法寺蔵(天台宗)

録外14-41 遺24-34 縮1701

< 系年 >

昭和定本「弘安4217()或は建治4()

平成校定「弘安5217日」

全集「建治4217日」

 

法華経を供養

白きかたびら布一切給び了んぬ。

法華経を供養しまいらせ候に、十種くやう(供養)と申す十のやう候。其の中に衣服と申し候はなにゝても候へ、僧のき()候物をくやうし候。其の因縁をとかれて候には、過去に十万億の仏をくやうせる人、法華経に近づきまいらせ候とこそとかれて候へ。あらあら申すべく候へども、身にいたわる事候間こまかならず候。

 

2

東寺・真広 身延に登り聞法すと伝う(本化高祖年譜)

 

2

曼荼羅(103)を図顕する

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳二月 日

*授与

俗資光 授与之 亦云宝 日

*讃文

仏滅度後二千二百 三十余年之間 一閻浮提之内 未曾有 大漫荼 羅也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 南無文殊師利菩薩 南無普賢菩薩 南無弥勒菩薩 南無薬王菩薩 南無舎利弗尊者等 南無大迦葉尊者等 不動明王 愛染明王 大梵天王 釈提桓因大王 大持国天王 大増長天王 大広目天王 大毘沙門天王 大日天王 大月天王 大明星天王 第六天魔王 天照太神 八幡大菩薩 転輪聖王 南無天台大師 南無伝教大師 阿修羅王 大龍王 鬼子母神 十羅刹女 提婆達多 阿闍世大王

*寸法

91.2×47.0㎝ 3枚継ぎ

*「集成」14

*所蔵

熊本県熊本市花園町 本妙寺

 

35

日興  「観心本尊抄」を書写(日興上人全集P146)

 

318

書を南条時光に報ず

「上野殿御返事」(2-402P1861、校2-436P1998、全P1577、新P1554)

身延・南条時光

日興本(要検討)・静岡県富士宮市上条 大石寺蔵

13 平30 満上365

録外8-7 受1-32 遺30-5 縮2049

*「上野殿御返事(法華経難信事)

 

蹲鴟(いも)一俵給び了んぬ。又かうぬし(神主)のもと()に候御乳塩(ちしお)一疋(ぴき)、並びに口付(くちつき)一人候。

⇒熱原法難時の神主は身延山にいることが窺われる。

 

*法華経は信じがたき事にて候

仏説いての給はく、火に入りてやけぬ者はありとも、大水に入りてぬれぬ者はありとも、大山は空へとぶとも、大海は天へあがるとも、末代悪世に入れば須臾(しゅゆ)の間も法華経は信じがたき事にて候ぞ。

徽宗(きそう)皇帝は漢土の主、蒙古国にからめとられさせ給ひぬ。隠岐の法王は日本国のあるじ、右京の権の大夫殿[北条義時・鎌倉幕府第2代執権、北条政子の弟]にせめられ[承久の乱]させ給ひて、島にては()てさせ給ひぬ。法華経のゆへにてだにもあるならば、即身に仏にもならせ給ひなん。わづかの事には身をやぶ()り命をす()つれども、法華経の御ゆへにあやしのとが()にあ()たらんとおも()ふ人は候はぬぞ。身にて心みさせ給ひ候ひぬらん。たうとしたうとし。

 

3

曼荼羅(104)を図顕する

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳三月 日

*授与

俗日大 授与之

*讃文

仏滅度後二千二百 二百三十余年之間 一閻浮提 之内 未曾有大 漫荼 羅也

⇒「二百」が二回認められている。体調不良による筆誤か。

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 不動明王 愛染明王 大梵天王 釈提桓因大王 大持国天王 大増長天王 大広目天王 大毘沙門天王 大日天王 大月天王 大明星天王 第六天魔王 天照太神 八幡大菩薩 南無天台大師 南無伝教大師 鬼子母神 十羅刹女 提婆達多 阿闍世大王

*日興添書

懸本門寺 可為末代重宝也

富士上野顕妙新五郎仁日興申与之

*寸法

不詳 1

*備考

日興 「弟子分本尊目録」

(富要 8213)

(興師添書)富士顕妙新五郎に之を与へ申す、本門寺に懸け末代の重宝たるべきなり

*所蔵

香川県三豊市三野町下高瀬 讃岐本門寺

 

45

曼荼羅を図顕する

*「日亨本尊鑑」(P63) 第31 弘安四年四月五日 底本(22)

「日蓮聖人真蹟の世界・上」(P244P301)

*模写

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳四月五日

*授与

僧日伝授与之

*讃文

仏滅度後二千二百 三十余年之間 一閻浮提之内 未曽有大漫荼羅 也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 南無文殊師利菩薩 南無普賢菩薩 南無弥勒菩薩 南無薬王菩薩 南無舎利弗尊者等 南無大迦葉尊者等 不動明王 愛染明王 大梵天王 釈提桓因大王 大持国天王 大増長天王 大広目天王 大毘沙門天王 大日天王 大月天王 大明星天王 第六天魔王 天照太神 八幡大菩薩 転輪聖王 南無天台大師 南無伝教大師 阿修羅王 大龍王 鬼子母神 十羅刹女 提婆達多 阿闍世大王

*寸法

95.4×50.6㎝ 3枚継ぎ

*所蔵

身延山久遠寺曽存

 

45

曼荼羅(105)を図顕する

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳四月五日

*授与

僧日春 授与之

*讃文

仏滅度後二千二百三十 余年之間一閻浮提之内 未曾有大漫荼羅 也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 南無文殊師利菩薩 南無普賢菩薩 南無弥勒菩薩 南無薬王菩薩 南無舎利弗尊者等 南無大迦葉尊者等 不動明王 愛染明王 大梵天王 釈提桓因大王 大持国天王 大増長天王 大広目天王 大毘沙門天王 大日天王 大月天王 大明星天王 第六天魔王 天照太神 八幡大菩薩 転輪聖王 南無天台大師 南無伝教大師 阿修羅王 大龍王 鬼子母神 十羅刹女 提婆達多 阿闍世大王

*寸法

92.1×49.1㎝ 3枚継ぎ

*備考

「遠沽亨師臨写御本尊鑑」(P54)には「弘安二年太才己卯七月日 沙門日春授与」の曼荼羅が身延山に蔵されたことを伝えるも、「僧日春」と「沙門日春」との同異は判別できず。

「沙門日法」(65)と「比丘日法」(100)の場合も同じ。

*所蔵

静岡県沼津市岡宮 光長寺

 

46

書を著す

「おけ・ひさご御消息」(4-442P3023、校2-393P1861、新P1464)

身延

真蹟110行完・宮城県栗原市一迫柳ノ目字高畑 妙教寺

< 系年 >

昭和定本「弘安446日」

平成校定「弘安346日」

 

48

書を著して大田金吾に与う

「三大秘法稟承事(報大田氏書)(2-403P1862、校2-467P2051、全P1021、新P1593)

身延・大田金吾

日親本・京都府京都市上京区小川通寺之内上ル本法寺前町 本法寺蔵

日朝本 宝14 満下53 真蹟なし

録外15-28 受3-26 遺30-6 縮2051

*平成校定「日時本 大石寺蔵」

*平成校定「三大秘法稟承事(三大秘法抄) (報大田氏書)

全集「三大秘法稟承事(三大秘法抄)

< 系年 >

昭和定本・全集「弘安448日」

平成校定「弘安548日」

 

*寿量品に建立する所の本尊

問ふ、寿量品は專ら末法悪世に限る経文顕然なる上は私に難勢を加ふべからず。然りと雖も三大秘法其の体如何。

答ふ、予が己心の大事之に如()かず。汝が志無二なれば少し之を言はん。

 

寿量品に建立する所の本尊は、五百塵点の当初(そのかみ)より以来(このかた)、此土有縁深厚・本有無作三身の教主釈尊是なり。寿量品に云はく「如来秘密神通之力」等云云。疏(しょ)の九に云はく「一身即三身なるを名づけて秘と為し、三身即一身なるを名づけて密と為す。又昔より説かざる所を名づけて秘と為し、唯仏のみ自ら知るを名づけて密と為す。仏三世に於て等しく三身有り、諸教の中に於て之を秘して伝へず」等云云。

 

*題目

題目とは二意有り。所謂正像と末法となり。正法には天親菩薩・竜樹菩薩、題目を唱へさせ給ひしかども、自行計りにして唱へてさて止(やみ)ぬ。像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。是理行の題目なり。末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり。名体宗用教の五重玄の五字なり。

 

*戒壇

戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下(らいげ)して踏み給ふべき戒壇なり。

此の戒法立ちて後、延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじき処に、叡山の座主始まって第三・第四の慈覚・智証、存外に本師伝教・義真に背きて、理同事勝の狂言を本として、我が山の戒法をあなづり、戯論と謗ぜし故に、思ひの外に延暦寺の戒、清浄無染の中道の妙戒なりしが、徒に土泥となりぬる事云ひても余りあり、歎きても何かはせん。彼の摩黎(まり)山の瓦礫(がりゃく)となり、栴檀林(せんだんりん)(いばら)となるにも過ぎたるなるべし。

 

*寿量品の事の三大事

夫一代聖教の邪正偏円を弁へたらん学者の人をして、今の延暦寺の戒壇を踏ましむべきや。此の法門は理を案じて義をつまびらかにせよ。此の三大秘法は二千余年の当初(そのかみ)、地涌千界の上首として、日蓮慥(たし)かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に介爾(けに)計りの相違なき、色も替はらぬ寿量品の事の三大事なり。

 

*大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千なり

問ふ、一念三千の正しき証文如何。答ふ、次に申し出だすべし。此に於て二種有り。方便品に云はく「諸法実相所謂諸法如是相乃至欲令衆生開仏知見」等云云。底下(ていげ)の凡夫理性所具(りしょうしょぐ)の一念三千か。寿量品に云はく「然我実成仏已来無量無辺」等云云。大覚世尊久遠実成の当初(そのかみ)証得の一念三千なり。今日蓮が時に感じ此の法門広宣流布するなり。予年来(としごろ)己心に秘すと雖も此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家(もんけ)の遺弟等定めて無慈悲の讒言(ざんげん)を加ふべし。其の後は何と悔ゆとも叶ふまじきと存する間貴辺に対し書き遺(のこ)し候。一見の後は秘して他見有るべからず、口外も詮無し。法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。秘すべし秘すべし。

 

417

曼荼羅(106)を図顕する

*通称

若宮御本尊

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳四月十七日

*授与

俗真広 授与之

*讃文

仏滅度後二千二百三十 余年之間一閻浮提 之内未曾 有大漫荼 羅也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 不動明王 愛染明王 大梵天王 釈提桓因天王 大日天王 大月天王 大明星天王 第六天魔王 天照太神 八幡大菩薩 南無天台大師 南無伝教大師 鬼子母神 十羅刹女

*寸法

54.2×33.3㎝ 1

*備考

・本圀寺では「若宮御本尊」と称するも、その由来は不明。

*所蔵

京都府京都市山科区御陵大岩 本圀寺

 

425

曼荼羅を図顕する

(富要8178)

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳四月廿五日

*授与

摂津公日仙

*日興添書

摂津公日仙者日興第一弟子也仍所申与如件

*讃文

仏滅度後二千二百三十 余年之間一閻浮提之内 未曽有大 漫荼羅 也

*寸法

不詳

*所蔵

東京都墨田区向島 常泉寺

 

425

曼荼羅(107)を図顕する

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳四月廿五日

*授与

比丘尼持円授与 之

*讃文

仏滅度後二千二百三十 余年之間一閻浮提之 内未曾有大漫荼 羅也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 南無文殊師利菩薩 南無普賢菩薩 南無弥勒菩薩 南無薬王菩薩 南無舎利弗尊者等 南無大迦葉尊者等 愛染明王 愛染明王 大梵天王 釈提桓因大王 大持国天王 大増長天王 大広目天王 大毘沙門天王 大日天王 大月天王 大明星天王 第六天魔王 天照太神 八幡大菩薩 転輪聖王 南無天台大師 南無伝教大師 阿修羅王 大龍王 鬼子母神 十羅刹女 提婆達多 阿闍世大王

*日興添書

可為本門寺重宝也
甲斐国大井庄々司入道女子同国曾弥小五郎

後家尼者日興弟子也 仍申与之
孫大弐公日正 相伝之

*寸法

97.9×59.4㎝ 3枚継ぎ

*備考

日興の「弟子分本尊目録」

一、 甲斐国曾根五郎後家尼者、寂日房弟子也。仍日興申与之。但聖人御滅後背了。

・日興門下に「大弐公」は二名存在。

日郷「日興上人御遷化次第」中の葬列の人物

「御遺物配分の事」の交名に、それぞれ二名の「大弐公」が記録。(宗全旧刊・興門集P273276)

(富要 8223)

(興師加筆)甲斐の国大井の庄の庄司入道の女子、同国曽根小五郎後家尼は日興が弟子なり仍て之を与へ申す、之を相伝す孫大弐公日正、本門寺重宝たるべきなり

*所蔵

京都府京都市上京区寺町通今出川上ル二丁目鶴山町 本満寺

⇒左右共に愛染明王を配列している。体調不良による筆誤だろうか。

 

426

曼荼羅(108)を図顕する

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳四月廿六日

*授与

比丘尼持淳授与 之

*讃文

仏滅度後二千二百三十 余年之間一閻浮提 之内未曾有大 漫荼羅 也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 南無文殊師利菩薩 南無普賢菩薩 南無弥勒菩薩 南無薬王菩薩 南無舎利弗尊者等 南無大迦葉尊者等 不動明王 愛染明王 大梵天王 釈提桓因天王 大持国天王 大増長天王 大広目天王 大毘沙門天王 大日天王 大月天王 大明星天王 第六天魔王 天照太神 八幡大菩薩 転輪聖王 南無天台大師 南無伝教大師 阿修羅王 大龍王 鬼子母神 十羅刹女 提婆達多 阿闍世大王

*寸法

67.0×44.2㎝ 1

*所蔵

神奈川県鎌倉市大町 比企谷妙本寺

 

428

鎌倉大風(P1866P1869・全P1107)

 

5

書を著す

「大風御書」(2-404P1866、校2-439P2004、新P1558)

身延

真蹟1紙断簡6行・京都府京都市山科区御陵大岩 本圀寺蔵

< 系年 >

昭和定本「弘安45月頃()

 

521

弘安の役

元・高麗等の東路軍五百余が壱岐・対馬に侵攻(P1878・全P933)

 

526

書を池上宗仲・宗長に報ず

「八幡宮造営事」(2-405P1867、校2-438P2001、全P1105、新P1556)

身延・大夫志(池上宗仲)、兵衛志(池上宗長)

日朝本 延山録外 真蹟なし

縮続78

 

身つかれ、心いたみ

此の法門申し候事すでに廿九年なり。日々の論義、月々の難、両度の流罪に身つかれ、心いたみ候ひし故にや、此の七八年が間年々に衰病(すいびょう)をこり候ひつれども、なの()めにて候ひつるが、今年は正月より其の気分(けぶん)出来して、既に一期をわりになりぬべし。

其の上齢(よわい)既に六十にみちぬ。たとひ十に一つ今年はすぎ候とも、一二をばいかでかすぎ候べき。忠言は耳に逆らひ良薬は口に苦しとは先賢の言(ことば)なり。やせ病の者は命をきらう、佞人(ねいじん)は諌めを用ひずと申すなり。

此の程は上下の人々の御返事申す事なし。心もものうく、手もたゆ()き故なり。しかりと申せども此の事大事なれば苦を忍んで申す。ものうしとおぼすらん。一篇きこしめすべし。村上天皇、前(さき)の中書王(ちゅうしょおう)の書を投げ給ひしがごとくなることなかれ。

 

66

元・高麗等の東路軍 志賀島等を襲う

 

春夏頃

書を南条時光に報ず

「上野殿御書」(2-406P1870、校2-423P1945)

身延

真蹟1紙断簡(711)・京都府京都市左京区東大路二条下ル北門前町 妙伝寺

縮続155

*当書は昭和定本「断簡323(6紙後半9行・P2977、京都妙蓮寺蔵)より接続

*昭和定本「南条殿御返事」(2-391P1820の冒頭5)、「断簡323(P2977)、当「上野殿御書」(2-406P1870)の三書を合わせて「南条殿御返事、弘安31215日」(2-423P1945、全P1573)となる。

 

616

蒙古の来襲について門下の言動を誡む

「小蒙古御書」(2-407P1871、校2-440P2005、全P1284、新P1559)

身延・人々御中

12 満上261 真蹟なし

録外5-28 遺30-10 縮2055

 

*蒙古襲来(弘安の役)について

小蒙古の人大日本国に寄せ来たるの事

我が門弟並びに檀那等の中に、若しは他人に向かひ、将又(はたまた)自ら言語に及ぶべからず。若し此の旨に違背せば門弟を離すべき等の由(よし)存知する所なり。此の旨を以て人々に示すべく候なり。

 

620

後宇多天皇 宸筆宣命を山稜八所に献じ異国降伏を祈願す(弘安四年記)

 

630

大風雨のため元・高麗船はことごとく漂没し、兵多数が溺死する(P993)

 

6

曼荼羅を図顕する

(富要8178)

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳□□□□□

*授与

日教授与者

*他、不詳

*所蔵

石川県金沢市扇町 妙喜寺

 

72

竜造寺季時・松浦党等 元・高麗軍と壱岐に戦う(竜造寺文書)

 

712

亀山上皇 西大寺等に御幸、叡尊をして異国調伏を祈願

 

727

書を波木井実長に報ず

「御所御返事」(4-443P3023、校2-441P2005、新P1559)

身延・波木井実長

真蹟2紙貼合14行・東京都 兜木家蔵

*「文中、脱文あるか」

 

清酒(すみざけ)一へいし(瓶子)かしこまて給び候ひ了んぬ。これほどのよ()きさけ今年はみず候、へいししはられ候はんれうにとゞめて候。

 

71

書を曾谷二郎入道に報ず

「曾谷二郎入道殿御報」(408P1871、校2-442P2006、全P1065、新P1560)

身延・曾谷二郎入道

日興本・静岡県富士宮市北山 法華本門寺根源蔵

日朝本 宝10 満下176

録外12-8 受2-33 遺30-10 縮2056

*平成校定「曾谷二郎入道殿御報(曾谷二郎入道殿御返事)

全集「曾谷二郎入道殿御返事

 

*日本国

日蓮が云はく、夫(それ)日本国は道は七、国は六十八箇国、郡は六百四、郷は一万余、長さは三千五百八十七里なり。人数は四十五億八万九千六百五十九人、或は云はく、四十九億九万四千八百二十八人なり。寺は一万一千三十七所、社は三千一百三十二社なりと。今法華経の入阿鼻獄とは此等の人々を指すなり。

 

*一同に修羅道

蒙古の牒状(ちょうじょう)の已前、去ぬる正嘉・文永等の大地震・大彗星の告げに依って再三之を奏すと雖も、国主敢へて信用無し。然而(しかるに)日蓮が勘文(かんもん)(ほぼ)仏意(ぶっち)に叶ふかの故に此の合戦既に興盛(こうじょう)なり。此の国の人々、今生には一同に修羅道に堕し、後生には皆阿鼻大城に入らんこと疑ひ無き者なり。

 

*後生は必ず仏国に

(ここ)に貴辺と日蓮とは師檀の一分なり。然りと雖も有漏(うろ)の依身(えしん)は国主に随ふ故に此の難に値わんと欲するか。感涙押さへ難し、何(いず)れの代にか対面を遂げんや。唯一心に霊山浄土を期せらるべきか。設ひ身は此の難に値ふとも心は仏心に同じ。今生には修羅道に交はるとも後生は必ず仏国に居()せん。

 

88

書を光日上人に報ず

「光日上人御返事」(2-409P1876、校2-443P2011、全P932、新P1564)

身延・光日上人

真蹟11紙完・身延山久遠寺曽存(意・乾録等)

日朝本 宝18 満下150

録外4-3 遺30-16 縮2062

*平成校定「光日上人御返事(光日聖人御返事)

 

*大地獄の大苦

此の大地獄の大苦を仏委(くわ)しく説き給ふならば、我等衆生聞きて皆死すべし。故に仏委しくは説き給ふ事なしと見えて候。

今日本国の四十五億八万九千六百五十八人の人々は皆此の地獄へ堕ちさせ給ふべし。

されども一人として堕つべしとはおぼさず。

例せば此の弘安四年五月以前には、日本の上下万人一人も蒙古の責めにあふべしともおぼさゞりしを、日本国に只日蓮一人計り、かゝる事此の国に出来すべしとしる。

其の時日本国四十五億八万九千六百五十八人の一切衆生一人もなく他国に責められさせ給ひて、其の大苦は、譬へばほうろく(焙烙)と申す釜に水を入れて、ざっこ(雑魚)と申す小魚をあまた入れて、枯れたるしば()木をたかむが如くなるべしと申せばあらおそろし、いまいまし、打ちはれ、所を追へ、流せ、殺せ、信ぜん人々をば田はた()をとれ、財(たから)を奪へ、所領をめせと申せしかども、此の五月よりは大蒙古の責めに値ひてあきれ迷ふ程に、さもやと思ふ人々もあるやらん。

にがにがしうしてせ()めたくはなけれども、有る事なればあたりたり、あたりたり、日蓮が申せし事はあたりたり。ばけ物のもの申す様にこそ候めれ。

 

*光日上人・法華経の行者

何に況んや今の光日上人は子を思ふあまりに法華経の行者と成り給ふ。母と子と倶に霊山浄土へ参り給ふべし。其の時の御対面いかにうれしかるべき、いかにうれしかるべき。

 

822

書を治部房に報ず

「治部房御返事」(2-410P1880、校2-444P2015、全P1425、新P1567)

身延・治部房

10 満下116 真蹟なし

録外4-27 遺30-19 縮2066

*本満寺本「治部殿御返事」

平成校定「治部房御返事(日位祖父御返事)

 

第六天の魔王と申す三界の主

されば我等は過去遠々劫より菩提をねがひしに、或は国をすて、或は妻子をすて、或は身をすてなんどして、後生菩提をねがひし程に、すでに仏になること近づきし時は、一乗妙法蓮華経と申す御経に値ひまいらせ候ひし時に、第六天の魔王と申す三界の主をは(御座)します。

すでに此のもの仏にならんとするに二つの失(とが)あり。一には此のもの三界を出づるならば、我が所従の義をはなれなん。二つには此のもの仏にならば、此のものが父母兄弟等も又娑婆世界を引き越しなん。

いかゞせんとて身を種々に分けて、或は父母につき、或は国主につき、或は貴き僧となり、或は悪を勧め、或はおど()し、或はすかし、或は高僧、或は大僧、或は智者、或は持斉(じさい)等に成りて、或は華厳、或は阿含、或は念仏、或は真言等を以て、法華経にすゝめかへて仏になさじとたばかり候なり。法華経第五の巻には、末法に入りては大鬼神、第一には国王・大臣・万民の身に入りて、法華経の行者を或は罵()り或は打ち、それに叶はずんば無量無辺の僧と現じて一切経を引いてすかすべし。それに叶はずんば二百五十戒三千の威儀を備へたる大僧と成りて、国主をすかし国母をたぼらかして、或はなが()し、或はころ()しなんどすべしと説かれて候。

 

*又七の巻の不軽品、又四の巻の法師品、或は又二の巻の譬喩品、或は涅槃経四十巻、或は守護経等に委細に見へて候が、当時の世間に少しもたがひ候はぬ上、駿河の国賀島(かじま)の荘(しょう)は、殊に目の前に身にあたらせ給ひて覚へさせ給ひ候らん。他事には似候はず。父母国主等の法華経を御制止候を用ひ候はねば、還って父母の孝養となり、国主の祈りとなり候ぞ。

三界の主である第六天の魔王が国主や高僧等、様々な姿を現じながら妙法の修行を妨げる様は、賀島荘で我が身を以て経験したとおりである、との教示。

 

823

曼荼羅(109)を図顕する

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳八月廿三日

*授与

摩尼女 授与之

*讃文

仏滅度後二千二百 三十余年之間 一閻浮提之 内未 曾有 大漫荼 羅也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 不動明王 愛染明王 大日天王 大月天王 天照太神 八幡大菩薩 南無天台大師 南無伝教大師 鬼子母神 十羅刹女

*寸法

50.0×31.8㎝ 1

*授与

神奈川県鎌倉市大町 比企谷妙本寺

 

911

書を南条氏某に報ず

「南条兵衛七郎殿御返事(鷄冠書)(2-411P1883、校2-445P2018、全P1578、新P1569)

身延・南条氏某

日朝本 平14 真蹟なし

録内22-28 受3-2 遺30-22 縮2069

*録内「南条兵衛七郎殿御書」

平成校定「南条殿御返事(南条兵衛七郎殿御返事) (鷄冠書)

全集「南条殿御返事(法妙人貴事)

 

日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり

其の上此の処(ところ)は人倫を離れたる山中なり。東西南北を去りて里もなし。かゝるいと心細き幽窟(ゆうくつ)なれども、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定(にゅうじょう)の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌(みぎり)なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり。

 

彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり

神力品に云はく「若しは林中に於ても、若しは樹下(じゅげ)に於ても、若しは僧坊に於ても、乃至般(はつ)涅槃したまふ」云云。

此の砌(みぎり)に望まん輩は無始の罪障忽(たちま)ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん。彼の中天竺の無熱池(むねっち)に臨みし悩者(のうしゃ)が、心中の熱気を除愈(じょゆ)して充満其願如清涼池(じゅうまんごがんにょしょうりょうち)とうそぶきしも、彼此異なりといへども、其の意(こころ)は争(いか)でか替はるべき。彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺(みね)なり。参詣遥(はる)かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨(らいりん)を企(くわだ)つべし。是にて待ち入って候べし。哀れ哀れ申しつくしがたき御志かな、御志かな。

 

920

書を南条時光に報ず

「上野殿御返事」(2-412P1885、校2-446P2020、全P1579、新P1570)

身延・南条時光

13 満下309 真蹟なし

録外8-8 遺30-24 縮2071

*全集「上野殿御返事(時国相応御書)

 

一切の事は国により時による事なり

いゑ()のいも()一駄・ごばう(牛蒡)一づと()・大根六本。いもは石のごとし、ごばう(牛蒡)は大牛の角(つの)のごとし。大根は大仏堂の大くぎのごとし。あぢわひは利天(とうりてん)の甘露(かんろ)のごとし。石を金(こがね)にかうる国もあり、土をこめ()にうるところもあり。千金の金をもてる者もう()えてし()ぬ、一飯をつと()につゝめる者にこれをと()れり。

経に云はく「う()えたるよ()にはよね()たっと()し」云云。

一切の事は国により時による事なり。仏法は此の道理をわきまうべきにて候。又々申すべし。

 

9

曼荼羅(110)を図顕する

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳九月 日

*授与

俗日常授 与之

*讃文

仏滅度後二千二百 三十余年之間一 閻浮提之内 未曾有大 漫荼 羅也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 不動明王 愛染明王 大梵天王 釈提桓因大王 大持国天王 大増長天王 大広目天王 大毘沙門天王 大日天王 大月天王 大明星天王 第六天魔王 天照太神 八幡大菩薩 南無天台大師 南無伝教大師 鬼子母神 十羅刹女 提婆達多 阿闍世大王

*寸法

94.2×49.7㎝ 3枚継ぎ

*所蔵

山梨県甲州市勝沼町休息 立正寺

 

9

曼荼羅(111)を図顕する

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳九月 日

*授与

俗守常 授与之

*讃文

仏滅度後二千二百三十 余年之間一閻浮提之内 未曾有大漫荼 羅也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 不動明王 愛染明王 大梵天王 釈提桓因大王 大日天王 大月天王 天照太神 八幡大菩薩 南無天台大師 南無伝教大師 鬼子母神 十羅刹女

*寸法

不詳 1

*所蔵

不明

 

1018

興福寺衆徒 春日神木を奉じて入洛嗷訴す(続史愚抄、一代要記)

 

1022

書を富木入道に報ず

「富城入道殿御返事(承久書)(2-413P1886、校2-447P2021、全P993、新P1571)

身延・富城入道

正本6(但し門下代筆)・千葉県市川市中山 法華経寺蔵

21 満下132

録外7-32 遺30-24 縮2072

*代筆者についての諸説

・菅原関道氏の論考「中山法華経寺聖教に見える異筆文書の考察」(興風16P117)

山上弘道氏の論考「日蓮大聖人の思想 六」(興風16P267)

「代筆者は特定できないが、『識分法門一念三千即離事』(中山法華経寺蔵)にも同筆跡がある。『識分法門一念三千即離事』は巻子本全九紙からなる要文集、第一紙から第三紙までが富木常忍筆、第四紙から第九紙が『富城入道殿御返事』の筆跡と全く同じ。」(要旨)

・稲田海素氏「遺文対照記」P3

「此書は古来疑問に属せる者にして、無論他筆なり」

・山中喜八氏「解題目録」P531

「本文全章並びに署名花押等すべて他筆であって、恐らくは御真蹟から臨写したものであろう」

*本満寺本「承久合戦之間事」

全集「富城入道殿御返事(弘安役事)

 

*病を忍んで

今月十四日の御札(ぎょさつ)同じき十七日到来、又去ぬる後の七月十五日の御消息同じき二十比到来せり。其の外度々の貴札を賜ふと雖も、老病たるの上又不食気(ふしょくげ)に候間、未だ返報を奉らず候条、其の恐れ少なからず候。何よりも去ぬる後(のちの)七月の御状の内に云はく、鎮西(ちんぜい)には大風吹き候ひて浦々島々に破損の船充満の間、乃至京都には思円(しえん)上人。又云はく、理豈然(あにしか)らんや等云云。此の事別しては此の一門の大事なり。総じて日本国の凶事なり。仍()って病を忍んで一端是を申し候はん。

 

天台大師の御恩報じ奉らん、一閻浮提第一の法華堂造りたり

又必ずしいぢ(椎地)の四郎が事は承り候ひ畢(おわ)んぬ。予既に六十に及び候へば、天台大師の御恩報じ奉らんと仕り候あひだ、みぐるしげに候房をひ()きつくろ()い候ときに、さくれう(作料)にお()ろして候なり。銭四貫をもちて、一閻浮提第一の法華堂造りたりと、霊山浄土に御参り候はん時は申しあげさせ給ふべし。

 

1027

書を富木常忍に報ず

「越州嫡男並妻尼事」(2-414P1889、校2-448P2024、新P1573)

身延・富木常忍

真蹟1紙断簡11行・大阪府 坂田家蔵

< 系年 >

昭和定本「弘安41027日富木氏へ(山川)

「土木殿御返事」(文永10113)の前半部分が当書である。

(興風談所・平成15年のコラム「分蔵された一通の御書」坂井法曄)

⇒現在では、文永10113日「土木殿御返事」に一本化すべきか。

 

10

曼荼羅(112)を図顕する

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳十月 日

*授与

□□□□授与□(削損シアリ)

*讃文

仏滅度後二千二百 三十余年之間 一閻浮提 之内未曾 有大漫荼 羅也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 不動明王 愛染明王 大日天王 大月天王 天照太神 八幡大菩薩 鬼子母神 十羅刹女

*添書

削損シアリ

*寸法

50.3×30.9㎝ 1

*備考

・駿河国某寺に当曼荼羅の模本を蔵する。

左下隅に半ば裁断された授与書が存す。右辺には日興の筆蹟を模した添書を有す。

其の文は下記。

俗平太郎 授与    (以上授与書)
紀伊国切目形部左衛門入道息少輔房日然 相伝之   (以上添書)
・「富要旧刊・史料類聚P285」には上記の文に続き、別筆にて「稲守六郎授与之」とあると伝える。当曼荼羅は、それらの文字を悉く削損している。授与書中の「授与」の二字を彷佛たらしむるに過ぎない状態である。

(富要8216)

*所蔵

千葉県千葉市中央区長洲 随喜文庫

 

10

曼荼羅(113)を図顕する

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳十月 日

*授与

俗守綱授与 之

*讃文

仏滅度後二千二 百三十余年之 間一閻浮 提之内 未曾有大 漫荼 羅也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 不動明王 愛染明王 大日天王 大月天王 天照太神 八幡大菩薩 鬼子母神 十羅刹女

*寸法

49.7×31.1㎝ 1

*所蔵

京都府京都市上京区小川通寺之内上ル本法寺前町 本法寺

 

10

曼荼羅(114)を図顕する

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳十月 日

*授与

俗真永 授与 之

*讃文

仏滅度後二千二百 三十余年之間 一閻浮提之内 未曾有 大漫荼 羅也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 不動明王 愛染明王 大日天王 大月天王 天照太神 八幡大菩薩 鬼子母神 十羅刹女

*寸法

55.5×33.0㎝ 1

*所蔵

高知県高知市筆山町 要法寺

 

10

曼荼羅(115)を図顕する

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳十月 日

*授与

俗近吉 授与 之

*讃文

仏滅度後二千二百 三十余年之間 一閻浮提之 内未曾有 大漫荼羅 也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 不動明王 愛染明王 大日天王 大月天王 天照太神 八幡大菩薩 鬼子母神 十羅刹女

*寸法

50.9×32.4㎝ 1

*所蔵

京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町 本能寺

 

1115

書を南条時光母尼に報ず

「上野尼御前御返事」(2-415P1890、校2-420P1938、全P1580、新P1574)

身延・南条時光母尼

真蹟1紙断簡(末尾447)・京都府京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町 本禅寺蔵

日朝本 宝13 満下312

録外8-33 遺30-27 縮2075

*全集「上野尼御前御返事(鳥竜遺竜事)

*昭和定本「弘安41115日」

平成校定「弘安31115日」

 

南無妙法蓮華経と唱へまいらせ

(しらげごめ)一駄四斗定・あらひいも(洗芋)一俵送り給()びて南無妙法蓮華経と唱へまいらせ候ひ了んぬ。

妙法蓮華経と申すは蓮に譬へられて候。天上には摩訶曼陀羅華(まかまんだらけ)、人間には桜の花、此等はめでたき花なれども、此等の花をば法華経の譬へには仏取り給ふ事なし。一切の花の中に取り分けて此の花を法華経に譬へさせ給ふ事は其の故候なり。

 

1124

身延山に十間四面の堂が建立される(P1894・全P1375)

 

1125

書を南部六郎(波木井実長)に報ず

「地引御書」(2-416P1894、校2-449P2025、全P1375、新P1577)

身延・南部六郎=波木井実長

真蹟5紙完・身延山久遠寺曽存(乾録等)

日朝本 平13

録内40-19 遺30-31 縮2080

 

*身延山に104面の堂宇が完成

坊は十間四面に、またひさし()()してつくりあげ、二十四日に大師講並びに延年、心のごとくつかまつりて、二十四日の戌亥(いぬい)の時、御所にすゑ(集会)して、三十余人をもって一日経か()きまいらせ、並びに申酉(さるとり)の刻に御供養すこしも事ゆへなし。

坊は地ひ()き、山づくり候ひしに、山に二十四日、一日もかた時も雨ふる事なし。十一月ついたちの日、せうばう(小坊)つくり、馬や()つくる。八日は大坊のはしら()だて、九月十日ふ()き候ひ了んぬ。

しかるに七日は大雨、八日九日十日はくも()りて、しかもあたゝかなる事春の終はりのごとし。十一日より十四日までは大雨ふり、大雪下()りて、今に里にき()へず。山は一丈二丈雪こほ()りて、かたき事かねのごとし。二十三日・四日は又そら()()れてさむ()からず。人のまいる事、洛中かまくらのまちの申酉(さるとり)の時のごとし。

 

11

書を富木入道に報ず

「老病御書」(2-417P1896、校2-451P2028、新P1579)

身延・富木入道

真蹟1紙 追伸(本文欠)・千葉県市川市中山 法華経寺蔵

< 系年 >

昭和定本「弘安411月頃()

 

*老病、不食気

追伸

老病の上、不食気いまだ心よからざるゆへに、法門なんどもかきつけて申さずして、さてはてん事なげき入って候。又三嶋の左衛門次郎がもとにて法門伝へて候ひけるが始中終かきつけて給ひ候はん。其れならずいづくにても候へ、法門を見候へば心のなぐさみ候ぞ。

 

11

曼荼羅を図顕する

*「日亨本尊鑑」(P64) 第32 真題目御曼荼羅 底本(23)

「日蓮聖人真蹟の世界・上」(P258)

*模写

*通称

真題目御本尊

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳十一月 日

*授与

依厳命 謹敬所奉 書写也 藤原

*讃文

仏滅度後二千二百 三十余年之間一閻 浮提之内未曽有 大漫荼羅也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 南無文殊師利菩薩 南無普賢菩薩 南無弥勒菩薩 南無薬王菩薩 南無舎利弗尊者等 南無大迦葉尊者等 不動明王 愛染明王 大梵天王 釈提桓因大王等 大持国天王 大増長天王 大広目天王 大毘沙門天王 大日天王 大月天王 大明星天王 第六天魔王 天照太神 八幡大菩薩 転輪聖王 南無龍樹菩薩 南無天台大師 南無妙楽大師 南無伝教大師 阿修羅王 大龍王 鬼子母神 十羅刹女 提婆達多 阿闍世大王

*寸法

178.5×113.0㎝ 12枚継ぎ

*所蔵

身延山久遠寺曽存

 

128

書を南条時光母尼に報ず

「上野殿母尼御前御返事(所労書)(2-418P1896、校2-452P2029、全P1583、新P1579)

身延・南条時光母尼

真蹟6紙完・静岡県富士宮市上条 大石寺蔵

日朝本 宝13 満下113

録外8-29 遺30-33 縮2082

*平成校定「上野殿母尼御前御返事(上野殿母御前御返事)(所労書)

全集「上野殿母御前御返事(所労書)

 

*日蓮の病状

さては去ぬる文永十一年六月十七日この山に入り候ひて今年十二月八日にいたるまで、此の山出づる事一歩も候はず。たゞし八年が間や()せやまい()と申し、とし()と申し、としどし(歳歳)に身ゆわ()く、心を()ぼれ候ひつるほどに、今年は春よりこのやまい()をこりて、秋すぎ冬にいたるまで、日々にをと()ろへ、夜々にまさり候ひつるが、この十余日はすでに食もほとを()どと()ゞまりて候上、ゆき()はかさなり、かん()はせめ候。身のひ()ゆる事石のごとし、胸のつめ()たき事氷のごとし。

⇒病が日蓮の体を痛め続ける。

「八年が間やせやまい」=1281年弘安4年の8年前は、1273年・文永10年、その体は佐渡の一谷に在った頃。

 

*日蓮は病が重なり、疲労して、門下への返信もできずにいた

日蓮は所らう()のゆへに人々の御文の御返事も申さず候ひつるが、この事(今は亡き子息・故五郎殿のこと)はあまりになげ()かしく候へば、ふで()をとりて候ぞ。これもよもひさ()しくもこのよ()に候はじ。一定五郎殿にゆ()きあ()いぬとをぼへ候。母よりさきにげざん(見参)し候わば、母のなげ()き申しつた()へ候はん。事々又々申すべし。

 

1211

書を池上宗仲に報ず

「大夫志殿御返事」(2-419P1898、校2-453P2031、全P1105、新P1581)

身延・大夫志=池上宗仲

11 満下348 真蹟なし

録外9-36 遺30-34 縮2084

 

聖人(すみざけ)一つゝ()、味文字(みそ)一をけ()、生和布(なまわかめ)一こ、聖人と味文字はさてをき候ひぬ。生和布は始めてにて候。将又(はたまた)病の由聞かせ給ひて、不日に此の物して御使ひをもって脚力(きゃくりき)につかわされて候事、心ざし大海よりふかく、善根は大地よりも厚し。かうじん(幸甚)かうじん(幸甚)

 

1227

書を窪尼に報ず

「窪尼御前御返事」(2-420P1899、校2-454P2032、全P1485、新P1581)

身延・窪尼

日興本(要検討)・静岡県富士宮市上条 大石寺蔵

日朝本 宝812 満下124

録外5-14 遺30-34 縮2084

*平成校定「窪尼御前御返事(与持妙尼書)

全集「窪尼御前御返事(善根御書)

⇒妙心尼=窪尼=持妙尼・日興の叔母

 

善根と申すは・・・

しなじな(品品)のものをくり給()びて候。

善根と申すは大なるによらず、又ちい()さきにもよらず、国により、人により、時により、やうやうにかわりて候。譬へばくそ()をほしてつきくだ()き、ふるいて、せんだん(栴檀)の木につくり、又、女人・天女・仏につくりまいらせて候へども、火をつけてや()き候へばべち()の香なし。くそ()くさ()し。そのやうに、ものをころ()し、ぬす()みをして、そのはつを(初穂)をとりて、功徳善根をして候へども、かへりて悪となる。

 

*日蓮への供養は法華経への供養であり、釈迦仏、諸仏より功徳を賜る

又、人をもわづら()はさず、我が心もなをしく、我とはげ()みて善根をして候も、仏にな()らぬ事もあり。いはく、よ()きたね()をあ()しき田にう()えぬれば、たね()だにもなき上、かへりて損となる。まことの心なれども、供養せらるゝ人だにもあ()しければ功徳とならず、かへりて悪道にお()つる事候。此は日蓮を御くやうは候はず、法華経の御くやうなれば、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏に此の功徳はまか()せまいらせ候。

 

*身延山・大変な寒さ、雪が積もり訪ねるのも困難

(そもそも)今年の事は申しふりて候上、当時はとし()のさむ()き事、生まれて已来(このかた)いまだおぼへ候はず。ゆき()なんどのふ()りつ()もりて候事おびたゞし。心ざしある人もとぶら()ひがた()し。御をとづ()れをぼろげの御心ざしにあらざるか。

 

12

曼荼羅(116)を図顕する

*顕示年月日

弘安四年太才辛巳十二月 日

*授与

優婆夷一妙 授与之

*讃文

仏滅度後二千二百 三十余年之間 一閻浮提之内未曾有 大漫荼羅 也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 不動明王 愛染明王 大梵天王 大釈提桓因大王 大日天王 大月天王 天照太神 八幡大菩薩 南無天台大師 南無伝教大師 鬼子母神 十羅刹女

*日興添書

遠江サカラノ小尼給本尊也

*寸法

51.0×32.1㎝ 1

*所蔵

 不明

 

この年

日興 「園城寺申状」を代奏すと伝う

*「家中抄」(富要5154)

(弘安)三年に一百六箇血脈抄を以つて日興に授与し給ふ、剰ひ此の書の相伝整束して日興に伝ふ、亦本尊の大事口伝あり是れを本尊七箇口決と申すなり、是の故に師に代りて本尊を書写し給ふ事亦多し日興書写の本尊に大聖人御判を加へ給へるあり奥州仙台仏眼寺霊宝其証なり、同(弘安)四年には聖人薗城寺の申状を書いて日興に給ふ、日興、師の御代官として奏聴の使節を勤めたまへり是当家天奏の最初なり其の後日目等相続して奏聞す

 

【 系年、弘安4年と推定される書 】

書を著す

◎「大白牛車御消息」(2-421P1900、校2-455P2034、全P1584、新P1582)

身延

真蹟なし

録外25-4 遺30-36 縮2086

 

大白牛車

(そもそも)法華経の大白牛車(だいびゃくごしゃ)と申すは、我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり。

中略

故に法性(ほっしょう)の空に自在にと()びゆく車をこそ大白牛車とは申すなれ。我より後に来たり給はん人々は、此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候。日蓮も同じ車に乗りて御迎ひにまかり向かふべく候。

 

書を西山殿後家尼に報ず

◎「西山殿後家尼御前御返事(西山殿御返事)

(2-422P1902、校2-456P2035、全P1476、新P1583)

身延・西山殿後家尼

日興本(要検討)・静岡県富士宮市上条 大石寺蔵

日朝本 宝11 満上226

録外2-10 受2-24 遺30-37 縮2087

*本満寺本「西山殿御返事」

 

*身延山の日蓮を慮っての御供養

あまざけ(甘酒)一をけ()、やまのいも(山芋)、ところ(野老)せうせう(少少)()び了(おわ)んぬ。

梵網(ぼんもう)経と申す経には一紙一草と申して、かみ()一枚、くさ()ひとつ。大論と申すろん()にはつち()のもち()ゐを仏にくやう(供養)せるもの、閻浮提の王となるよしをと()かれて候。

これはそれにはに()るべくもなし。そのうへをとこ()にもすぎわかれ、たのむかたもなきあま()の、するが(駿河)の国西山と申すところより、甲斐国はきゐ(波木井)の山の中にをく()られたり。人にす()てられたるひじり()の、寒にせめられていかに心ぐる()しかるらんと、をも()ひや()らせ給ひてをく()られたるか。

 

書を妙法尼に報ず

◎「妙法尼御前御返事(明衣書)(2-423P1903、校2-457P2037、全P1419、新P1584)

身延・妙法尼

満下214 真蹟なし

録外20-2 遺30-38 縮2089

*本満寺本・録外「妙法尼御前御書」

全集「妙法比丘尼御前御返事」

 

*王

王となる人は過去にても現在にても十善を持つ人の名なり。名はかはれども師子の座は一なり。

 

1280年・弘安3                                                                                                           1282年・弘安5